第七章④ ブレスト港にて 続き
「守らなくて…は…!」
マクシムは剣を振り上げるが、エドガーはわずかな隙を突いて腕を叩き落とし、そのまま膝蹴り。
直撃を受けたマクシムは膝をつき、うずくまる。港の潮風が冷たく吹き抜け、マクシムの息を白く染める。石畳に響くのは剣と剣の衝突音、蹴りや殴打の鈍い音、そしてマクシムの息づかいだけ。
「……まだだ、まだ……!」
必死に立ち上がろうとするマクシム。しかしエドガーの剣先が顔の前に迫り、再び蹴り飛ばされる。石畳に叩きつけられ、痛みに息が止まる。
「ふん……抵抗もここまでか」
エドガーの瞳は楽しげに光る。狡猾な微笑みを浮かべ、マクシムの動きを見逃さない。マクシムの額に汗と血が混じり、石畳に滴る。手足は疲労で震え、全力での防御もままならない。だが、マクシムの瞳にはまだ消えない意志の光がわずかに揺れていた。彼は身を起こした。呼吸は荒く、腕や脚の震えは止まらない血で湿った袖が冷たく体に貼りつき、視界の端に潮風で揺れる水面の反射がちらつく。エドガーの足音が近づくたびに心臓が跳ねる。
「くそ……!」
エドガーは低く笑い、剣を頭上に掲げた。その刃は真っ直ぐにマクシムの胸を狙っている。
「これで終わりだな」
エドガーは剣を振り下ろす角度を微調整し、マクシムの胸板へ一撃を加えようとしたその瞬間──
「──ッ!」
鋭い金属音と共に、エドガーの剣と手が一瞬止まった。
驚きの表情を浮かべるマクシムの視線の先、連結剣を握ったジャスパーの姿があった。
ジャスパーは巧みにブレードを振りかぶり、エドガーの剣と手を繋ぎ止めていた。
「──ここで邪魔するとはな、ジャスパー!」
エドガーは思わず苦い笑みを浮かべ、手元に力を込める。しかしジャスパーの剣はびくともしない。
ジャスパーが小さく肩をすくめ、にやりと笑う。
「あーあ、おれもう限界だよ。——そろそろ裏切っていいよね?」
彼の声が港の静寂をかすかに震わせ、マクシムの耳に響いて思わず背筋が伸びる。
ジャスパーの影からニール、コリン、マテオの武器が一斉に構えられ、剣先がエドガーに向けられる。
ニールが爽やかに呟く。
「よく耐えた方だよ」
「てか、その武器なに?」
コリンが問いかける。ジャスパーは肩をすくめ、冷静に応じる。
「さっきさ、甲板にこれがあったんだよ。どうも海軍の持ち物らしくて、変なの持ってるなーってさ。だから頂戴しちゃった」
マテオは苦笑しつつも手元を確認しながら言う。
「当然のようにパクるな」
マクシムは思わず悔しさを噛みしめた。
「まさか、この変態的な武器を使いこなしてしまうなんて…」
エドガーの背後から援護があるとはいえ、自分にはできなかった力を目の当たりにして心が少し熱くなる。
ジャスパーはエドガーの動きを封じたままマクシムに駆け寄ったかと思えば、連結剣を巧みに操ってエドガーとの接触を解き放つ。そして、ジャスパーはマクシムの肩に手を置いて低い声で言う。
「隊長さんよお、あんたの本気はそんなもんじゃないだろ? 胸に手を当てて落ち着いてみな。大切なものを守ろうとしすぎて、周りがよく見えてない」
マクシムは言われた通り胸に手を当てる。呼吸を整え、石畳の感触、潮の匂い、すべてを取り込み、心を落ち着ける。
マテオも駆け寄り、小声で続ける。
「それに、エドガーはハッキリ言って弱いぞ」
「うーん、ハッキリしすぎでは?」
「お前だって散々な目にあったんだからわかるだろ?あいつの強さと比べりゃぬるいって」
マテオが笑う。マクシムの頭に、傷だらけの男──ルキフェルの姿が一瞬浮かぶ。あの神的な強さを思い返し、心が再び熱を帯びる。
