第四章⑦ ソフィーと四人の海賊
冬の港は、昼間だというのに寂れた印象を漂わせていた。
吹きすさぶ海風は冷たく、干された帆布が音を立て、遠くの波の音だけが耳に残る。船乗りの姿もなく、積み荷を運ぶ人影すら見えない。
ソフィーは無言で桟橋沿いを歩き、海面を見下ろしながら視線を巡らせていた。
やがて、人気のない一角。小さな桟橋に横付けされた小舟が目に入る。
その近くに四人の影。五鬼衆の面々、ルキフェルを除いた四人がソフィーの行手を阻むようにこちらを見ていた。その中からマテオが片手を挙げる。
「よお、久しぶりだな」
軽い調子の声。しかし、ソフィーの胸に広がったのは懐かしさではなく熱を帯びた怒りだった。迷いなく足を進め、マテオの前に立つとソフィーは振りかぶった右手を彼の頬に叩きつけた。乾いた音が、寒々しい港に響く。
「……いつ、殺すの?」
抑えきれぬ低い声が彼女の唇から零れる。波音が重苦しい沈黙を切り裂く。
マテオは頬を押さえ、驚きと困惑の色を浮かべたままソフィーを見返していた。いつもは軽口を叩く男の口元が、今は言葉を探すようにわずかに動くだけだ。
港の冷たい風がソフィーの頬を刺すように吹き抜けた。彼女はマテオの胸倉を掴み、拳を叩きつけるたびに短く息を吐く。革の匂い、潮の匂い、冬の海のざらついた空気が混ざり合う中、拳の骨がじんじんと熱を帯びていく。鈍い音と共に、船着き場の静けさを乱すように冬の冷たい空気へと響いた。
マテオは反撃も避けもしない。ただ唇を真一文字に結び、受け止めている。
「自分たちでエドガーを殺すって言ったよね……!」
ソフィーが拳と共に言葉を叩きつける。
「いつ果たすの!? あんたたちが早くやらないから、仲間が一人……!」
彼女の声は震え、怒りと悲しみが入り混じっていた。
「海賊に殺されたのよ! エドガー一人殺せないなんて……あんたたち四人は、ルキフェルが、あの男がいないと動けないの!?」
マテオは反撃もせず、ただ真っ直ぐソフィーを見ていた。彼の背後でジャスパーは眉を寄せ、拳を握ったままじっと二人を見ている。止めるべきか迷いながらも、その視線には痛みのようなものが混じっていた。ニールは息を呑んだまま眉間に皺を寄せている。コリンは唇を噛みしめ、まるで一歩でも前に出たい衝動を必死に抑えているかのようだった。
やがてソフィーの拳は次第に弱まり、震える手がマテオの胸に置かれたまま止まった。息が荒く、肩が上下する。その目尻に、溢れそうな涙がきらめく。押し殺すような声で、途切れ途切れに言葉が零れた。
「……もう、たくさん……」
彼女の目尻が熱くなり、堪えていた涙が滲む。
「誰かを失うのはもう嫌……仲間を救えなかった自分が悔しい。でも……私以上に悔しい想いをしてる人がいると思うと……泣くわけにはいかない。せめて、自分だけは彼らを慰めて、励まして、強くあろうとした……」
ソフィーの声は掠れ、言葉の間に小さな嗚咽が混じった。
「……それでも、こうして立ってるだけでやっと……もう、疲れた……この先、どうしていいか……わからない…」
その時、ソフィーの視線がマテオとぶつかった。彼の瞳は責めも拒絶もなく、ただ深い影と静けさを湛えていた。その一瞬、ソフィーの中で張り詰めていたものが音もなくほどけていく。マテオは短く息を吐くとはっきり答える。
「……だったら、一人で背負うな」
彼の声は先ほどまでの沈黙を断ち切るように港の冷気の中で響いた。
マテオはゆっくりと一歩踏み出し、義手ではない方の腕でそっと彼女の肩に手を置く。そのまま力強く抱き寄せ、自分の胸元へと導いた。
「……でも今は、遠慮なく泣けよ」
マテオの低く穏やかな声が耳元に落ちる。港の冷たい風の中、その声だけが不思議と温かかった。
「我慢してた分、洗いざらい放てばいい」
その言葉にソフィーの理性の堤防は音を立てて崩れ、抑えていた嗚咽が一気に込み上げた。港の冷たい風の中で、彼女はマテオの胸に顔を埋め、子どものように泣き崩れた。
ジャスパーは静かに視線を落とし、ニールは拳を握ったまま動かず、コリンは彼女に一歩近づいた。
四人の視線には、悔恨と無力感、そしてソフィーへの複雑な感情が交錯していた。
