第十話:完全な油断と、雷鳴
熱気に包まれる闘技場の中心。目の前には、全身からギラギラとした覇気を隠そうともしないエーベルが立っていた。
模造刀を軽やかに肩に担ぎ、口元には余裕の笑みを浮かべている。
一方俺は緊張感で、頭が真っ白だった。
「……やっとこの時が来たな、レイン。ここで貴様を叩きのめし、俺こそがこの学園の頂点だと証明してやる」
「俺を倒す……?」
「そうだ。貴様は無様に俺の足元にひれ伏すんだよ。いっときでも俺の上に立った愚かさを、その身に刻み込んで後悔するんだな!」
「俺が負ける……? そんなことになったら、俺とクレアの関係が……ただの他人に戻ってしまうじゃないか……」
「……あ? 何をブツブツと気味の悪い妄想を呟いてやがる」
エーベルが苛立ちを露わにした、まさにその時だった。
「レーイィィィンっ! しっかりやりなさぁぁぁいっ! 勝ったら特大のご褒美をあげるからねぇぇぇっ!!」
観客席の最前列から、腹の底から響くようなクレアの声が鼓膜を揺らした。
ご褒美……!?
雷に打たれたような衝撃が脳裏を走る。
そうだ、すっかり忘れていた! 決勝まで勝ち進めば、クレアからご褒美がもらえる約束だったのだ。負けた時の悲惨な未来ばかりを恐れていて、完全に頭から抜け落ちていた。
ご褒美って一体なんだろう。膝枕か? それとも手料理か? はたまた——。
「——はじめっ!」
楽しみだなぁぁー……ん? いま何か聞こえ——
「死ねやぁっ、レイン!」
「うわっ、あぶねぇっ!?」
思考の海にどっぷり浸かっていた俺の視界に、強烈な勢いで迫る木刀の影。
やばい、完全に反応が遅れた!
剣で受ける体勢は到底間に合わない。咄嗟に半身を捻って回避を試みるが——鈍い衝撃が左肩を打ち抜いた。
「ぐわぁぁぁっ!?」
激痛に思わず絶叫が漏れる。模造刀だから骨が砕けずに済んだものの、安全のために威力を十分の一に抑えた木刀でこの威力。もし刃のついた真剣だったら、俺の左腕は肘上から綺麗な断面を見せて転がっていただろう。
……何をやってるんだ俺は。集中しろ! 目の前にいるのは学園屈指の剣士なんだぞ!
ステップで後方へ飛び、エーベルとの距離を取る。だが、左肩のダメージは予想以上に深刻だった。ジクジクとした麻痺感が走り、指先一つ力が入らない。腕が上がらないのでは、剣の構えすら満足に取れない。まるで本当に切断されてしまったかのようだ。
「フン、他愛もない。あっさりと決着がついてしまったな」
エーベルは勝ち誇った顔で木刀を軽く振り下ろす。
「そんな腕ではもう戦えまい。無駄な足掻きはやめて、おとなしく棄権するんだな」
「バカ言えよ……まだまだこれからだ。俺には、絶対に負けられない理由があるんだからな」
「ハッ、貴族の血すら引かぬ平民の理由など、俺の背負う誇りに比べれば羽毛より軽いわ! まあいい、無様に逃げ回られる前に終わらせてやる。——【ファイアーボール】!」
エーベルの手から放たれたのは、通常の中級魔法よりも一回り巨大で、尋常ではない速度の火球だった。
「くっ……!」
間一髪、地面を転がるように横へ跳んで回避する。
焦げる髪の匂いを感じながら顔を上げた瞬間、すでに視界の半分はエーベルの影で埋まっていた。
魔法を囮にした高速の接近——!
「終わりだぁっ!」
一撃目を、右手に握った剣でギリギリ受け止める。
だが、エーベルの連続攻撃は止まらない。二撃目、三撃目——流れるような演武のごとき連撃が、鋭い風切り音とともに叩きつけられる。
くそっ、速い……! 今まで戦った学園の誰よりも速い……!