「そうだ、彼と比べればエドガーなんて……まだ勝機はある」
マクシムは立ち上がって構えを取る。港に漂う潮風が鋭い緊張をさらに研ぎ澄ます。
「ありがとうございます。あなた方に助けられるとは」
マクシムが小さく呟き、胸の奥で覚悟を固める。自由になった手に剣の重みを感じていると、マテオが声をかけてきた。
「ここからはオレたちも援護する。軽くな。お前が全部やれ」
海賊と海軍、立場を超えた一時共闘だ。
マクシムが最初の一歩を踏み出す。剣先を低く構え、石畳を滑らせるように前へ。
エドガーは軽く踏み込み、剣を縦に振り下ろす。
そこに、ジャスパーが連結剣でエドガーの剣を絡めて一瞬の隙を作る。
マクシムは瞬時に体重を後ろに移動させ、膝を軽く曲げて衝撃を受け流す。彼は迷わず前に踏み込み、剣先が光を受けて反射し、鋭い一太刀がエドガーの肩をかすめた。
その場面を見ていたソフィーは自然と眉をひそめていた。
「……隊長の動きにキレがない、何かが足りないんだ」
目の前で戦うマクシムの剣さばきは正確だが、どこか迷いがある。
彼女の頭の中に訓練場でのマクシムの姿が浮かぶ。軽やかに動き、相手の呼吸や体勢を読み切る彼の動き。そのときの鋭さが今はどこか影を潜めている。
「そうだ!」
ソフィーは小さく息をつき、治療の手を止めて自分のそばに置いてあった剣に手を伸ばした。港の石畳に響く激しい剣戟の中、ソフィーの声がはっきりと届く。
「隊長! これを!!」
マクシムは振り返ると、ソフィーは彼にめがけて剣を放り投げた。刃が空中を滑る。時間がスローモーションのように流れる。マクシムは右腕を振り上げ、左手で刃を受け止めた。全身に電流が走る。刃を交差させ、二刀流が完成した。
「ありがとう」
マクシムの目に覚悟が宿る。
「なるほど、二刀流ね」
ニールが感心した声を漏らす。
「これは見ものだな」
マテオも同意し、腕を組んでその戦いぶりをじっと観察することにした。
マクシムが二刀流を振るい、水を得た魚のように戦場を駆け抜ける。右手の剣で防御しながら、左手で鋭く突き、次の瞬間、水平に横薙ぎ。石畳に響く金属音は交響曲のように連鎖する。
エドガーは瞬時に防御を強化するが、二刀流に翻弄され、間合いを徐々に失う。
マクシムは左右の刃を高速で交差させ、防御と攻撃を同時に行う。エドガーの剣の動きを読む目線、脚の踏み込み、体の捻り──すべてが連動し、次の一撃を誘発する。片方の刃で腕を弾き、もう片方で肩を削る。
エドガーは一瞬たりとも気を抜けない。左右の刃が交錯し、防御の隙を突かれた瞬間、マクシムは肩を打ち込み、横薙ぎでエドガーの太ももを斬る。最後の一撃、マクシムは両刃を高く構え、踏み込みながら斬撃を連続で放つ。火花と金属音が港に響き渡る。
エドガーは一歩、二歩と後退せざるを得ず。勝利の瞬間が、確実に迫っていた。
「ここで仕留める……!」
マクシムは目の前の敵に集中しすぎるあまり、背後の状況がわずかに疎かになっていた。
その瞬間、エドガーの瞳が鋭く光る。体勢を低く沈め、港の石畳を蹴って突進。
「うっ…!」
マクシムの二刀の間合いに飛び込み、彼の攻撃の勢いをそのまま利用したエドガーの突進。全身の衝撃がマクシムを吹き飛ばし、石畳に激しく叩きつける。港の石畳にひれ伏す彼の体に、痛みが一気に走る。
海賊たちが咄嗟に駆け寄るも、エドガーの手にはもう一つの脅威——ソフィーが人質として確保されていた。エドガーが片手で彼女の腕を掴み、剣先をわずかに傾けて脅す。
