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第八章⑤ マクシム

 夕焼けに赤く染まる波止場。

 血と汗と戦いの痕跡が交錯する中、ルキフェルとマクシムの視線が戦闘以上の緊張を保ったまま交わり続けた。

 ……だが、マクシムの顔に突如として笑みがこぼれた。血で濡れた頬、荒い呼吸の中で、まるで狂気と悟りの入り混じった笑いだ。

「まさか人ならざる者に、人を守ることを説教されるとはな——」

 膝をついたままマクシムはルキフェルの剣の切先を血まみれになっても掴み返す。

 その握力にルキフェルの表情が一瞬引き締まった。

「人を守る、か」

 マクシムの瞳が怒りや恐怖ではなく、異様な光を帯びた。

「僕が剣を振る理由はただ一つ——他ならぬ、自分自身のためだ。こんな僕に、最初から人を守るなんて到底できなかったんだ」

 マクシムの声が波止場の夕焼けにかき消されることなく響く。

「いざとなれば、僕は仲間を置き去りにするだろう。僕は、生きなければならない——絶対に!」

 マクシムが言い放った瞬間、ニールが低くつぶやいた。

「そういえば、君はどうしてそこまで抗うのかな……」

 賛同するようにジャスパーも眉をひそめる。

「まったくだ。それに、腑に落ちないこともある。もしや、その想いはベルナルドの死にも関わってるな」

 ルキフェルがジャスパーに鋭く振り返った。

「なぜそう言える?」

「勘だ」

 ジャスパーの即答に、ルキフェルはふっと息を吐いて瞳を細めた。

「なら、そうなんだろうな」

 マクシムは切先から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。片手で血に濡れた剣を握り、もう一方の手で波止場の床を支えながら。背筋を伸ばして荒い息を整えるその姿は血まみれの戦士そのものだった。

