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第九章④ ソフィー 続き

 翌朝。港はまだ朝霧に包まれていた。

 戦闘の傷跡は静けさの中で異様に目立ち、昨日の歓声や緊迫した銃声の記憶がまるで空気に染み付いているかのようだった。

 マクシミリアン・ブーケ隊をはじめ、各部隊の隊員たちはほとんど眠れぬまま港に集まった。

 昨日の戦闘で散った仲間たちの遺体を港で見送るためだ。小さな祭壇のように整えられた場所には、ろうそくの灯が三回揺らぎ、消えぬ祈りの意志を象徴している。

 隊員たちは一列に整列し、目を伏せる者、こらえきれずに震える手で涙を拭う者、胸元の軍章を握りしめる者、それぞれが静かに深い思いで亡き同士のために祈りを捧げた。

 マクシムは少し離れた位置から隊員たちの背中を見渡し、沈黙の中で目を閉じる。

 昨日の戦いの重み、そして自分が明かした秘密が、彼の胸に影を落としている。

 彼の隣でソフィーも同じく祈りを捧げていたが、彼女の表情は穏やかさと悲しみが交錯していた。

「……皆、よく耐えた」

 マクシムの心の中でだけ、そっと呟かれる。言葉に出さずとも、その想いは確かに港の空気に染み渡った。

 隊員たちの祈りが一巡し、静寂が港を支配する。

 今日も命を灯し、そして散っていった仲間たちの存在が改めて胸に刻まれる瞬間だった。

 港に一瞬の静寂が訪れたところで、エリオットがゆっくりと歩を進める。疲れた表情ではあるが、その背筋には長年の戦場経験に裏打ちされた威厳があった。彼は隊員たちの前で立ち止まり、深く息を吐いてから声を発した。

「昨日の戦いにおいて、皆、よく戦った。私は心から感謝している」

 彼の声は低く、一人ひとりの胸に届く力を持っていた。隊員たちは背筋を伸ばし、彼の言葉に耳を傾ける。

「しかし、勝利の喜びに浸る前に、まずは亡くなった仲間たちに想いを捧げよう。彼らは、我々のために、未来のために、命を灯し、散った」

 エリオットの視線は港に置かれた小さな祭壇を映し、ろうそくの光がその輪郭を浮かび上がらせる。

「今日は彼らのために祈る時間としよう。喜びや悲しみは重なり合うものだ。しかし、それを抱えたまま我々は進むしかない」

 大元帥の声に隊員たちの胸は震える。戦場での恐怖、同士を失った痛み、そして戦い抜いた誇りが入り混じる瞬間だった。

「命を賭した者たちの想いを忘れることなく、明日からも前に進め。我々はただの兵ではない。仲間のために、民のために、そして未来のために戦う者だ」

 エリオットの言葉に港に集まった隊員たちは静かにうなずく。

 この瞬間、港はただの戦場跡ではなく命を讃え、思いを共有する場となった。

 隊員たちの胸に、昨日の恐怖も、失った痛みも、仲間のために戦う決意も確かに刻まれていった。

 港の静けさを背にエリオットはさらに声を張った。

「また、陸軍の諸君にも感謝したい。君たちの活躍は、必ずや国王陛下の耳に届くであろう。昨日の戦いにおいて、陸軍も海軍も、互いに支え合い、力を尽くしたことを私は誇りに思う」

 隊員たちの目が一斉に大元帥へ向く。疲労の色を帯びた顔にも、誇りと決意の光が宿った。

「明日から再び、いや、これまで以上に誇り高く海軍員として生きてほしい。民を守り、仲間を守り、そして自らの信念に従って生きること。それが、我々が選んだ道だ」

 エリオットの声はゆっくりと港全体に響き渡り、波音や風と重なって重厚さを増した。隊員たちは言葉を胸に刻み、背筋を伸ばす。

「今日一日は亡くなった者たちに祈りを捧げ、思いを新たにせよ。そして明日からは、我々が築き上げる未来に向け、力強く歩み出そう」

 エリオットの言葉を最後に、港の空気は静謐と決意に包まれた。

 ソフィーは小さく息を整え、仲間の背中を目に焼き付ける。

 マクシムもまた隊員たちの表情をひとつひとつ確かめるように見つめ、力強く頷いた。

 港での祈りと大元帥の演説を終えて隊員たちがそれぞれ散会していく中、ソフィーはマクシミリアン隊とともに宿舎へ戻ろうとしていた。

 すると、アルフォンスが手を軽く挙げ、彼女に静かに手招きをした。

「フェルナンドがあなたに会いたがっています。この後、お時間は大丈夫ですか?」

 ソフィーはふとマクシムの方を見た。彼女と目が合うとマクシムは短く頷き、行ってよいという合図を送る。

「大丈夫です。お願いします」

 ソフィーの言葉にアルフォンスは小さく礼をして、穏やかな足取りでブレスと城内の応接室へと案内する。廊下の奥、重厚な扉の向こうにフェルナンドが待っているという。


 扉を開けると、柔らかな光に照らされた応接室にフェルナンドが腰掛けていた。目が合うと静かに立ち上がり、微かに頭を下げる。ソフィーは深呼吸し、少しだけ緊張した面持ちで部屋に一歩踏み入れた。

