第三十四話 :パーティーのルールと、初陣
部屋に入ると、そこには大きめのベッドがひとつと、寛げそうな革張りのソファが一つ置かれていた。
木漏れ日の差し込む室内は綺麗に清掃されており、なかなか居心地が良さそうだ。棚には備え付けの清潔な寝巻きまで用意されている。制服のまま寝るという最悪の事態だけは回避できたようで、俺は密かに胸を撫で下ろした。
「じゃあ、私たちは先にお風呂に行ってくるから。レイン君もあとから入ってらっしゃいね」
「はい、いってらっしゃい」
エミリーとクレアは寝巻きを抱えて、キャッキャと楽しそうに部屋を出て行った。ほう、この宿は大浴場まで完備されているのか。俺も着替えを持って、さっそく行ってみることにしよう。
脱衣場を抜けて大浴場に入ると、先客が一人いるようだった。
立ち込める白い湯気の向こう、束ねた長い青髪を背中に流した、細身の若い男が湯船に浸かっていた。ふと目が合ったので軽く会釈をすると、その青年は穏やかな笑みを浮かべて声をかけてきた。
「やあ、こんばんは」
「あっ、こんばんは」
挨拶を交わし、俺は青年の向かい側のスペースに身体を沈めた。
——心地いい温もりが全身を包み込み、体の芯から緊張が解けていく。ここ最近の疲労やストレスが、湯に溶け出していくような感覚だ。あまりの気持ちよさに、俺がふぅと息を吐いて目を瞑っていると、青年が再び優しく語りかけてきた。
「ここの湯は最高だろう? 私はこの湯がとても気に入っていてね、定期的に浸かりに来るほどなんだよ。まあ、最近は仕事が忙しすぎて半年ぶりの訪れになるんだがね」
「は、はあ。すごく良いお湯ですね。疲れが一気に吹き飛びます」
「そうだろう、そうだろう。ところで……君はまだ十代半ばとお見受けするが、もしかしてハンターかい?」
「えっ、よく分かりましたね。と言っても、今日登録したばかりの新人なんですけど」
「なるほどね……ふふ、まあ頑張りたまえ。君には素晴らしい魔法の才能があるようだ。……彼女も、君の力に期待し、楽しんでいるようだからね」
「えっ……? 彼女……?」
慌てて周りを見渡すが誰もおらず、首をかしげる。
一体何を言っているんだ、この人は。だが……初対面の俺を一目見ただけでハンターであることや、秘めた魔法の資質を見抜くだなんて。この青髪の青年、ただ者ではない——。
「まあいいさ。私はそろそろ上がるとしよう。君とはまた近いうちに、どこかで再会できそうな気がするよ。あまり長湯して、のぼせないようにね」
青年は湯から上がると、俺に爽やかに手を振り返しながら大浴場を後にした。どこか浮世離れした、不思議な空気を持つ人物だった。
「さあ! 今日は記念すべき私たちの初クエストよ! うじうじしてないで、さっさと行くわよ!」
明けて翌朝。
【やすらぎ亭】の一階食堂で朝食をとっていた俺たちだったが、クレアは早朝から異様なほどテンションが高かった。
「ちょっと待ってくれよクレア、まだスープを飲んでる最中じゃないか」
「もうっ! 私たちがこうしてもたもたしている間に、ターゲットのゴブリンが逃げちゃったらどうするのよ!」
「ベラシーの森に住みついているんだから、そう簡単に引越しなんてしないと思うけど……」
「ちょっと落ち着きなさい、クレア」
興奮してテーブルを叩くクレアに対し、エミリーがクスリと微笑みながら優しく口を挟んだ。
……ん? 『クレア』……?
俺はパンを口にくわえたまま首を傾げた。
昨日までは確か「クレアさん」と丁寧な呼び方をしていたはずだ。怒っている風でもないし、一体どういう心境の変化だろうか。
クレアも違和感を覚えたらしく、きょとんとした丸い瞳でエミリーを見つめている。
「ふふふ、突然で驚いたかしら? でもね、私たちは今日から同じパーティの仲間よ! 苦楽を共にし、立ち塞がる強大な魔物を打ち払っていく運命共同体なの! そんな絆で結ばれた関係に、他人行儀な敬語や『さん』付けなんて無用だわ!」
エミリーは胸の前で拳を握りしめ、瞳にメラメラと熱い情熱を宿らせて主張した。
「確かに……そうね! 私たちは同じ釜の飯を食う家族よ! そうよ、私たち家族の中に無駄な上下関係なんて存在しないのよ!」
エミリーの言葉に感化されたのか、クレアの目までメラメラと燃え上がっている。おいおい、朝からテンションが高すぎるだろ……。俺だけ完全に置いていかれているんだが。もう少し落ち着いて朝食を食べようよ。
それに上下関係が存在しないって本当か……? 昨日まで俺のことを召使い呼ばわりしていた口がそれを言うのか、クレアさん?
「……さっきから黙っているけれど、レインはちゃんと聞いているのかしら? 私のこの想い、分かってくれたかしら……?」
ふいにエミリーが、鋭い瞳でこちらをじっと見つめてきた。逃げ場を塞ぐようなその探る視線に、俺の背筋に冷たい寒気が走る。
「は、はい! よく分かりました!」
「『はい』? 『分かりました』ぁ……?」
「い、いやっ……うん! 分かったよ……え、エミリー!」
冷や汗を流しながら呼び捨てに修正すると、エミリーは一転して満足そうに表情を和らげた。
「よろしい。……まあ本当は、『おう、任せとけエミリー!』くらい男らしく言って欲しかったけれどねぇ?」
「つ、次は善処するよ……」
「ふふ、期待しているわ。よし、パーティのルールが無事に決まったところで——」
エミリーは一転して真剣な表情をつくると、向かいのクレアへビシッと人差し指を突きつけた。
「クレア、あなた今日のクエストは見学ね。まだ、完治していないでしょう?」
「ええっ!? 嫌よ! 私だけ仲間外れなんて絶対に嫌! もう怪我なんて完璧に治ってるわよ!」
叫びながら、クレアは主張するように両腕をブンブンと振り回してみせる。
「だーめ。大丈夫よ、仲間外れになんてしないわ。だって……今日は私も見学だもの」
「……はい?」
耳を疑った。
クレアは見学で、エミリーも見学……?
じゃあ、一体誰が戦うんだ? ……って、俺かい!
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! なんで俺が一人でゴブリンの群れと戦わなきゃいけないんだ!?」
「あら、察しが良くて助かるわねぇ」
「あら」じゃないよ! 察しが良いとかそういうレベルの解答じゃないだろ!
「安心しなさい。ゴブリンなんて、いくら束になったところで今のあなたには束になっても敵わないわ。この一ヶ月間、私と積み重ねてきた特訓の成果を、クレアに存分に見せてあげなさい」
「……ふん、そういうことなら仕方ないわね。今日はレインに任せてあげるわ。しっかりやるのよ?」
「はぁ……分かったよ……」
二人の息の合った連携に、俺は抵抗を諦めて肩を落とした。
まあ……文句を言いつつも、自分がこの一ヶ月でどれほど強くなったのか、そして自分の魔法が本物の魔物にどこまで通用するのか、試してみたいという好奇心があったのも確かだ。




