第六章④ 両陣営、白兵戦へ。一方、とある船室では……
そのころ、ブレスト城の屋上では砲煙の向こうから伝令が駆け上がってきた。
「報告! 新型兵器、実戦にて効果を確認! 加えて陸軍が城門突破、防衛戦に加わりました!」
風を切る声が砲撃の余韻を押しのけて響く。
報告を受けたエリオットは短く頷きながら視線を海岸線へと向けた。
彼の横でルソーが眉をひそめる。耳を澄ませば、確かに前線の砲撃音がまばらになっている。海賊側の火力が一時的に落ちていた。
「……今だ」
低く呟いたルソーはすぐさま側近へと振り返る。
「オレが最前線の指揮を取る。全海軍員に伝えろ。ペンフェルド川沿いの造船所へ急行し、第一艦艇部隊の船に乗り込む。そこから敵船を奪い取る!」
彼の声は砲声に負けぬほど鋭く、戦場の風に乗って下へと響き渡った。
ルソーの檄が飛ぶや否や第一艦艇部隊と第七艦艇部隊の隊員たちは一斉に階段を駆け下り、造船所へ向けて疾走した。海岸沿いを抜け、港湾の向こうに並ぶ帆柱を目指すその背中は潮風を切り裂くように速い。
彼らの動きに続くように、マクシムはまず医務室の扉を押し開けた。中では包帯の山と薬瓶に囲まれながら、ソフィーとアニータが負傷兵の手当てを続けている。
「僕たちはこれから、海賊船に乗り込みます」
マクシムは短く息を整えながら二人に向かって静かに告げた。
「ここはお二人にお任せします」
彼の言葉にアニータが顔を上げ、頬をわずかに緩める。
「いよいよね……!」
ソフィーは包帯を結びながら小さく息を呑んだ。
「……どうか、お気をつけて」
マクシムは無言で頷くと廊下へ出て声を張り上げた。
「マクシミリアン・ブーケ隊、ただちに造船所へ向かいます!急ぎましょう!」
掛け声と共に隊員たちは武器を手に走り出し、城の石畳に靴音を響かせていった。
——そのころ。
海賊陣営、エドガー船の甲板。
潮騒の中、ゆっくりと階段を上がってきた男の姿に甲板の空気が一変した。
大海賊エドガー・ロジャース。
彼の背後にはジャスパー、マテオ、コリン、そしてニールが控えている。
「オレはここにいればいいんだな?」
エドガーの低い声に、ニールが口角を上げた。
「ああ。お目当ての人は、もうすぐ来るはずだよ」
直接対決。そうニールは呟いた。
その瞬間、エドガーは甲板の上で肩を揺らし、豪快に笑い声をあげた。
海風さえ、わずかに怯んだように感じられるほどに。
第一艦艇部隊が誇るガレオン船。その数、三隻。
造船所の桟橋には、すでに第一艦艇部隊と海賊討伐を専門とする第七艦艇部隊の隊員たちが次々と乗船していく姿があった。
マクシミリアン隊が乗り込んだのは、最も前に位置するヴォルカニク号だ。
甲板では出航準備の掛け声が飛び交い、ロープが巻き上げられ、帆が張られていく。
その先頭艦の舳先には、ユルリッシュ・ルソー准将が仁王立ちしていた。
海風を受けながら、その眼差しは遠くの海賊船を射抜くように鋭い。
一方、ブレスト城の屋上から。
エリオット、イザベル、アルフォンスは砲撃の止まった海賊船を横目に慌ただしく動く造船所を見下ろしていた。
「……頼むぞ、我が隊員たちよ」
低く呟くエリオットの背後で、アルフォンスが少し首を傾げた。
「ルソー准将が自ら前線に立つなんて……やはり、相当な戦闘狂なんでしょうか」
エリオットは目を細め、海の先を見つめたまま答えた。
「アルフォンス、ユルリッシュの噂を聞いたことはないのか?」
「ええと……第一艦艇部隊の第一線リーダー、ということしか」
「……あいつと私が、まだ海賊討伐部隊で斥候をしていた頃だ。狂気じみた奮闘ぶりで、いつしか海賊どもからこう呼ばれていた——」
エリオットの口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「『海賊狩りのルソー』……それが奴のもうひとつの顔だ」
