第三十七話:揺れる馬車と、新たな魔法
「ふぅ……」
背中にのしかかる重量感に、俺は思わず重苦しい溜息を吐き出した。
念のためにと買い込んだ回復用のポーションや予備の食料。それらがパンパンに詰め込まれた大型のリュックは、嫌になるほどズッシリと肩に食い込んでいる。
正直に言って、今の俺の装備にこの生活感溢れる巨大リュックは恐ろしく似合わない。せっかく新調した格好いい防具が完全に台無しだ。とはいえ、今のパーティーで男は俺一人。パーティーの荷物持ちを担当するのは、まあ当然の責務ではあるのだが……。
視線を巡らせると、ギルド周辺を行き交うハンターたちの中にも、俺と同じように巨大な荷物を背負った者がちらほら見受けられた。目的地が遠方だったり、数日掛かりの討伐クエストだったりすれば、自ずと携行品は増える。中にはパーティー全員が登山家のような大荷物を抱えているグループすらいた。
……今後のクエストのたびにこんな重労働をするのかと思うと、早くも頭が痛くなってくる。
憂鬱な気分に苛まれながら、前を歩くクレアとエミリーさんの後姿をトボトボと追いかけていると――
『……手伝ってあげようか?』
不意に、鈴を転がすような少女の声が耳元で鼓膜を揺らした。
「ん……?」
驚いて周囲を見回す。しかし、視界に入る女性といえば、数歩前を歩いているクレアとエミリーさんの二人だけだ。周囲のハンターたちにも、俺に話しかけてくるような距離の者はいない。
「なぁ、今何か言ったか?」
気になって前の二人に声をかけると、クレアが怪しむように振り返った。
「え? 私は何も言ってないけど……」
「どうしたのレイン。お荷物が重すぎて、フラフラになっちゃったの?」
呆れ顔で小首をかしげるエミリー。どうやら二人ではないらしい。となると、ただの疲労による空耳だったのだろうか。俺は首をかしげつつ、思考を切り替えて二人の背中に付いていった。
ガタガタと激しい振動が、直接臀部を叩きつけてくる。
俺たちは現在、乗合の馬車を借りて目的地のベラシーの森へと向かっていた。
一言で言えば、この馬車の座り心地は最悪だ。もっと身銭を切れば、クッション性の高い上質なシートを備えた大型馬車を借りる事もできたのだが……悲しいかな、今の俺たちには壊滅的に金がない。
今回の馬車代を払った時点で、俺たちの懐は文字通りスッカラカン。今日の宿代すら残っていない状態だ。
つまり、今回のクエスト失敗はそのまま即・野宿を意味している。失敗は絶対に許されない。俺一人ならまだしも、連れ立っている女性二人を路上で寝かせるわけにはいかないのだから。
「ひぃっ!?」
車輪が大岩に乗り上げたのか、一段と大きな衝撃が車内を襲った。硬い木製の座席に容赦なく打ち付けられ、俺のお尻は刻一刻と悲鳴を上げ始めている。
俺自身は歯を食いしばって耐えているが、ふと隣に目をやると、クレアが今にも爆発しそうな険しい表情で身体を強張らせていた。時間が経つにつれて、その眉間のシワはどんどん深くなっている。……おいおい、まさかこんなところで暴れ出したりしないよな?
対照的に、向かいに座るエミリーさんはというと、特に表情も変えず涼しげな顔で窓の外の景色を眺めていた。
……さすがエミリーさん、落ち着いてるなぁ。これぞ大人の余裕ってやつか。それに比べて、このお転婆姫様は……
そう思いながら、再び限界寸前のクレアに視線を戻した、まさにその時だった。
「あぁぁぁぁ、もう限界っ! お尻が壊れちゃうわよ!!」
怒気を含んだ叫びとともに、クレアが勢いよく立ち上がった。
「あっ、おいバカやめ――」
制止の声をかける間もなかった。
打撃音が狭い車内に響き渡る。
屋根の低い馬車の中で勢いよく立ち上がれば、どうなるかなど目に見えている。頭頂部を天井へ激しく痛打したクレアは、「うぅぅ……っ」と頭を押さえたまま、生まれたての小鹿のようにプルプルと震え出した。
「ちょっとちょっと! 車体を壊さないでくださいよ!? 弁償してもらうことになりますからね!」
御者台から慌てたような男の叫び声が飛んでくる。
「すみません! 事故です、壊れてないですから大丈夫です!」
頭を押さえて身悶えしているクレアに代わり、俺は大声で御者へ謝罪を入れ込んだ。まったく、なんで俺がこんなフォローをしなきゃいけないんだ。
「……はぁ。全く、手がかかるな」
俺は半ば呆れつつも溜息を吐くと、着ていた自分のマントを脱いだ。それを手際よく四角く折りたたみ、目の前で涙目になっているクレアへと差し出す。
「ほら。これでも敷いとけ。少しはマシになるだろ、クッション代わりだ」
「……っ」
クレアは差し出されたマントと俺の顔を交互にじっと見つめると、戸惑ったようにゆっくりと細い手を伸ばし、それを受け取った。
「……あ、ありがとう……」
怒りに任せて暴れていた先ほどまでの勢いは消え去り、彼女はどこか居心地の悪そうな、複雑な感情の混ざった表情でボソリとお礼を口にしたのだった。
ガタゴトと馬車に揺られること約一時間。ベラシーの森へ向かう道中、クレアが文句や痛みを訴えて騒ぐことは一度もなかった。
