第二十九話:醜い豚の怒りと、友との別れ
「残念だけどレイン君……あなたは退学です」
肥満体に埋もれた丸眼鏡の奥から、冷徹な視線が注がれる。そう告げたのは、この学園の校長だった。一応は相応の権威を持つらしいが、その姿は肥大化した欲望そのものに見える。
校長室の重苦しい空気の中、俺とクレアは並んで立っていた。呼び出された理由は火を見るより明らかだし、下される処分もあらかじめ予想していたことだ。だから俺自身には、驚きも落胆もそれほどなかった。
だが——隣に立つ少女は、到底納得がいっていないようだった。
「何故ですか! レインは襲われた私を守ってくれただけなんですよ!」
クレアが悲痛な声をあげる。その瞳には怒りと不条理への憤りが渦巻いていた。
「それは分かっていますよ、クレアさん」
校長は億劫そうに溜息をつき、手元の書類に視線を落とした。
「相手の生徒たちにも相応の罰を受けてもらうつもりです。ですが、レイン君には以前からきつく厳告しておいたはずでしょう? 『次に問題を起こせば退学だ』と。いかに正当防衛とはいえ、有能な貴族の子を半殺しにしてしまうのは、やりすぎというものです。この学園が国や貴族からの多額の献金で成り立っているという事実を、少しは察しなさい」
「だからって、そんなのおかしいわよ! 絶対に認めないんだから!」
ガンッ! と激しい音が響く。
クレアは校長机に両手を叩きつけ、身を乗り出して抗議した。
「クレアさん。言葉を慎みなさい」
校長の眉間にしわが寄る。眼鏡の奥の光が、冷たく歪んだ。
「あなたはもう貴族ではないのですよ。家を追われたただの庶民がいくら認めなかろうと、決定した処分は何も変わりません。……これ以上見苦しく口答えを続けるなら、あなたも同罪として退学にしますよ?」
あ、やばい
俺の頭の中で、危険信号が察する。クレアの中で何かが『ブチン』と音を立てた気配がした。
「落ち着けクレア——」
「誰に向かって口を利いてるのよ、この豚がぁっ!!」
「間に合わなかったか……っ!?」
俺の制止は虚しく空を切った。クレアは抗議の手ではなく、硬く握りしめた拳を全力で振り下ろした。
爆音とともに、校長机がまるで薄い板切れのように真一文字に真っ二つへと叩き割れた。クレアも体の痛みからか顔がゆがむ。
飛散する木の葛と書類の舞う中、「ひゃいっ!?」と情けない悲鳴をあげて椅子から転げ落ちる校長。床に尻餅をついた肥満体が、ブルブルと波打っている。
「上等じゃないの! こんな腐った学校、こっちから辞めてやるわよ!!」
肩を激しく上下させ、瞳に怒りの炎をメラメラと燃やすクレア。仁王立ちするその姿は、追放された元貴族令嬢というよりは破壊神だ。
「おいクレア、落ち着けって! 頼むから謝れ、まだギリギリ間に合う……かもしれないから!」
「誰が豚なんかに謝るもんですか! それに、言葉の通じない家畜と話したって時間の無駄でしょ!」
「ああもうダメだ……」
俺は天を仰いだ。
豚はひづめをクレアに向けて——いや、恐怖と屈辱で真っ赤になった顔をヒクヒクと震わせ、不格好に震える指先でクレアを指さした。
「た、退学だ……! 二人とも今すぐ退学にしてやる!!」
「ふん、望むところよ! 行くわよレイン! こんな不快な巣穴、さっさと出ていきましょう!」
怒気が収まらないクレアはババッとスカートを翻し、校長室の扉を蹴破らんばかりの勢いで開けた。俺はやれやれと肩をすくめ、その背中を追いかける。
校舎を抜け、青空が広がる正門へと近づくと、見慣れた三人の姿が視界に入った。グラッド、トール、そしてリリーだ。
「あっ、おい! 二人とも!」
俺たちの姿に気づいたグラッドが声をあげ、真っ先に走ってくる。トールがそれに続き、運動が苦手なリリーだけが息を切らせて少し遅れてやってきた。
「どうなったんだよ!? まさか退学なんてことにはなってないよな? 停学……停学で済んだんだろ!?」
グラッドは落ち着かない様子で俺の肩を掴んできた。トールとリリーも、祈るような不安な表情でこちらを見つめている。
「ごめんな。二人とも、見事に退学になっちゃったよ」
重苦しい雰囲気にしたくなくて、俺は努めて明るく、軽やかに笑ってみせた。
「なっ……!?」
絶句する三人。まさかクレアまで巻き込んで退学になるとは思っていなかったのだろう。言葉を失い、固まっている。
「ふん、あの豚校長が頭まで脂でギトギトだからいけないのよ! 人間の言葉が通じないんだわ、きっと!」
「お前、校長室で何言ったんだよ……」
まだ息巻いているクレアの横で、俺はかいつまんで事の経緯を説明した。正当防衛が認められなかったこと、貴族の圧力、そしてクレアの華麗なる抗議までを。
「……納得いかねぇ」
説明を聞き終えたグラッドが、拳を固く握りしめて低く呟いた。トールもリリーも、怒りと理不尽さに表情を歪ませている。
「よし、俺が今から校長室に行って抗議してくる。ちょっと待ってろ!」
「僕も行くよ。いくらなんでも理不尽すぎる!」
「わ、わたしも……一緒に行く」
熱い想いをぶつけてくる友人たちを見て、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。庶民の俺や、家を失ったクレアのために、現役の貴族である彼らが立場を賭けて怒ってくれている。本当にいい仲間を持った。
だからこそ——彼らを巻き込むわけにはいかない。
「気持ちだけで十分だよ、みんな。ありがとう。でも、お前たちまで巻き込まれて処分を受けたら」
「そうよ」
クレアが不敵に口端を上げ、腰に手を当てて足を広げた。
「学校の庇護なんてなくたって、私は自力で絶対に貴族の地位に返り咲いてみせるんだから。あんたたちも私に置いていかれないよう、この学校で死ぬ気で学みなさい!」
上から目線で三人をビシッと指さすクレア。その堂々たる態度に、張り詰めていた空気が一瞬で解けた。
「ははっ! 無一文の庶民になったくせに、なんでお前が一番偉そうなんだよ!」
「ふふ、でも……それでこそクレアさんだよね」
「うん……それに、学校を辞めたって……私たちは、ずっと友達だから……!」
気づけば、全員で顔を見合わせて笑い合っていた。理不尽な不快感は、青空の下に溶けて消えていく。
「じゃあ、俺たちはそろそろ行くよ。これから仕事も探さないといけないしな」
「そうか……寂しくなるな。何か困ったことがあったら絶対に連絡しろよ? 家の力を使ってでも、絶対力になるからな!」
「僕の家も、できる限りの援助はするよ!」
「わたしも……手紙、絶対に書いてね……!」
「ああ、分かった。みんな、本当にありがとう」
俺とクレアは、温かい友人たちに笑顔で手を振った。輝かしいはずだった学園生活は、理不尽な退学という形で幕を下ろした。けれど、俺たちの足取りは不思議と軽かった。
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