ヴォルカニク号、舳先の側。
ルソーは大きく息を吸い込み、海の匂いを胸いっぱいに満たした。
「……この感覚、久しぶりだな。派手に暴れてやるか」
彼の手に握られたサーベルは、長年の相棒のようにしっくりと馴染んでいる。
ルソーは風にたなびく軍服を押さえながら海軍員たちを見渡した。海面には白波が砕け、緊張の空気が船上を覆う。
「皆の者! 本日ここに立つのは、祖国を守るためである!」
兵たちは息をのむ。声は届かぬ距離でも彼の迫力が全身を震わせる。
「だが忘れるな! 白兵戦はただの戦闘ではない。魂と魂のぶつかり合いだ! 恐れず、怯まず、仲間と共に戦え!」
ルソーは一瞬目を閉じ、心の奥で笑みを浮かべる。
「正直に言おう。オレ自身、この手で海賊と渡り合える日をずっと待っていた。久しぶりの戦場、思いっきり戦える覚悟はできている!」
彼は視線を周囲の兵士たちに移す。疲れた顔も、緊張に引き締まった顔も、彼には宝のように映る。
「お前たち一人ひとりが、オレの誇りだ。皆がいるから、オレはここに立てる。命を懸けて守る覚悟は、オレだけのものではない」
兵士たちは剣を握り直し、胸に熱い決意を宿す。
ルソーの声が波を越え、空気を裂く。
「共に進め! 恐怖を超え、力と勇気を敵に示せ! 勝利は我らのものだ!」
ルソーは深く息を吸い込み、鋭い眼光を前方の海賊艦隊に向けた。胸の奥には久しぶりの戦場への高揚と、仲間を守る強い覚悟が渦巻いていた。そして、波濤を切り裂く船体と共に海軍員たちはその鼓動を受け止め、一斉に前方へと進み出す。
轟音と共に錨が巻き上げられ、三隻のガレオン船が一斉に造船所を離れた。海風が帆を膨らませ、木造の船体は唸るように加速する。甲板には緊張と興奮が入り混じった空気が満ち、誰もが前方の海賊船団を見据えていた。
やがて、潮の匂いの中に硝煙の匂いが混じり始める。敵影が大きくなり、船体のきしみと共に双方の距離は一気に詰まっていった瞬間、前方の海賊船団に海軍員たちがなだれ込む。ロープが海面を切り、鉤縄が船縁に食い込み、雄叫びと共に次々と飛び移っていく。
甲板は一瞬で斬撃と叫声、火花と血しぶきの渦へと変わった。
その中、マクシムは誰よりも早く敵陣を駆け抜けていた。二本の剣が弧を描くたびに海賊の刃が弾かれ、足元に次の敵が崩れ落ちる。
仲間と足並みを揃えることなく、ただ一人、黒い船——敵艦隊の中でも異様な存在感を放つその船を目指し、船から船へと飛び移っていく。風を切る音、足下で軋む甲板、背後から迫る怒号。それらを振り切るように、マクシムは次の海賊船へと身を躍らせた。
甲板を駆け抜けるマクシムの背後からルソーの声が荒々しく響いた。
「軍の格式など戦場では通用せん! 暴れ足りないやつは存分に暴れていいぞ! 海賊どもの息の根を止めてやるんだ!」
ルソーの叫びが風に乗り、前線の海軍員たちの士気を一気に高める。
マクシムは振り返らず、前方に広がる敵陣へと突き進んだ。
ついに黒い船、エドガー・ロジャ―スの根城に踏み込む。
船尾楼の頂点に鎮座するエドガー・ロジャースを目指し、一斉に襲いかかる海賊の刃を次々と払いのける。
「エドガー・ロジャース! これまでです、容赦はしません!」
マクシムが甲板を駆け抜ける途中、リラ、グウェナエル、ダヴィットが合流し、彼は三人の援護を受けながら真っ直ぐにエドガーの元へ突き進む。斬撃が飛び交い、叫声が入り混じる。海賊たちは次々に倒れ、マクシムたちの前に道が開ける。
そして、ついにマクシムは目の前のエドガーに飛びかかった。
「終わりだ!」
その瞬間、四つの黒い影が宙を裂くように飛び出し、マクシムを捕らえた。
背後からジャスパーとマテオが両腕を押さえつけ、ニールが素早くハンカチで口を塞ぐ。空気を遮断されると同時にマクシムはみるみる力を失い、甲板に崩れ落ちた。
「隊長!」
リラが叫ぶ。