俺が貸したあのマントなんて、硬い座面に対する気休め程度にしかならなかったはずなのに……あいつなりにじっと我慢してくれていたのだろう。
……まあ、そのおかげでマントを奪われた俺の方は、より尻に伝わる振動と激痛に耐え続けなきゃならなかったわけだが
お互い様とはいえ、俺の尻は絶対に今ごろ真っ赤に腫れ上がっている。早くどこかで休みたい。
そんな俺の切実な願いが届いたのか、馬車がふっとスピードを落とし、静かに停車した。
「さあ、着きましたよ。私はここで待たせてもらいますので、お気をつけて」
御者さんの声に促されて馬車を降りると、視界が開けた。
森林の入口には、小さな木造の小屋が三軒ほどひっそりと並んでいた。クエストの目的地となるダンジョンや広大な森の周辺には、こうした拠点が整備されていることが多い。主にハンターを待つ御者が寝泊まりする簡素な宿や、消耗品を扱う小さな道具屋がある。ベラシーの森は比較的平和なエリアなので規模も小さめだが、危険度の高いダンジョンの近くともなると、周囲にひとつの街が形成されることもあるという。
「……これ、返すわ」
クレアが少しそっぽを向きながら、丸めた俺のマントを差し出してきた。受け取ると、手に伝わってきたのは——ぬくもり。クレアの体温がしっかりと残った、ほの温かい感触だった。
あ、このマントに……さっきまでクレアのお尻が触れてたんだよな……そう意識した瞬間、なぜか急激に気まずくなる。
「な、何じっと見てるのよ! 変なこと考えてないで、早く羽織りなさいよこの変態!」
「ば、バカ! 変なことなんて何も考えてないよ!」
「ふん、どうだかあやしいわね……っ!」
怒鳴り散らすクレアだったが、当の本人も相当恥ずかしいらしい。耳の先端まで真っ赤に染まり、頭から湯気でも噴き出しそうな勢いだ。俺はごまかすように慌ててマントを羽織り、襟元を整えた。
「まったく……目の前でいちゃいちゃされちゃって、羨ましい限りねぇ。私にも仲良くしてくれるお相手が欲しいわ」
「いちゃいちゃなんてしてないわよっ!!」
エミリーのからかいに、クレアは顔を真っ赤にしたまま全力で否定した。そこまで全否定しなくてもいいんじゃないか……? 地味に傷つくんだけど。
「はいはい、分かったわよ。じゃあそろそろ行きましょうか。日が暮れて暗くなる前にサクッと倒しちゃいましょう」
エミリーを先頭に、俺たちはベラシーの森へと足を踏み入れた。
ベラシーの森は、外見上はどこにでもあるごく普通の森だ。無数の巨木がそびえ立ち、足元には生い茂る草花と張り巡らされた根っこ。明確な道と呼べるようなものは存在しない。
こんな果てしなく広い森の中で、体長一メートル程度の小さなゴブリンの群れをどうやって探せばいいのだろう。闇雲に歩き回るだけなら、相当な運に恵まれない限り、日が暮れるまでに遭遇することすら難しいはずだ。
俺がそんな不安を抱きながら歩いていると、前を行くエミリーが不意にピタリと足を止めた。
「いたわ。……静かに、慎重に進むわよ」
えっ……!?
俺はエミリーが見つめる先の奥深い木立ちを凝視した。だが、揺れる葉の影が見えるだけで、魔物の姿はおろか動く影すら感じ取れない。隣のクレアも「どこ……?」と怪訝そうに眉をひそめている。
たまらず俺は、エミリーの背中に問いかけた。
「あのさ、エミリー。俺には何も見えないんだけど……」
「ええ、私も全く見えないわよ」
「えっ? でもさっき『いたわ』って言ったじゃないか。ゴブリンが見えたんじゃないの?」
俺が首をかしげると、エミリーは「あちゃー」という顔で自分の額を手で押さえた。
「あ、そうだったわね……一年目の座学じゃ、まだあの魔法は教わっていないかしら。まあいいわ、今から実践で教えてあげる。レインなら一瞬でマスターできるはずよ」
そう言ってエミリーが教えてくれたのは、周囲の魔物を感知する索敵魔法だった。
魔物という生き物は、必ず固有の魔力を体内に宿している。その微弱な魔力を、大気中の水分や地面の振動、風の流れを媒体にして捉える魔法なのだという。……最初にこれを編み出した奴、天才なんじゃないだろうか。
【サスペクト】
効果:一定範囲内に存在する『魔物』の位置と魔力を感知する。術者の所持魔力量に比例して、索敵範囲および精度が拡大する。
「やってごらんなさい、レイン」
「うん……『サスペクト』!」
意識を研ぎ澄まし、体内の魔力を薄い膜のように周囲へ広げていく。——すると、頭の中に周囲の魔力反応が地図のように浮かび上がってきた!
うわ、すごい……! ハッキリ分かる!
ここからまっすぐ深林へ進んだ先——約百メートル地点に、四つの小さな魔力反応を感知した。間違いない、あれがターゲットのゴブリンだ!
感覚を馴染ませていくと、単に位置が分かるだけでなく、その大きさ、そして相手がどの程度の魔力を持っているのかまで直感的に理解できた。
ふと横を見ると、クレアも真剣な表情で「サスペクト……!」と呟いていた。
だが、眉間にシワを寄せてうんうん唸った挙句、
「……ダメだわ」
と、悔しそうに肩を落としていたのだった。