片腕しか使えない状態での防御は、酷く劣勢だった。受け流すたびに右腕へ強烈な衝撃が蓄積し、どんどん剣の追いつきが遅れていく。
しかし、土壇場の執念で致命傷だけは回避し続ける俺に、ついにエーベルの堪忍袋の緒が切れた。
「しぶとい虫ケラが……これで潰れろッ!」
上段に高く構えられた木刀に、濃密な魔力が練り込まれる。一撃必殺の溜め攻撃。
逃げられないと悟った俺は、右腕一本で剣を交叉させ、足を踏ん張り全力でその重撃を受け止めた。
打撃音が響き渡り、拮抗の末、エーベルはフッと満足げに距離を取った。
「ほう、耐えたか。俺と戦ってここまで倒されなかった奴は、学園でお前が初めてだぞ。——だが、もう完全に終わりだな」
エーベルが嘲笑を浮かべ、俺の手に握られた剣を指差す。
目線を落とすと、俺の木刀の半ばに、痛々しい亀裂が深く走り抜けていた。次に何かを受け止めれば、間違いなく真っ二つに折れる。
「……さすがに強いな。剣術じゃ到底敵わないや」
俺は深く息を吐き、折れかけた剣を静かに構え直した。
「でも——俺にはまだ魔法がある」
「ハッ、バカかお前は! 確かにお前の魔法が『バカみたいな火力』だということは知っている。だがな、魔法なんてものは距離さえ詰めてしまえば手も足も出ないんだよ!」
バカみたいなって……なんで誰も彼も俺の魔法をバカバカ言うんだろうか……
心の中で小さく凹む。
確かにエーベルの言う通りだ。大規模な攻撃魔法を使う場合、ある程度の距離を取らなければ自分まで爆風に巻き込まれる。さらに、威力を高めれば高めるほど詠唱や発動に時間がかかる。
だからこそ、アイスライトでは一対一の近接戦闘において魔法師は圧倒的に不利とされている——。
——一般的な理論においては。
「じゃあ……試してみるか?」
俺は折れかけた剣を捨て、残った右手をごく自然に、エーベルの鼻先へ向かってかざした。
「させるかあっ! 詠唱の暇など与えん!」
エーベルが目にも留まらぬ踏み込みで間合いをゼロにする。
木刀が俺に届く、その寸前。
「——【ライトニング】」
発動の瞬間、俺の手の平から超高圧の青白色の雷光が爆発した。
「なっ……自爆する気か——っ!?」
絶叫するエーベルの身体を、超至近距離からの雷撃が呑み込む。
当然、ゼロ距離で放たれた過剰なまでの電撃は、術者である俺自身をも巻き込んで闘技場全体へ激しく飛散した。
轟音と白光が収まった後。
全身から焦げた煙を立ち上らせ、ガクガクと膝を震わせながら崩れ落ちたのは——エーベルただ一人だった。
俺はといえば、服の裾が少し焦げた程度で、身体には痛み一つ残っていない。
「な……ぜ……だ…………」
落ちていく意識の限界の中で、エーベルが信じられないものを見る目で俺を見上げてくる。
「実はさ……俺、攻撃魔法だけが得意なわけじゃないんだ。魔法防御も、それなりに異常なんだよ」
以前、魔法の授業で魔法の恐怖と対処を知るという名目で、リタ教官の攻撃魔法を全員で受けるという地獄のような実習があった。
もちろん、威力を十分の一程度に抑えた訓練用だ。クラスメイト達が悲鳴を上げて悶絶する中、俺だけは「ん? 何か冷たい? 熱い?」程度の感覚しか届かなかった。
これでは授業にならないと怒ったリタ教官はどんどん火力を上げていき——最終的に本気の中級魔法をぶち込まれたが、俺が負ったのはほんのすり傷程度だったのだ。
「そん……な……バカ……な……」
糸が切れた人形のように、エーベルはそのまま倒れ伏した。
静寂が闘技場を支配したのも束の間。
「——そ、それまでぇぇぇっ! 勝者、レインっ!!」
教官の宣言と同時に、割れんばかりの歓声と叫びが観客席から巻き起こった。
はぁ……ヒヤヒヤした。それにしても強かったな……
もしこれが模造刀ではなく本物の真剣勝負だったら、不意を突かれた最初の一撃で死んでいたかもしれない。
冷や汗を拭いながら、俺は上がらなくなった左肩を右手で優しくさすりつつ、控え室への通路へと歩き出した。
脳裏にあるのはただ一つ——クレアが用意してくれているというご褒美のことだけだった。
お読みいただきありがとうございました!
少しでも「面白い」「次も読みたい」と感じていただけたら、下の「★」評価やブックマーク登録をしていただけると泣いて喜びます!




