第十四話:彼女の決意と、彼女の想い
静まり返っていた法廷に、重々しく、けれど確かな足音が響き渡る。
立っていたのは、肩にかかるほどの金髪を軽くウェーブさせた一人の少女だった。
かつてのトレードマークでもあった金髪のポニーテールはバッサリと切られ、印象はまるで違う。けれど——その勝気な眼差しを、俺が見間違えるはずもなかった。
「私を呼んだかしら? ……まったく、やっぱり私がいなきゃ何もできないのね、あんたは。本当にバカなんだからっ!」
「なっ……な、なぜだ……!? あれほどの瀕死の重傷を負って、もう目を覚ましただと……!? いや、それどころか自力で立ち上がり、歩いていただと……!?」
今まで余裕の笑みを浮かべていた貴族の男が、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がり、信じられないものを見る目でクレアを注視していた。
「私をその辺の市民と一緒にしないでくださる? この程度の傷で何日も死んだように寝ていられるほど、私は弱くない」
クレアは乱れた息を隠すようにフンと鼻を鳴らし、悠然とした足取りで俺の隣へと歩み寄ってきた。
だが、間近で見れば一目瞭然だった。仕立ての良い服の下からは痛々しいほど包帯が巻きつけられており、胸元や腕からは痛々しく血が滲んでいる。肌は幽霊のように青白く、膝は生まれたての仔鹿のように細かく震えていた。……限界を遥かに超えた精神力だけで、立っているに過ぎない。
「お……おい、クレア! ほんとに大丈夫なのかよ……!?」
「だから大丈夫だって言ってるでしょ。あんたは自分の心配だけしていなさい。……それに私が来なきゃ、このまま死刑になっちゃうんでしょ?」
まさか……俺のために。
立っていることすら地獄のような痛みなはずなのに、目を覚ましてすぐにここへ駆けつけてくれたというのか……。
「……ありがとう、クレア」
「ふんっ。お礼はこのバカげた裁判が終わってからにしなさい。……もし生きてここを出ることができたら、たっぷり言ってもらうんだから」
「うん、わかった。……でも、本当にありがとう」
呆れ顔を作る彼女の横顔を見ていたら、どうしようもなく言葉が溢れ出してきた。何度だって言わずにはいられなかった。
「チッ……クレア氏が来たから何だというのだ!」
焦りを隠しきれなくなった貴族の男が、ドンッ!と力任せに自席の机を叩いた。
先ほどまでの不敵な態度は消え失せ、あからさまに感情的になっている。
クレアは冷ややかな一瞥を男に投げかけると、毅然とした声で口を開いた。
「私が屋敷に駆けつけた時、すでにボルタは事を終えて立ち去ろうとしているところだったわ。私が目の前に立ちはだかると、あいつは『意外に早かったな』と呟き、右手を私に向けた。……危険を察して剣を抜き飛びかかったけれど、圧倒的な魔力差で……そこで意識を失ったわ」
それを聞いた貴族の男は、一瞬の停滞ののち、ニヤリと下品な歪んだ笑みを復活させた。
「ハッハァ! それ見たことか! それではボルタとレインが共謀していないという証明には一切ならん! 裁判官殿、もう十分でしょう! 直ちに判決を下されよ! 被告人レインに……死刑を!」
くそっ……! あの時、クレアに少しでも意識があって、俺と父さんの会話を聞いていてくれれば……!
