第一章③ マクシム隊
マクシミリアン・ブーケ隊の宿舎の食堂は、昼下がりの穏やかな陽射しが窓から差し込んでいた。
木製の長テーブルにはメリッサが腕を振るった昼食が並ぶ。温かいスープの湯気が立ち、鶏肉の煮込みからは香ばしい匂いが広がっていた。
ソフィーとシャルルは並んで腰を下ろす。
気づかぬうちに距離が近く、二人の間に漂う柔らかな空気に、背後に座っていたアニータが思わず目を瞬いた。ちらりと覗き見るリゼーヌ、気まずそうに咳払いして通り過ぎるダヴィット、ニヤニヤを隠そうとするスザンヌ。それぞれが小さな反応を示していたが、当の二人は気付く様子もなかった。
「なんというか、珍しい組み合わせだねー」
ペネロペが眉をひそめながら呟く。
ジョルジュもそっと声を漏らした。
「ただの医者と患者、ってわけじゃなさそうだ」
二人の間には、柔らかな沈黙が流れ、ソフィーは思わず髪を整えながら微笑む。
シャルルも少しだけ視線を下ろし、頬に軽く影が落ちた。
周囲の隊員たちはそんな二人のささいな仕草にも気づき、密かにざわめいていた。食堂の穏やかな空気の中、ソフィーとシャルルは楽しげに昼食を囲む。料理の話やささいな冗談が飛び交うたびに、シャルルの眉が柔らかく動き、ソフィーの笑顔にふっと頬を緩める。
その様子を少し離れた席からグウェナエルがじっと見つめていた。
普段は冷静な彼もいつもより眉を深くひそめ、手元のナイフをなんとなく弄る動作に苛立ちが滲む。
心の奥ではソフィーの笑顔に自分も触れたいと思いつつも、素直に口にできないもどかしさが渦巻いていた。
やがてグウェナエルは一人で食べようとしていた席を立ち上がる。足音を立てずに二人の側まで歩み寄り、にやりと薄く笑みを浮かべて言った。
「ずいぶん楽しそうだな。……俺も混ざっていいよな」
思いがけないその声にソフィーは一瞬、目を見開いた。困惑しつつもなんとか挨拶を返す。
「え、グウェナエルさん? ええ、構いませんけど…」
グウェナエルがソフィーの隣に座ると、空気がほんの少し張り詰めた。ソフィーは軽く肩をすくめ、困惑した表情のまま言葉を紡ぐ。
「……そういえば、お二人はよくご一緒に行動してますもんね。すみません、シャルルさんを横取りしちゃって」
グウェナエルは黙ってうなずき、無言のままもわずかに口元を歪める。手元のナイフを弄る動作がいつもより早くなり、明らかに苛立ちを隠しきれていない。心の中ではソフィーの笑顔がシャルルの方ばかり向いていることに、密かに嫉妬心が燃え上がっていた。
シャルルはその様子に気づきハッと目を見開く。すぐに視線をグウェナエルに向け、眉を軽くしかめ、口元を引き締める。まるで無言で弁明するかのように、「ごめん、そんなつもりじゃ…」という気持ちが表情に滲む。
ソフィーはその二人の視線のやり取りには気づかず少し笑みを浮かべて自然にシャルルの髪を整える手を動かす。するとグウェナエルの視線がソフィーの手元にちらりと向き、さらに胸の奥で嫉妬が膨らむ。
「…ふん、なるほどな、あの頃よりだいぶ仲よさそうにしてるじゃないか」
小さくつぶやきながらもグウェナエルは無理に平静を装い、ナイフを机に置いた。その微かなため息にシャルルは目を細め、再び静かに弁明するように視線を送った。
遠くから三人のやり取りを見つめていたロザリーは眉をひそめる。
ソフィーがシャルルと自然にやり取りする様子、そしてグウェナエルのわずかな苛立ちを目にし、胸の奥で複雑な思いを抱いた。
「ソフィー、かわいそうに。あのままにするわけにはいかないわね」
ロザリーはゆっくりと立ち上がり、自分の食事を抱えてソフィーと対面するように腰を下ろす。いつもの冷静さを保ちつつ、微かにほころんだ表情を見せながら柔らかく言った。
「私もご一緒してもいいかしら?」
ソフィーは少し驚きながらも微笑み、目を輝かせて答えた。
「はい、もちろんです」
ロザリーは何事もなかったかのように座り、視線を前方に戻す。しかしその瞳の端では無意識のうちにグウェナエルとシャルルを静かに見据えている。グウェナエルとシャルルは一瞬、視線を感じ取り小さく眉をひそめたが、ソフィーはもちろん気づかない。彼女はそのまま二人の間に混ざった穏やかな空気の中で昼食を楽しんだ。その様子を見て、ジョルジュは思わず声を上げる。
「え、なになに何が起きてるの?」
ペネロペは半ば呆れたように笑いながら言う。
「あたし、夢でも見てるのかな」
その空気を和ませるように、メリッサがにっこり笑って言った。
「えへへ、みんな仲良くしてよろしい!」
食堂にほんのりと和やかな笑い声が広がっていった。
食堂のざわめきの中、その光景を眉をひそめて見つめる者もいた。
ダヴィットは硬い表情のまま声を低く吐き捨てるように言った。
「いつまた海賊が襲ってくるかわからないのに、平和ボケしてるな」
一方、リラはやや感嘆の混じった声で静かにソフィーのことを称賛した。
「でも、ソフィーは凄いね。心を硬くした者を溶かすことができるなんて。私にはできないし、考えられないことよ」
そのリラの言葉に気づき、マクシムがふと我に返ったように声を上げる。
「……ん? ああ、そうですね、ライラック」
彼の視線はどこか遠くを見つめていた。
昼食を終え、静かな宿舎の庭先に一頭の早馬が激しく尻を蹴り上げて駆け込んできた。
鞍に跨った男の姿はアルフォンス・シャトレ本人。
「伝令です! ソフィー・ド・ルノアール軍医はいらっしゃいますか?」
彼の声は切迫し、焦りが滲んでいた。手綱を握る手に緊張が走る。
ソフィーはすぐに手を挙げて申し出る。
「私です。何かありましたか?」
アルフォンスは一瞬息を整えるが、視線は庭の隅まで鋭く走る。
「緊急です。フェルナンドとベルリオーズが突然倒れました。他の医者は診察を拒否しています。ルノアール軍医、貴方にお願いせざるを得ません。どうか、すぐに僕の後ろに乗ってください!」
マクシムが淡々と告げる。
「総司令部からの指令です。構わず行ってください」
ソフィーは迷うことなく、アルフォンスの馬の背にしがみつくように乗り込んだ。心臓は高鳴り、胸の奥がざわつく。病に倒れた二人を思い浮かべると息が詰まるようだった。
アルフォンスが鞭を軽く振るうと、馬は砂煙を巻き上げながら一気に疾走し始めた。背中で馬の鼓動を感じながらソフィーの決意は固まる。
その様子を見ていたアニータが小声でつぶやく。
「フェルナンドとベルリオーズさんが…急にどうして?」
隣のダヴィットは険しい表情で答えた。
「……不自然だな」
宿舎には重い空気が漂い、緊迫感がじわりと広がった。アルフォンスの額には汗が光り、手綱を握る手の震えが馬の足取りに微かに伝わる。その焦りは状況の切迫ぶりを無言のまま伝えていた。