「フェルナンド……」

 ソフィーの微かな声が静かな室内に溶け込む。アルフォンスが応接室の扉を閉めると、静かな空気がソフィーとフェルナンドを包んだ。

 ソフィーの視線が自然と部屋の奥に向かうとすでにフェルナンドは椅子に腰掛けており、その隣にもう一つ空席があった。だが、よく見ると椅子の陰に誰かが身を潜めている。

「あ……あなた、いたんですね」

 ソフィーの声に、陰の主ベルリオーズが視線を上げてわずかに苦笑した。

「ええ、少し前からここにいました。貴方とフェルナンドの会話を静かに見守るためです」

 フェルナンドは軽く微笑み、ソフィーに目線を戻す。

「ソフィー、昨日は助けてくれてありがとう」

「ええ、元気そうね」

 ソフィーは緊張した面持ちで、少し間を置いて言葉を続ける。

「戦いの後、こうしてまた会えるとは思わなかった」

 フェルナンドの目には戦闘の疲れが浮かびつつも、温かさが宿っている。

「ボクもだ。でも、こうして再会できたのも、君の勇気と判断のおかげだよ」

 ベルリオーズはそのやり取りを静かに見つめ、時折鉛筆を手に記録するようにノートに何かを書き留めている。ソフィーは一瞬視線を向け、微かに頷いた。

「……ベルリオーズさんも知らせてくれればよかったのに」

「ええ、でも必要ありませんでしたね。君たち二人の会話に割って入る理由もないですから」

 部屋にはしばし静寂が落ちる。ソフィーは深呼吸し、フェルナンドに向き直る。

「今日は、何かご用があって?」

 フェルナンドは軽く肩をすくめ、微笑んだ。

「君に直接、感謝を伝えたくて。そして、これからのことについても少し話したい」

 ソフィーの胸がわずかに高鳴る。戦いの余韻と複雑な感情が混ざり合い、静かでありながらも重みのある時間が流れていく。応接室の空気は重く、昼間の光を遮るようにカーテンが垂れ下がっていた。

 ソフィーは深く息を吸い、フェルナンドを見据える。声を押し殺すようにして口を開いた。

「あなたはこれからもここにいるの? それとも、釈放?」

 フェルナンドは目を伏せ、肩をすくめる。

「いや、そういうわけにはいかない」

 その言葉には迷いも温情も含まれていなかった。

 ソフィーの胸がきゅっと締めつけられる。

「……え?」

「ボクは、これからトゥーロンに向かう」

 彼の声は静かだが、言葉の重みがソフィーの胸に鋭く刺さる。

「どんな理由で……?」

 思わず問いかけるソフィーの声が震え、唇が微かに震えた。

「捕縛だよ。ほら、ボクは海賊だし、脱走もした」

 フェルナンドの言葉の裏に漂う諦観に、ソフィーは息を飲む。

「でも、あなたの脱走には理由があって……」

 ソフィーの声には、かつて彼を守れなかった悔恨も、今なお彼を信じたい気持ちも混ざっていた。

「どんな理由であれ罪を犯したんだ、色々とね」

 フェルナンドの瞳は揺らがない。冷たい現実がソフィーの心を打ち据えた。

「……誰が決めたの?」

 彼女の問いには、震える声の奥に怒りと無力感が入り混じっていた。

「他ならぬ大元帥さまだよ」

 彼の淡々とした言葉にソフィーの胸は一瞬で重く締めつけられた。そして、彼女は言葉を失い、応接室のドアへと歩み寄る。視線は床に落ちたまま、心は葛藤で渦巻く。

「……」

 彼女の背後からアルフォンスの慌てた声が響く。

「あ、お待ちを! どこへ行くのですか!」

 だが、ソフィーの足は止まらない。

 ベルリオーズはフェルナンドの横顔を見つめた。

「フェルナンド。トゥーロンに行くとは俺も聞いていない」

 ベルリオーズの言葉の奥には警戒と困惑が混ざっていた。

「そこで何があるんだ?」

「決まってるじゃないか」

 ベルリオーズの問いに、フェルナンドは軽く肩をすくめて答える。

「罪人が向かう先は、一つしかない」

 フェルナンドの言葉が響いた瞬間、ベルリオーズの手から鉛筆が落ちた。木材が床に触れる音が静寂を切り裂き、彼の顔は血の気を失い、目は恐怖に見開かれていた。

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