冬の港の冷たい空気の中、ソフィーはゆっくりとマテオの胸元から離れた。息を整え、わずかに震える手を背中で擦りながら、目を伏せる。
マテオが静かに問いかける。
「それで十分か?」
ソフィーは少し苦笑を浮かべて、こくりと頷いた。
「うん、ごめんなさい……醜いところ見せちゃったね」
その言葉を聞いて、コリンが一歩近づく。言葉は発さず、首を横に振って否定の意思を示した。冷え切った空気の中に、その無言の仕草がまるで暖かな光のように広がる。
ソフィーはコリンの動きを見て、深く息をつく。
「でも私、落ち込む仲間には『復讐の連鎖は止めなくては』と言いつつ、あなたたちに暴力を振るった。最高に醜い」
マテオは珍しく優しい目で言った。
「オレは暴力などと思わねえよ。可愛いもんだ」
続けて彼は声を少し低くし、柔らかく付け加える。
「ただな、いつでも受け止めてやる」
マテオの言葉にニールが苦笑混じりに言う。
「まあマテオが一身に受けてくれるならありがたいね」
マテオはすぐに「おい」と返したが、その表情は和らいでいる。ニールは言葉を続けた。
「でも、お仲間を失わせてしまったこと、本当に申し訳ない。謝って済むことじゃないのはわかってる」
その言葉は重く、彼らの胸にずっしりと響いた。寒風の中、五人の間に一瞬だけ静寂が訪れる。だが、その沈黙は決して冷たくはなく、むしろ互いの絆を確かめ合うような温かさを孕んでいた。
冬の灰色の空を見上げ、ソフィーは静かに言った。
「いいのよ。その気持ちだけで、天に召されていった彼女の魂も、きっと和らぐ」
冷たい風が頬を撫で、どこか遠くの波の音が微かに聞こえる。胸の内に渦巻く悲しみが少しだけ溶けていくのを感じながら、ソフィーは視線をゆっくりとニールへと移す。
「今日はどんな用事?」
ニールが少し躊躇しながら口を開いた。
「ソフィー、僕たち……」
ジャスパーが彼らの言葉を遮るように前に出て、冬の冷気の中でもひときわ鮮やかな赤髪を揺らした。
「おれが言う」
ソフィーの真ん前に立ち、その瞳を真っすぐに見据える。
「詳しいことは話せない。話せないが、これだけは伝えておきたい」
ジャスパーの声は重く、断固として揺るがなかった。
「次の戦闘、フェルナンドの動向に注意しろ。彼についていって、そこでおれたちのやることを見届けてほしいんだ」
ソフィーは眉をひそめ、少し声を震わせて訊ねる。
「フェルナンド? それに、あんたたちがやることって?」
ジャスパーは苦い笑みを浮かべ、顔を背けた。
「悪い、話せなくなった」
彼はきっぱりと言い放った。
「あんたに見届けてほしいのは、おれたちの活躍を誰も見てくれないのが寂しいから」
ジャスパーの冗談めいた一言にソフィーは思わず笑いをこぼす。
「なにそれ」
ニールが声を張る。
「とにかく! フェルナンドに注意しててよね」
マテオが力強く続ける。
「次も長い戦いになる。覚悟しておけ」
コリンも静かに言葉を添える。
「気をつけてね」
四人は小舟に乗り込み、ジャスパーがオールを握った。寒風の中、短い会話を交わしながら小舟は港の水面を滑るように離れていった。ソフィーはその背中を見送りながら呟いた。
「いったいどこへ向かってるのかしら」
小舟の進む先も、彼らの未来も、誰にも分からない。だが彼らの言葉を胸にソフィーはゆっくりと歩き出したが、ふと足を止め顔を上げた。
「あっ……やだ、言い忘れてたことがあった!」
彼女は小舟の方を振り返り、手を大きく振って凛とした声で叫んだ。
「マテオ! ごめん、言い忘れてたことがあるの!」
凍てつく冬の空気の中、その声がどこまで届くかはわからなかった。
「この間の戦闘、あなたがエドガーの船にいて本当にびっくりしたけど、あの時は助けてくれてありがとう!」
その場に立ち尽くし、小舟に向かって伝え続けた。
沈黙のなか海面がわずかにきらめき、小舟からは一条の光が反射した。
それはマテオの義手が太陽を受けて輝き、彼が腕を上げて応えたように見えた。
ソフィーはそんな光景に満たされた心を感じ、静かに頷く。そして、ようやく満足げな微笑みを浮かべながら今度こそ港を後にしたのだった。