「五鬼衆か……!?」
グウェナエルの瞳が鋭く光る。
「しまった、隊長を助けろ!」
ダヴィットも剣を握り直す。三人が飛びかかるも、目の前にはコリンが立ちはだかる。甲板に爆弾のような装置を投げ込むと、白煙が瞬時に広がり視界を覆った。
煙が薄くなり、消えたとき——エドガー、五鬼衆、そしてマクシムの姿は跡形もなく消えていた。
「消えた!?」
リラの声が甲板に響く。
「くそ、攫われたか……」
グウェナエルは歯噛みする。
「まずはこいつらを一掃してからだ! 片付けるぞ!」
ダヴィットが叫ぶ。
三人は海賊に囲まれ、再び戦闘の渦中へと押し込まれた。
甲板はすでに戦場そのものだった。砲弾の余波で木片や破片が飛び散り、潮のしぶきが肌を打つ。煙が白く立ち込め、視界を遮る中、海軍員と海賊が剣と銃を振るい、入り乱れた戦闘が展開されていた。
リラは左手で剣を握り、右手で海賊が掴んだ銃を奪い放つ。弾丸が飛ぶたび、海賊の叫びが轟く。足元では崩れ落ちた甲板板が水を跳ね上げる。
グウェナエルは剣を振るいながら海賊たちの包囲を切り裂く。胸元に飛び込んできた一撃も絶妙な角度で避け、反撃の刃を正確に決める。
「ここで止まるわけにはいかん!」
彼の声は煙に混ざり、戦場の喧騒を切り裂いた。
ダヴィットは砲撃の余波で平衡を崩しそうになりながらも海賊の短銃を奪取して発砲。海賊の剣先を掻い潜り、倒れた仲間を支えながら前進する。
甲板の中央では白煙に包まれた一角から海賊の斧や棍棒が飛び出す。そこに第七艦艇部隊、他部隊の精鋭たちが突進し、互いに火花を散らしながら応戦する。木製甲板がひび割れ、砲撃の余波で跳ね上がる破片が足元を襲う。白煙の合間に第七艦艇部隊の隊員たちの声が交錯する。
「左側、押し返せ!」
「隙を見ろ、甲板を確保するぞ!」
リラは死体を素早く飛び越え、海賊の背後から剣を突き出す。
グウェナエルは斬撃と突きで海賊の連撃を切り返し、ダヴィットは甲板に転がった短銃を手早く拾って次の標的を狙う。
混戦の中、砲撃の轟音と潮水の飛沫、白煙が絡み合い、甲板は一瞬一瞬が命を賭けた戦場と化した。しかし、三人の連携は確実で、敵を押し返す力は徐々に増していく。
煙の中からマクシミリアン隊の隊員たちの刃が海賊たちを切り裂き、甲板の制圧が少しずつ前進していった。だが、黒船の影は遠く静かに浮かび、依然として不気味な沈黙を保っていた。
戦いの終わりなど、まだ誰にも見えない。
エドガー船の船室内は静寂の中に不穏な空気が漂っていた。階段を駆け降りる船員の足音が木の床を響かせる。
「海軍の潜入が想定より早いな……! あいつら、あの化け物を引きずり出せと言ったのになかなか来ないじゃないか!」
船員が最下層に辿り着くと、先ほど命令した部下二人が床に倒れていた。息も絶え絶え、視線は奥の扉に向いている。
「え、なんで……?」
船員は呆然とつぶやきながら、一歩だけ前に進んだ。
開いた扉の向こうからは、海の匂いすら届かない。闇がそこに沈んでいる。
倒れている二人に駆け寄ろうとした瞬間、背後の空気がわずかに波打った。
風ではない。気配でもない。揺れだった。腰の後ろあたりに、ひんやりとした影が触れた気がした。
「誰——」
問いが終わる前に、自分の体がふっと軽くなった。肩甲骨の間に、柔らかな掌が添えられたのが分かる。押されたのではなく、吸い寄せられるような感覚。体の中心が掴まれ、そっと軌道を変えられたみたいだった。視界が傾く。音がゆっくり遠ざかる。
……転ぶ? いや違う、落とされて——
床が近づいているのに、痛みの気配がどこにもない。頬に触れる木の感触だけが静かに広がり、そのまま意識が海底に沈む石のように落ちていった。
最後に聞こえたのは誰かの呼吸だけだった。荒くも強くもない、波が引く時のような整った息づかい。
真昼の戦場の音が、遠く遠く霞んでゆく。




