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第九章③ ソフィー

 マクシムはゆっくりと息を吐き、隊員たちを見渡した。

「ソフィーに、秘密を明かしました」

 その言葉を聞いたグウェナエルは、しばし静かに視線を落としたまま小さく息を吐く。

「……ついに言いましたか」

 重みのある声に、普段は冷静な彼の内面で渦巻く驚きと安堵が垣間見えた。

 シャルルはそっとソフィーの肩に手を置く。その目は、まるで「良かったね」とでも言いたげに柔らかく、けど鋭い光を含んでいた。ソフィーは一瞬肩越しに視線を合わせ、言葉にはしない感謝を返す。

 リラは言葉を選ぶように口を開いた。

「それで、ソフィーはどうするの? このまま私たちと協力者として従うの?」

 リラの問いかける声には、好奇心だけでなく少しの警戒心も混ざっていた。

 マクシムは肩を軽くすくめ、少し微笑みを含ませる。

「彼女は、僕の暴走する心を繋ぎ止めてくれるそうです」

 その言葉にリラは小さく頷く。

「そうですか。確かに、隊長は戦闘になると頭に血が昇りやすいですからね」

 柔らかい口調ながらも、確かな理解と尊敬が含まれていた。

 ソフィーは少し躊躇い、息を整えながら口を開く。

「あの、一つお聞きしたいことが」

 マクシムは軽く視線を向け、静かに応える。

「なんでしょう?」

 ソフィーは一瞬、言葉を選ぶように視線を落とす。

「私の前任だった、マルセロ・ロペスのことなんですけど」

 マクシムの胸中に、あの海賊船での出来事が蘇る。

 マルセロは、彼の秘密を握っていた。海軍に忠誠を誓う彼が、海軍としての立場を利用して、いつか自分の秘密が露見するのを恐れていた。だから、海賊に情報を売った裏切り者役として海賊船に巻き付けて爆破と共に彼を排除したのだ。

「……あの男も、僕の秘密を知っていました。海軍の犬として、いつかバレることを恐れていたんです」

 ソフィーは息を呑み、言葉が出ない。マクシムは低く続ける。

「だから、僕が自ら手を下さざるを得なかった。最終的には、あの男を排除するしかなかったんです」

 シャルルはソフィーに向けて微笑む。肩を軽く叩き、言葉なく「大丈夫」とでも伝えるように見つめる。リラはそっと息をつき、理解を示すように頷いた。

「やっぱりそうですか……でも、だからこそ、隊長がこの秘密を守っていたことが分かりますね」

 ソフィーはしばし沈黙してマクシムの言葉を反芻する。

 彼の決断、秘密、そして重さ……すべてが彼女に伝わり、胸の奥が熱くなる。

 彼女はゆっくりとマクシムの横に歩み寄り、静かに声をかけた。

「隊長、今後、どうされるのです?  戦闘も終わって、大元帥もパリにお帰りになると思いますが」

 マクシムは書類や地図の散らかった机に手をつき、肩をすくめる。視線は遠く窓の外にある中庭を見やるようで答えは簡単には返ってこない。

「……正直、あなたの前でああ言ったものの、実は決心がついていないのですよ」

 リラ、グウェナエル、シャルルは黙ったままドアの脇で静かにそのやり取りを見守る。

 ソフィーは慎重に言葉を選びながら問いかける。

「もしかして、メリッサの言葉が隊長を悩ませているのですか?」

 マクシムの瞳が一瞬揺れ、机の上の書類から視線を外す。

 あの時、死の間際に放たれたメリッサの言葉——「復讐は嫌い、憎しみの連鎖はたくさん。どうか、仲良くしてほしい」。胸の奥で何かが疼く。彼女の望みが、自分の心に静かな重みを残していた。

「……確かに、彼女の言葉は突き刺さります。復讐や怒りに満ちた日々の中で、あれほど純粋な望みを聞いたことはありませんでしたから」

 ソフィーは小さくうなずき、静かに視線を合わせる。

「では、隊長ご自身の心に従われるのが良いのでは……」

 マクシムは微かに笑みを浮かべ、書類に目を落とす。

「ええ、そうかもしれませんね。あなたの言葉も、心を整える助けになる……いや、むしろ重荷を背負わせてしまったかもしれません」

 沈黙の中、マクシムの瞳は深い思索に沈む。

「しかし、今一つだけ確かなことがあります。仲間たちの前で心を乱すことなく、皆を守り抜くこと。それだけは揺るぎません」

 ソフィーはその言葉に、静かに微笑みを返した。彼女の瞳には少しの安堵と尊敬が宿っている。それから、ソフィーは机の上に手を置いて静かに問いかけた。

「隊長。隊長が仰ってた、多民族集団というのは?」

 マクシムは視線を遠く窓の外に向け、しばし沈黙した後に答える。

「故郷を追われた者たちが集まった集団です。生まれや民族に関係なく、ただ生きるために同居している。強いて言えば同盟といった方がいいのかもしれない。とにかく、追われた者たちが集まって生活していた。僕もその一人でした」

