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剛剣の姫と、至高の魔〜いつか君を超えて、その手を掴むまで〜  作者: Kuran


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第二十一話:いつもの木の下と、動き出す時間

 朝の澄んだ空気を吸い込みながら、俺は一人で登校していた。


 病院はエミリーさんの屋敷と学校の中間地点にあるため、帰り道だけでなく、毎朝の登校時にも必ず前を通るルートになっていた。


 ただでさえ朝は眠いというのに、病院に近づくにつれてどうしても気持ちが重く沈んでしまう。


 昨日、見てしまったからな……


 誰も見ていない病室で、ボロボロと涙を溢れさせながら、怪我の激痛に耐えて一心不乱に木刀を振るっていたクレアの姿。


 あんなに気丈に振る舞っていた彼女の隠された絶望と涙を知ってしまった俺は、今日もなんとなく病室へ向かうのが怖く、憂鬱な足取りが重くなる。


 でも……さすがに二日連続で手ぶら登校は不自然すぎるよな。それに、毎日欠かさずお見舞いに行ってた俺が急に来なくなったら、クレアだって余計な心配をするかもしれない……


 一人でぐるぐると葛藤しながらしばらく歩いていると、やがて見慣れた大きな一本木が見えてきた。事件が起きる前、毎朝クレアと待ち合わせをしていた思い出の場所だ。


 ——ん?


 ふと視線を上げると、木の下にぽつんと人影が立っているのが見えた。


 ……え?


 遠すぎて、最初は人が立っていること以外、何も分からなかった。服装も、性別すらも識別できない距離だ。


 だが——俺の脚は、考えるよりも先に駆け出していた。


 心臓が跳ね上がる。なぜだか分からないが、俺はその人物が誰であるかを確信していたのだ。


 ハァ、ハァ、と息を荒らし、全力疾走で距離を詰めていく。


 朝の爽やかな風を受け、肩まで伸びた美しい金髪が黄金色の光を撒き散らすように舞っていた。


 俺は胸を激しく上下させ、膝に手をついた。酸欠で視界がチカチカし、呼吸が追いつかない。すると——頭上から、呆れたような、けれど世界で一番愛おしい懐かしい声が降ってきた。


「——遅い! この私を待たせるなんて、いい度胸をしてるじゃない。待ち合わせの五分前には着いておくのが基本でしょ?」


 その言葉を聞いた瞬間。


 限界だったはずの体力も、胸の苦しさも一瞬で吹き飛び、自然と唇が笑みの形に歪んでいた。


 顔を上げると、そこには——制服に身を包み、少しだけ誇らしげに腕を組んで佇むクレアの姿があった。


「……ごめん。今度からは気を付けるよ。……そして、おかえり」


 俺がそう呟くと、クレアの眉が緩み、ひまわりのように華やかな満面の笑顔が咲き誇った。


「ただいま、レイン」


 ああ——。


 俺は、ずっとこの笑顔が見たかったんだ。


 あの日から止まってしまっていた俺の生活に、俺の人生に足りなかったのは、この少女の笑顔だったんだ。


 そう悟った瞬間、目頭が熱くなり、ぽろりと一粒の涙が頬を伝った。


 一度あふれ出た感情の波はもう止められず、ぼたぼたと地面を濡らすほど涙が溢れ出してきた。


「ば、バカっ!? ちょっと、何泣いてるのよ!? もう、相変わらず泣き虫なんだから……っ! ほら、これ使いなさい!」


 狼狽えたクレアが、慌てて手元の鞄からハンカチを取り出し、俺の顔に押し付けてきた。


「ぐすっ……ありがと……」


 俺は差し出されたハンカチを受け取り、止まらない涙と鼻水を必死で拭い続けた。


 それにしても……今日のクレアは妙に優しい。いつもなら「汚いわね!」とか言って怒るのに、黙って俺が落ち着くのを待ってくれているのだから。


 しばらくして深く息を吐き出すと、ようやく感情が落ち着き、涙も止まった。


「……すまん、落ち着いたよ。ハンカチ、ありがとうな。洗ってから明日返すよ」


「は? 返さなくていいわよ、それあんたのなんだから。私が自分のハンカチを貸すわけないでしょ、汚い」


「……えっ?」


 手元のハンカチを見つめ直す。


 そこに広げられていたのは、見慣れた紺色の、いかにも男物といったシンプルなデザインの布切れだった。……間違いなく、俺がいつも鞄に入れて愛用していたハンカチだ。


 驚いて視線を落とすと、クレアの足元には二つの通学鞄が並んで置かれていた。


「……あんた、昨日病室にカバン忘れて行ったでしょ。本当にドジなんだから。それに病み上がりの私に二人分のカバンを持たせるなんて、いい度胸ね? 今日のお詫びに、放課後は何か奢りなさいよね!」


 クレアはプイッと横を向いて鼻を鳴らした。


 わざわざ俺の忘れたカバンを重いのに持って、退院早々ここで待っていてくれたのだ。


「はいはい、ありがとうございます」


「『はい』は一回!」


「はい、喜んで奢らせていただきます、クレア様」


「ふんっ、よろしい!」


 相変わらずのドSで高飛車な態度は何一つ変わっていない。けれど、俺はその理不尽なやり取りが、たまらなく愛おしかった。


 事件の残痕も、ボルタへの怒りも、抱えた課題も何一つ消えたわけではない。けれど——俺たちの止まっていた日常が、今確かに動き始めたのだと、胸の奥で温かな光が灯るのを感じていた。

お読みいただきありがとうございました!


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