Ep.9
こちらの攻撃を受けた直後、地面に倒れた花屋はツタを維持できなくなったのか、熊倉くんの拘束を解きツタは空へと霧散する。
「はっ...はっ...!ありがとう...。北島くんがいなかったら、僕は殺されてたよ。」
「いやいや、熊倉くんが削ってくれたお陰。こっちこそ、ありがとうね。」
ふわっと和やかな雰囲気が辺りに流れ出し、俺たちは軽く微笑みながらお互いの健闘を称え合った。
ただそんな時間も長くは続かず、熊倉くんはしばらくしてから視線を花屋の方へと向ける。ざっくりと切られた背中からは鮮血。けれどその傷を繋ぎ止めるように、植物のツタが針の要領で止血を試みている。
「...殺さないと。」
熊倉くんはぽつりと、そう呟いた。空気の温度がどんどん下がって、身体中の体温が奪われていくような錯覚。
殺すべきだ。そうじゃなきゃ、花屋に殺されてきた人も浮かばれない。こいつは何人も、何十人も人を喰ってきた食人鬼で。
ここで殺さなければ多分、この先ももっと人死が出る。だから、熊倉くんの言っていることはまさしく正論だ。
「でも、殺すことが正しいなんて...思えないんだよな。」
溢れ出る血が止まり、花屋は浅い呼吸を繰り返し続けている。普通ならもう既に死んでいてもおかしくない外傷だが、こいつを放っておくと十中八九生き延びるのだろう。
「そうだね。...ずっと、僕は間違っているんだ。でもじゃあどうする?司法に任せるかい?証拠が出ればいいけど、僕らの力は超常の異能。証拠不十分で不起訴になんてなったら、目も当てられないだろう。」
失った命は戻ってこない。花屋が奪ったたくさんの人生は、もっと未来があるはずだった人生はもうどこにも存在しない。
血には命で贖いを。殺には死罰の弔いを。こんな風に、憎しみを憎しみで返すなんて悲しすぎる。それじゃあ、いつまで経っても殺し合いなんて無くならない。
「綺麗事だけど、こいつだって今から変われるかも...!そうやって信じなきゃ、何にも始まらない...。」
「...じゃあ殺されたのが、北島くんの恋人だったら?友人、両親、兄妹でもいい。親しい人が殺されていたとして、君は同じことが言える?」
言えない。これは偽善だと分かっている。無責任な第三者だから言える言葉だと、自分でも吐き気がするぐらい理解している。
本当に、それしかやり方がないのか。それ以外に、何か出来ることだってもっとあるんじゃないのか。そう言おうとして、俺はやっぱりそれを口に出すことは出来なかった。
何故なら自分では、何も思いつかなかったからだ。どうすればいいのか分かってもいないのに、俺は熊倉くんに自分勝手なエゴを叩きつけている。
「...僕は人を殺すのなんか、これが初めてじゃないんだよ。だからって平気になる訳じゃないけどさ、それでもやっぱり慣れちゃうから。」
彼はそう、気遣いの微笑みを浮かべてから辺りに落ちていた大きめの岩へと触れる。そうして、彼はそれを昏腑の力で遥か上空へとゆっくり飛ばしていった。
「個人的には、北島くんの方が正常だと思うんだ。人殺しなんて、糾弾されて然るべきだよ。だから...だから君は、そのままでいい。」
岩はどんどん、上へ上へと登っていく。ギロチンの刃が吊り上げられるように、ゆっくりと確実に。
もうギリギリ命を繋ぎ止めることしか出来ず、指先一つも動かせそうにない花屋。逃亡も反抗も諦めて、ただ死を待つように花屋は登る岩を目で追っていた。
「...遺言ぐらい、あれば聞くけど。」
「ないですね。...悔いは一つもありません。どうぞ、あとはお好きに。」
ピタッと、もう目で追うには小さすぎる大きさになった岩が空で止まる。それから熊倉くんは音もなく目を閉じて、小さな呼吸と共に能力を解こうとした。
「...待った!待って、待ってくれ。」
「...北島くん。さっきも言ったけど...。」
「違う。そうじゃないよ熊倉くん...。俺に、俺に殺させてくれないか?」