「……まずい状況になったな」
マテオが唇を噛みしめる。恐怖と怒りが入り混じるが、目は決して揺らがない。
マクシムは痛みをこらえつつ、必死に顔を上げる。
エドガーの瞳には冷酷さと狡猾さが混ざり、仲間たちはそれぞれ攻勢を止め、瞬間的に状況を見極めた。
全員が理解する。この瞬間、戦局は一気にエドガー側の優位に傾いたのだと。
ソフィーを盾に取り、エドガーはマクシムにゆっくりと近づく。
マクシムは苦痛に顔を歪めながらもまだ諦めてはいない。だが、彼の前には人質としてのソフィーの存在があり、戦術的選択肢は極端に制限されていた。港の空気が凍る。風が海面を撫で、遠くで波が低く砕ける音だけが聞こえる。現実は過酷だった。
エドガーは余裕の表情でマクシムとソフィーの間に立ち、次の一手を静かに狙っていた。
ソフィーの声が港の冷たい風に乗って響く。手首を握られたまま、視線はマクシムに向けられていた。
「隊長……構いません。私ごと貫いてください」
その言葉は凛としていて、恐怖も躊躇もない。まるで覚悟の刃のように鋭い。
「私は死んでも構いません」
周囲の海賊たち、そしてマクシムもその強烈な決意に息を呑む。
目の前の光景が、瞬間的に時間を止めたかのように感じられた。
マクシムは慌てて身体を起こし、血に染まった手を伸ばしてソフィーに向かって必死に声を絞り出す。
「……いやだ」
マクシムの胸の奥で、恐怖と怒りが入り混じる。自分が守るべき存在を前に、あらゆる理性が叫んでいた。二刀の刃も、仲間の援護も、今は関係ない。
ただこの瞬間、この少女を——いや、ソフィーを守りたいだけだ。
「そんなこと、できるわけない」
エドガーは片手でソフィーを押さえたまま、冷たく口角を吊り上げる。
「はっ……友情ごっこはその辺にしとけ」
彼の笑みには、冷酷さと楽しげな挑発が混ざっていた。まるで観客を意識した演技のようにマクシムたちを嘲る。
「いつでも待ってやる。だが、あまり待たせると女の命はない」
エドガーの言葉の重みが港の空気を締め上げる。
刹那、マクシムの目に仲間たちの緊張が映る。いずれもが冷静さを保ちつつ、目に覚悟の光を宿していた。
ニールが低く、苦々しく呟いた。
「どこまでも卑怯なやつだ」
彼の視線は鋭く、港に張り詰める緊迫感はさらに増す。海面を渡る風が遠くの波の音とともに、この緊張を一層際立たせた。
そんな中でも、ソフィーの目は迷いなくマクシムに釘付けだ。
「隊長! あなたのような人が、怯んでどうしましょう!?」
その言葉には怒りも、焦りも、そして決意も混ざっていた。エドガーの冷たい掌に捕らえられていても、ソフィーは後退せず真っ直ぐマクシムを見つめる。
「……あの時、あの嵐の日、私を突き飛ばしたくせに! なぜこんな時に突き放さないのですか!?」
彼女の一言でマクシムの胸中に熱いものが込み上げる。
あの日、嵐に揉まれながらも、彼女を守ろうとした自分の決意と矛盾した行動を思い出す。
そして今、彼女の命がかかっている。迷っている余裕など、もうない。
目の前で、ソフィーは自分の命を賭けながらも最期に知りたかった真実——マクシムの言葉——を引き出そうとしている。その強烈な意思が、マクシムの理性と本能を揺さぶった。港の石畳に影が長く伸び、波の音が遠くから届く。
凍りついた間合いの中で、マクシムはわずかに息を整えて剣を握り直した。
「……わかった。もう躊躇はしない」
彼の瞳に覚悟の光が宿る。
ソフィーの真剣な眼差しと港の緊張した空気が、今まさに決断を迫っているのだ。