 机の端に置かれた地図を指でなぞりながら、マクシムは語り続ける。

「漂流の末、彼らはエル・イエロ島という島で生活していました。しかし島での生活も過酷でね。ゼフィランサスは苦しむ仲間たちを救うために、やむなく海賊行為に手を染めたのです」

 ソフィーは目を細め、言葉を選びながら静かに口を開いた。

「つまり……正義というのは、立場や状況によって変わるのですね」

 マクシムは首を傾げ、微かに苦笑する。

「そうですね。僕の場合は、復讐としての正義です。僕を苦しめた者たちに、そして仲間を傷つけた者たちに、自らの手で報いをもたらす。それが僕の正義でした」

 シャルルは窓際に立ち、外の暗闇を見つめながら言う。

「ぼくの正義は、歴史を変えるためのもの。過去の過ちを繰り返さぬよう、未来のために行動すること――それがぼくのやるべきことだ」

 グウェナエルはマクシムに近づき、低く頷きながら口を開いた。

「俺は、信じた仲間のための正義を貫きたい。誰かのために自分を犠牲にできる覚悟こそ、俺の信じる正義だ」

 執務室の空気は一瞬、重く沈んだ。しかし、それぞれの言葉には強い意志が込められており、静かながら確かな響きがあった。

 マクシムは深く息をつき、窓の外の星空を見上げる。

「正義は、こうして語るだけでは決して一つにはならない。だからこそ、互いの立場を理解し、時には衝突しながらも前に進むしかないのでしょう」

 シャルル、グウェナエル、リラもそれぞれ静かに頷く。執務室には戦闘の疲労とはまた違った、決意の重みが漂っていた。

 ソフィーは静かに視線をリラに向けた。

「リラさんは、なぜ隊長の側にいるのですか? リラさんの正義とは、何でしょう」

 リラは少し間を置き、机に置かれた書類の端を指で撫でながら答えた。

「……あの時、セルティック・シェルフで隊長に助けられた。私があのまま倒れていたら、今こうして皆と話すこともできなかったでしょう」

 目を細め、遠くを見つめるようにしてリラは続ける。

「その恩を忘れず、隊長のために力を貸す。それが、今の私の正義。誰かのために、自分ができることを全力で尽くすこと」

 ソフィーは静かに頷く。

「なるほど……リラさんの正義は信じた人を守ること、ですか」

 リラは微かに笑みを浮かべ、視線をマクシムに戻す。

「そう、ね。正義という言葉は大きすぎるわね。私の正義は、恩を返すこと、そして仲間を守ること――それだけよ」

 執務室の空気は少し柔らかくなり、戦場の緊張と正義の話題で張りつめていた心が、わずかに和らいだようだった。

 ソフィーが静かに言葉を紡ぐ。

「こうして話したことで、皆さんの立場や正義はよく理解しました。私は、軍人であり医者でもあります。苦しみは癒してあげたい。私は、皆さんが憎しみに蝕まれて苦しむ時に手を差し伸べる存在でいようと思います」

 その言葉を聞き、マクシムは一瞬視線を落とした後、ゆっくりと顔を上げる。目には戦場で見せた鋭さとは異なる、穏やかで柔らかい光が宿っていた。

「……なるほど。君は、皆の痛みを受け止める覚悟があるのですね」

 言葉には尊敬と信頼が滲んでいる。マクシムは少し笑みを浮かべ、手を軽く差し伸べた。

「君がいるなら、僕は安心して思い切り戦うことができる。君の正義が、僕の暴走を抑えてくれる……そう信じよう」

 ソフィーは軽く微笑み返す。その瞬間、執務室の空気は戦闘の余韻を保ちながらも、どこか希望の光に満たされた。戦場の苦悩と正義の交差点で、互いの覚悟と信頼が確かに結ばれた瞬間だった。