力を精一杯振り絞って、俺は剣を生み出す。鉄の乗った鈍の色が、いつもの数十倍も重い。その重さを手放すことなく、俺は花屋を見た。
「...なんで殺した。なんで、なんでなんだよ。」
「...私がそうしたかったから、です。私は私の殺した17名の方...片足を奪った1名の方に謝罪することはありませんし、後悔も同様にしていません。」
「んなわけねぇだろ!そんな風に...!そんな風に出来ちゃ居ないだろ...人の心は...!」
俺は剣を振って、花屋の眼前に突きつける。少しでも、たった一歩でも前に出れば、刃が顔を貫く距離。
それなのに、花屋は表情一つ変えずに空を見上げたままだった。しかし一瞬、目線が空からこちらへと移る。
「あなたは、とても優しい。そんなあなたに手を汚させてしまうこと、ひどく残念に思います。」
「人の事だって思いやれんじゃねぇか...!それなのに、お前はっ...!」
「ひとつ忠告を。人は、簡単に歪んでしまう。心もそうです。だから、そんなに重く捉えない方がいい。」
そんなに人間味を出すな、余計殺せなくなる。俺はそんな風に思って、それから剣を大きく振り上げた。
熊倉くんの言う通り、これは間違った行為だ。ならそれを、ずっと他人に押し付け続けるのか。自分が殺したくないから。自分だけが正しいままでいたいから。
そんなのは卑怯だ。偽善だ。不誠実だ。自分勝手に安全圏から、好き放題適当にものを言っているだけじゃないか。
「...殺す。」
「えぇ、どうぞ。」
頬に熱い何かが伝う。それは重力に従って、ぽたり、ぽたりと地面に落ちた。剣を振り下ろした後、俺はそれを振って自分の顔を拭う。
暗い夜だから、手についた液が何色をしていたのか分からない。それでも俺は、この熱さをきっと一生忘れられないんだろう。
「...こんなこと、君がする必要なんて。」
「あったよ。あった。俺が、殺さなきゃいけなかったんだ。」
目を逸らすように、俺は空を見た。花屋が見ていたものと、全く同じ空。俺は、あいつと同じものを見れていたんだろうか。
するとその時、ぐぅとお腹が鳴った。昼から何も食べていない。人を殺した後でも、お腹は空くんだなと俺は嫌になる。
「...食べれそう?」
「うん、食べなきゃな。」
「なら...奢るよ。...ラーメンでいい?」
「こんな血まみれで、店なんか行ったら警察呼ばれるな。」
クタクタの体を、お互い肩を預け合う事で進ませていく。人を殺した感触がまだ手の中に残っているのに、力が抜けているのか雰囲気はどこか軽やかだ。
俺たちはそうやって、現場から離れようと路地を抜けた。ただその奥、静かな住宅街の中に、見知らぬ男女が二人佇んでいる。
「おいマジか、花屋死んでんだけど。っかぁ〜!せっかく勧誘しようと思ってたのにさぁ!どう思うよ?」
「別に。『シャーデンフロイデ』にあんな雑魚必要ない。」
「ツレねぇじゃん〜?なら、花屋殺したこいつらは、花屋より強いってことだろ?ならもうこいつらで良くね?」
聞いたことのある名前が飛び出し、俺はぶわっと額から汗が滲み出た。そして熊倉くんの方は俺より酷く、顔面が真っ白になって目を大きく見開いている。
『シャーデンフロイデ』。黒崎さんが言っていた、野良のものとは一線を画した強さを持つモルフ集団。
そんな相手を前にして、俺たちは既に満身創痍。退避も不可、勝負は論外、ついて行くのは有り得ない。
どうする。どうすればいい。疲労に疲労が重なる脳みそが、それでも生きようとぐるぐる回る。しかし、出される答えは全て同一。
打つ手なし。立っているのがやっとの状況で、俺はひたすらに歯を食いしばって相手を睨みつける。すると、いつかに聞いた声がする。
「久しぶりだな臆病者。随分ピンチが板に付くじゃねえか。」
指に弾ける硬貨の音色。学生服を身に纏い、コツコツ靴の足音を立て、既知の少年が顔を出す。
彼はその全身から、立ち上るような殺気を帯びて男女の方を見ていた。そうして一言、短く言葉を吐き捨てる。
「墓が要るな、二人分。」




