第三十九話:森を揺らす悪夢と、絶望の象徴
「……それより、ゴブリンをちゃんと倒せたか、確認しましょう」
エミリーは服の水気を大まかに手で払うと、壊滅状態となった惨状の中心へと歩みを進めた。
確認……? 見たところ、ゴブリンの姿も死体すら跡形もなく爆散して見当たらないけれど……
首を傾げながらエミリーのあとに続くと、彼女は荒れ果てた地面にかがみ込み、泥の中から何かを拾い上げ始めた。
「あった、あった。……これが討伐の証拠、『魔石』よ」
エミリーの手のひらに載せられていたのは、濁った緑色の宝石のような結晶だった。
一つだけ鶏卵ほどの大きさがあり、残りの三つは直径一センチほどの綺麗なビー玉サイズだ。
エミリーの解説によると、魔物という生物は死ぬと、体内に渦巻いていた魔力が一気に凝縮・結晶化し、肉体を崩壊させて魔石を残すのだという。
これをギルドの窓口へ提出することで、討伐完了の確固たる証明となる。魔物の種族や強さによって、形成される魔石の色や大きさ、価値が大きく異なるそうだ。
「じゃあ、これで無事にクエスト達成ですね」
「そういうこと。……はぁ、いろいろと大変だったけど、早く街に帰りましょうか。ギルドで報酬を受け取って、次のクエストを探さなければいけないしね」
そうだ。俺たちのパーティの財布は、いまや底をつきかけている。
人並みの温かいベッドと美味い飯にありつくためにも、手早く依頼をこなしてハンターランクを上げていかねばならない。
「さっさと帰るわよ! ギルドの報酬で、着替えとちゃんとした部屋着を買うんだから!」
マントを固く羽織ったクレアが、お怒り気味に先頭を切って歩き出す。
——その時だった。
……ん!? なんだ……この気配は……!?
俺の【サスペクト】が、森の深部から放たれる異様な魔力反応を察知した。
まだ距離はある。だが……今まで感じたどの魔物とも比べものにならない、圧倒的な質量と禍々しさを孕んだ魔力が、猛スピードでこちらへ一直線に向かってきている!
「クレア! 足を止めろ!!」
「な、何よ急に! びっくりするじゃない!」
「魔力を感知した! ……間違いなく魔物だ。しかも、さっきのゴブリン達なんて足元にも及ばないくらい強い!」
「えっ……? 私にはまだ何も……あ、いや……捉えた! 嘘でしょ……どんどん近づいてくるわ! なにこれ……冗談抜きでやばいわね……!?」
直後、エミリーの顔から一気に血の気が引いた。
遅れて【サスペクト】の範囲内にひっかかったらしい。
「私にはさっぱり分からないけれど……」
クレアが表情を険しくする。
……まあ、クレアはまだ自分の目視できる範囲の魔力しか拾えていないだろうが、俺の直感が告げている。これは、新人ハンターが遭遇していい相手じゃない。
「逃げる時間は無さそうね。手伝うわ、レイン」
「お願いします! クレアは今回もお休みだ」
「またなの!? ……でも、本当にやばくなったら私も黙ってないからね! さっさと片付けるのよ! あと……ウォーターボールは絶対に禁止だからね!?」
「分かってるって! エミリー、来ますよ……!」
地響きとともに、前方のみっちりと生い茂っていた巨木たちが、まるでマッチのようにバキバキと倒され、薙ぎ倒されていく。
「ええ、腹を括ったわ……!」
エミリーは静かに答えると、正面を見据えたまま鞘からただの鉄の剣を抜き放ち、隙のない上段の構えを取った。
何が来ようと……エミリーとクレアは俺が守る……!
俺も腰の鉄剣に手をかける。
——そして、森を裂いて『それ』が姿を現した。
巨大だった。四足歩行の巨躯は、肩高だけでも二メートルを超え、頭から尻尾の先までの全長は五メートルを容易に超えている。紅蓮の毛並みに包まれたライオンのような胴体。背中にはコウモリのような巨大な翼。そして、その揺れる尻尾の先には、刺された瞬間に即死を確信させる禍々しいさそりのような毒針——。
立ち止まった異形の魔獣は、血のように赤く光る眼光で俺たちを見下ろし、品定めするように細めた。
「マ、マンティコア……っ!? なんで、ベラシーの森のような場所にこんな化け物が……!?」
エミリーの声が絶望に震えていた。彼女はその魔獣の名を知っているらしい。
「マンティコア……? そんなに強い魔物なんですか……!?」
「私も実際に戦ったことはないわ……! でも……噂では過去にどこかの小国に突如出現し、たった一匹で『国家の正規軍を壊滅させた』と聞いているわ……! しかも……奴の大好物は『人間の肉』よ……!!」
一匹で軍隊を崩壊させる絶望の象徴。そして人を喰らう悪魔。
ベラシーの森の静寂の中に、マンティコアの低く重い威嚇の唸り声が、地鳴りのように響き渡った——。
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