「ソフィーもいることですし……この際、皆さんに話しましょうか」

 マクシムの声に、ソフィーも五鬼衆もフェルナンドも一瞬だけ息を飲む。波止場の水面に映る夕陽の光が、マクシムの瞳に反射して赤く染まった戦場を照らしていた。

 マクシムは荒い息を吐きながらも、目をしっかりと五鬼衆に向けた。血で濡れた手が震えても、声は意外なほど落ち着いていた。


「僕が海軍に来た理由。それは……迫害されている多民族集団の代わりに、

 ゼフィランサスを——彼を殺された恨みを晴らすためです」


 ソフィーの胸に、ひゅっと冷たい空気が走った。

 ——『ゼフィランサス』という名前は、かつてエリオット大元帥とシャルルの語る姿を思い起こさせる。

 あの日の、彼らの語りの端々。

 マクシムは続けた。

「自分たちの英雄を殺され、今も孤島で苦しむ故郷の人々のため、僕は海軍トップ、この国の英雄を討つつもりです」

 マクシムの言葉のひとつひとつが夕焼けに染まる波止場の空気を切り裂いた。

 ソフィーは胸の奥でざわつきを覚え、視線をそらすこともできなかった。

「……あなたの言うゼフィランサスは、あの——」

 ソフィーはかすかに震える声で問いかける。

 彼女の記憶の奥底で蘇る、エリオットのあの日の語りが彼女の口から自然に出てしまったのだ。

 マクシムの目が沈む夕陽を背に一層鋭く光った。

「はい。あの男のために、僕は今ここに立っています。己の命を賭してでも、正義と名誉のためにではなく、ただ彼の仲間の無念を晴らすためだけに」

 ソフィーはその声を聞き、言葉にならない感情が胸を締め付けるのを感じた。

 エリオットの回想と同じく、個人的な情念が大きな戦いの中で表出しているのだと。

 マクシムはゆっくりと両手を広げた。血と汗で濡れた顔が夕焼けに赤く染まる。

「これが僕の真実です。どうか、あなた達の目で、耳で、感じてください」

 マクシムの声の余韻の中、波止場の波はゆっくりと岸に打ち寄せ、戦いの騒音とは別の時間が静かに流れる。

 ソフィーはしばし言葉を失い、ただマクシムの真っ直ぐな眼差しを見返していた。

 そんな中で、ルキフェルは眉をひそめてマクシムをじっと見つめる。

「多民族集団?  だが、お前はフランス人だろう?」

 マクシムは静かに揺るぎない声で答えた。

「そうですよ。だから僕にしかできないことです」

 マテオが腕を組み、鼻で笑ったような声を上げる。

「おかしな話だな。その海軍のトップとやらは、ゼフィランサスと本当に関係あるんだろうな」

「ありますよ」

 マクシムは迷いなく応じる。

「は?  都合の良い話じゃねえか」

 マテオの言葉には半ば呆れが混じっていた。

 マクシムは深く息をつき、視線を遠くに向ける。

「皆さんはご存知ないでしょう。エリオットとゼフィランサス、二人は親友同士だったということを。エリオットは国家を優先して、親友を討ったのです。僕は、その真意を知りたい」

 その瞬間、マクシムの頭の中に孤島で苦しむ仲間たちの声と怒りの声が渦巻く。


 ——おのれフランス海軍、赦しはしない……!

 ——必ずこの手で殺してやる!


 怒声と悲痛な叫びが交錯し、まるで彼の心臓を掴むように脈打つ。

 マクシムは歯を食いしばり、震える拳を握る。その表情には覚悟と憤りが混ざり合い、決意の色が濃く滲んでいた。

 ルキフェルは一瞬、マクシムの顔を見据えたまま黙る。傍観している他の四人も息を潜めてその空気を感じ取る。戦場でありながら今、そこには血よりも濃い緊張が張り詰めていた。

 マクシムの目は鋭く、わずかに震えていた。

「この秘密だけは……知られたくなかった」

 彼の声には抑えきれぬ重みが宿る。マクシムはさらに続けた。

「僕はこの秘密を、信頼できる人にしか打ち明けていません。ベルナルドにも……打ち明けました」

 だが、彼は拒絶した。

 復讐を肯定しない。それどころか、人を奪うことより、人を救う道を歩め、と説いたのだ。

 マクシムは歯を噛みしめる。

 ベルナルドに怒り恐れた理由は、まさにこの秘密にあった。

 もし秘密が漏れれば、大望は果たせない。

 それだけは、何としても避けねばならなかった。

「秘密を知られた以上、生かしてはおけなかった」

 マクシムの言葉には誰も抗えない重みがあった。

 ソフィーは絶句し、海賊たちも思わず言葉を失う。彼の胸中に渦巻く、濁った強い感情——復讐、怒り、絶望、そして決意——すべてが周囲に圧倒的な存在感を放っていた。

「……これが、ベルナルドを殺した動機です」

 マクシムの言葉が静かに落ちる瞬間、空気は重く冷たく、張り詰めたまま凍りついた。

 ソフィーは目を見開き、言葉を失ったまま足元に崩れそうになる。胸の奥で何かがひっかかり、呼吸がわずかに乱れる。

「……そんな……」

 思わず漏れた彼女の声は震えに満ちていた。信じたくない現実と、目の前の真実が静かに重くのしかかる。

 マテオは眉をひそめ、拳を握りしめたまま唇をかむ。

「……マクシミリアン、お前……本当に……」

 彼の言葉がそこで途切れる。怒り、困惑、そして複雑な憤りが入り混じった表情だ。

 ジャスパーはゆっくりと顔を背け、視線を宙に泳がせる。

「そんなことが、あるのか。その秘密のおかげで、ベルナルドは……」

 ジャスパーが吐き出す声には嘆きにも似た落胆が混じっていた。

 ニールは眉間に深い皺を寄せ、低く呟く。

「……なるほどね。でも、理由がどうであれ……やったことは消せない」

 コリンは無言のまま視線をマクシムから逸らし、拳を握りしめたまま沈黙する。

「……うん……」

 少年の小さな声に言葉以上の衝撃と混乱が滲んでいた。

 波止場に立ち尽くす一同の間に、言葉のない重い沈黙が落ちた。

 風が通り抜け、海の匂いがほんのわずかに混ざるだけだった。

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