悔しさに歯噛みする。やはり、詰みなのだろうか。
「……うむ。擁護の余地なしと見る。それでは、判決を——」
「ちょっと待ちなさいよ」
裁判長の重々しい宣告を、クレアの声が容赦なく遮った。
「確かに、私に彼を無罪にする証拠はないわ。……だから、私とレインでボルタを捕まえてやるわよ。それで文句ないでしょ? だから、判決を下すのは待ちなさい」
「なっ……!? な、何を無茶苦茶なことを言っているんだ! 裁判をなんだと思っている! 子供のお遊びではないのだぞ!」
「ふざけているのはどちらかしら?」
クレアはゆっくりと首を巡らせ、貴族の男を斬り殺さんばかりの眼光で睨みつけた。
「私はフォントネル家当主、クレア=フォントネルよ。……父を失ったとはいえ、フォントネル家の威信と格が失われたわけではないわ。フォントネル家は……これからも私ひとりで守っていく! あなたごとき格下の貴族が、この私に口を挟むなど万死に値しますわ」
「ぐ、ぐぬっ……!?」
圧倒的な覇気と貴族としての威厳。その気迫に気圧され、男は言葉を詰まらせて引き下がった。
その時、中央に座る裁判官がゆっくりと身を乗り出し、クレアを見つめた。
「クレア=フォントネルよ。貴女に一つ、問いたい」
「……なんでしょうか」
「レインは、貴女の尊い父親を殺害した凶賊ボルタの実子だ。そしてボルタは長年、忠実な従者としてフォントネル家に仕えていたのだろう? 信じていた者に裏切られた痛みが解るはずだ。……にもかかわらず、貴女はレインが自分を裏切らないと断言できるのかね? レインという男を、そこまで信じられる根拠はどこにある?」
静寂が法廷を包み込む。
誰もがクレアの口から出る言葉を待っていた。
クレアは小さく息を吸い込むと、一点の曇りもない真っ直ぐな瞳で裁判官を見据えた。
「はい、信じます。私は……レインの全てを信じています」
「……ほう」
「仮に……仮にいつか、レインが何も言わずに私へ剣を向けたとしても、私はレインを信じ、その刃を真っすぐに受け入れましょう」
「クレア……!?」
俺は目を見開いた。何を言っているんだ、この人は……!
「たとえその剣が私の命を奪うものであったとしても……彼がそうするには、私の為に命を奪う理由があると信じられるからです。何度言ってもいい! 私はレインの全てを信じています」
——私は、レインの全てを信じている。
その言葉が、胸の奥深くに突き刺さった。
視界が激しく歪み、温かい涙が溢れ出していく。袖で拭っても、拭っても、次から次へと涙が止まらない。
父親が犯した罪、世間からの冷酷な視線、死刑宣告の恐怖。その全てを、彼女のたった一言が救い上げてくれたのだ。
裁判官は静かに目を閉じ、小さく頷いた。そして木槌を固い音を立てて打ち鳴らした。
「——判決を言い渡す。被告人レイン。フォントネル卿殺害および国家反逆に関する共謀の罪により……『死刑』とする」
「なっ……!?」
左手で貴族の男が「よしっ!」と下品に拳を握りしめるのが見えた。
俺は静かに目を閉じる。……クレアがここまでしてくれて、それでもダメだったなら、もう悔いはない。最後にクレアに会えて、彼女の気持ちを聞けただけでも……俺は救われたんだ。
しかし——裁判官の言葉は、まだ終わっていなかった。
「——ただし! クレア=フォントネル氏が生存している限り、本判決の執行は『無期限に猶予すること』とする。また、被告人がクレア氏と共にボルタを捕縛、あるいは討伐した暁には、即座に全ての罪を免除し、無罪へ切り替えるものとする!」
「な、なんだと……!? そんなバカなことがあってたまるかぁぁっ!?」
ガッツポーズのまま固まっていた貴族の男から一気に力が抜け、膝から崩れ落ちて頭を抱えた。
傍聴席からは地鳴りのような歓声とどよめきが巻き起こる。
「え……? ということは……俺は、生きられる……のか?」
また、あいつの隣を歩いてもいいんだ——。
生きている実感と歓喜に呆然としていた、その時だった。
「……よかった……っ」
耳元で、風が鳴るような小さな囁きが聞こえた。
振り向いた瞬間、緊張の糸が切れたクレアの身体が、人形のように力なく倒れ込んでいく。
「クレアぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
俺は手錠の鎖を激しく鳴らしながら、倒れゆく彼女の身体を必死で抱きとめたのだった。