 マクシムは立ち上がり、静かに扉の方へ歩を進める。

「さて、もう夜遅いので寝ましょうか。皆さん、お引き止めしてすみませんでした。ゆっくり休んでください」

 隊員たちはそれぞれ自室へと散らばっていく。静かになった執務室の中、ソフィーだけがまだそこに残っていた。

「どうかしましたか?」

 マクシムが振り返る。

 ソフィーは低く、つぶやくように言った。

「隊長。メリッサは、知っていたのでしょうか……?」

 計画のことを指す。その声にはまだ不安と戸惑いが混じっている。

 マクシムは少し目を伏せ、穏やかに言った。

「メリッサには、話してません。ですが、察してはいたと思います。それに、彼女も軍人です。色んな戦いの中で、彼女なりに考えたのでしょうね」

 ソフィーは息を吐きながら、さらに問う。

「あの、もしかしてアニータも知ってたんですか?」

 数ヶ月前、マクシムとアニータの間で交わされた謎のやり取りを思い出す。

 あの時、自分とジョルジュは意味がわからなかったが、今ならその一端が理解できる。

 マクシムは静かに頷いた。

「ええ、知ってましたよ。マルセロがアニータに教えたんです。そして、共に僕を告発しようと提案、いえ脅迫してきたそうです。もちろん、彼女はきっぱり断ったそうですが」

 ソフィーの心に、じわじわと重みが広がる。

 アニータは言っていた。彼女は、マクシムを信じたいと。その言葉と今の状況が重なり、自分たちが入隊した当初に感じたこの部隊の闇の一端に、今まさに浸かっていることを実感する。

「……私たちも、共犯者なんですね」

 ソフィーのつぶやきに、執務室の空気は静かに応える。戦場や陰謀の影はまだ色濃く残っているが、同時に、信頼と覚悟も確かにここにあるのを二人は感じていた。

 マクシムはソフィーの視線を感じつつ、少しだけ肩を緩めて背中を向けた。

「……今日は、休め。君もよくやった」

 その声には、戦闘の緊張が完全に解けたわけではない微かな疲労と信頼の色も混ざっていた。ソフィーは軽く息を吐き、そっと頷く。

「はい……隊長も、少しは休んでくださいね」

 マクシムは振り返らずに手元の書類に視線を落とす。だがその背中からは、少しだけ力の抜けた落ち着きが伝わってきた。

 ソフィーは深呼吸を一つしてから、そっと執務室の扉に手をかける。

 夜の静寂と遠くでまだ響く歓声が混じり合う中、彼女はゆっくりと歩を進めた。

 扉を閉めた瞬間、二人の間に漂っていた緊張と覚悟は少しだけ柔らかく残ったままだった。外の夜風がカーテンを揺らし、淡い月明かりが室内に差し込む。

 今日という日、そしてこれまでの戦いの全てが静かに余韻となって二人の心に残った。


 夜も更け、宿舎の廊下には静寂が広がる。

 ソフィーは自室の机に向かい、淡い燭光の下で筆を握った。

 今日一日の出来事、戦場で見た景色、そしてマクシムとの会話が次々と思い出される。


 ……夜の静けさの中、隊長の言葉の余韻が頭を離れない。

「正直、決心がついていないのですよ」

 その一言の裏には迷いだけでなく、何かを守ろうとする強い意志が潜んでいる。

 彼は戦場では冷徹で、時に非情に見える。しかし、今日の姿を見て私は初めてその裏側にある人間らしさを感じた。

 誰にも見せない弱さ、葛藤、迷い。それでも部下や仲間を守ろうとする覚悟がある。

 そう思うと、胸の奥がざわつく。私にだけ見せるその一面は戦場での鋭い眼差しとは全く違う。包帯を巻く手の動き、首筋の傷に触れる指先。どれも無言でありながら、彼の思いを伝えてくる。

 私はその温もりを逃さず、見守らなければならない気がした。

 守るだけでなく、理解し、支える存在でありたい。そんな思いが胸に広がる。

 それに、マルセロの件。彼が秘密を握っていたことを知り、隊長がどれほど冷静に厳格に事を処理したかを思うとただ恐ろしい。

 でも同時に、隊長はただ冷酷なだけではない。

 彼の決断の裏には守るべきものを選び、選んだ者たちを守る責任がある。

 その重さを私が理解できるのか、まだ自信はない。


 今日一日の出来事、会話、戦場での緊張、治療の手の感触……全てが絡み合い、心の中で渦巻く。

 私はまだ、隊長の全てを知っているわけではない。

 けれどこれから先、共に歩む者として少しでも力になりたいという気持ちは、確かに生まれている。


 明日も、私はここにいる。

 誰かを救い、誰かの痛みを分かち、そして少しずつ自分も強くなるために。

 そして、隊長の迷いと覚悟も、私は忘れずに胸に刻んでおこう。

 それが、今日という日から学んだ最も大きな教訓かもしれない。

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