第三章⑤ 海賊同盟の中を……
爆風が海上の空気を裂いた。
先刻まで木と布とロープで出来ていた船は今や炎の塊と化し、砕けた板が雨のように降り注ぐ。
衝撃で甲板に尻もちをついた海賊たちは、目の前の惨状を理解できず、ただ呆然と炎を見つめた。
「な、なんだ今のは!?」
「味方の船だぞ!?」
混乱と罵声が入り交じる船団の合間を別の影がすり抜けていく。帆には紅い海賊旗、だがその足取りは妙に整然としていた。
その甲板でマクシム隊の面々は次の段取りを静かに確認していた。
「爆破班、よくやりました。次は向こうの船団です」
マクシムの声に隊員たちは頷き、素早く装備を整える。顔を隠す布は煤け、袖や襟はわざと破られ、遠目には完全に海賊の一員にしか見えない。
ジョルジュは口の端を上げた。
「どっちが海賊か分かりませんねー」
グウェナエルが火薬樽を押しやりながら片目だけでジョルジュに視線をやる。
「言っただろ? 戦場では善悪の二元論は通用しないとな」
再び戦場の喧噪に紛れ、彼らは次の標的へと舵を切った。
——その頃、別の船団の船首では焦げ臭さを嗅ぎつけた見張りが慌てて叫んでいた。
「黒旗の一団が接近中!」
「なに!? あっちの騒ぎに乗じて来たか!」
慌てふためく船員たちに、偽装したマクシム隊は迷いなく乗り込む。フックを投げ、甲板へ雪崩れ込み、刃と刃が交わるよりも早く、舵と武器庫が押さえられた。
完全な不意打ちだった。奪ったばかりの船を急旋回させ、彼らは戦場の混乱の中へ突っ込んでいく。炎の明かりと黒煙の向こうで砲門が一斉に吼えた。
敵味方の境界はますます曖昧になり、海賊船団全体が巨大な渦と化す。
ジョルジュは砲煙の中でまた呟いた。
「……どっちが海賊か分かりませんねー」
砲声に耳をやられかけたグウェナエルは苛立ったように叫び返す。
「言っただろ? 戦場では……もうなんでもいいや」
——そして、この攪乱の渦こそが次の一手のための舞台だった。
燃え盛る煙を盾に彼らは海賊に紛れ込み、さらなる混乱を海上に撒き散らそうとしていた。
混乱は音もなく忍び寄る霧のように海賊船団を包み込んだ。
マクシム隊は港外で鹵獲した小型船を器用に改造し、わざと汚れた帆と黒ずんだ船体を用意して海賊に成りすます。帆桁には偽の旗を掲げ、乗員は顔を煤で汚し、粗野な口調まで演じ切っていた。
その一団が自然な流れで本隊の横へ滑り込み、誰にも怪しまれぬまま並走する。
海賊側からすれば、どこかの部隊が帰還しただけに見えた。——が、次の瞬間。
船腹に隠された火薬樽が爆ぜ、閃光と轟音が海上を揺らす。帆柱が裂け、炎と黒煙が渦を巻き上げ、近くの船の海賊たちが耳を押さえて倒れ込んだ。
「…どっちが海賊か分かりませんね」
爆炎の背後でジョルジュが呟く。
「………」
グウェナエルは片手で煙を払った。
こうして、混乱の波は一気に広がった。隣の船では誰も状況を掴めずに怒号が飛び交い、別の船では「裏切りだ!」と叫びながら仲間同士で斬り合いが始まる。「味方だろうが、撃てぇ!」と吠える者もいれば、「違う、あいつらは本物の海軍だ!」と叫ぶ者もいる。
判断を誤った砲手が味方船へ砲弾を放ち、木片と人影が空を舞う。
マクシム隊はその混乱を利用し、次々と別の船へ乗り移った。荒々しい剣戟と銃声の中、彼らの動きだけは妙に統率が取れている。
まるで、海賊を装っていたはずの船員たちは次々と腕章を引きちぎり、隠し持っていた海軍旗を高く掲げたように。
その瞬間、海賊陣営は完全に崩れた。後方からは逃げ出す船、前方では仲間同士の撃ち合い。
混沌は、もはや制御不能だった。渦中で、海賊たちの中にも必死に秩序を取り戻そうと動く者がいた。「皆、冷静に!味方の裏切りなんてありえない!落ち着け!」と大声で叫ぶ中堅の船長格が、幾人かの兵を集めて指揮を試みる。だが、その声はすぐに掻き消されてしまう。
連続する爆破に加え、味方の銃撃が飛び交い、どの船もどこが敵なのか判別がつかない状況だ。
仲間だと思って斬りかかればあっけなく返り討ちにあい、逆に自軍からの砲撃を受ければ不信が増すばかりだった。
「裏切り者はお前だ!」
「いや、お前こそ黒幕だ!」
互いを疑い合う声が幾重にも重なり、船団内は言葉の暴風雨に包まれる。
疑心暗鬼は瞬く間に広がり、味方の動きを縛り付け、戦力の連携は完全に崩壊した。
冷静に状況を把握できる者は少なく、混沌の中で怒号と罵声が飛び交い、剣と銃の音が不規則に鳴り響く。
やがて、混乱に乗じて逃げ出す者も出始めた。船の舵を取る者の一部は沈黙し、動揺のあまり自らの船を見捨てていく。敵の隙をつくどころか自らの足元から崩れていく。
海賊船団は無残にもバラバラに散り、かつての強大な勢力は今や混乱の坩堝となった。
マクシムは声を張り上げた。
「みなさん、お疲れ様です! そろそろ帰りますか……ん?」
ふと全員が視線を後方へ向けると、自分たちが乗っ取った海賊船のさらに後ろ、先ほどまでいなかった船団が幾つも忍び寄っているのが見えた。
シャルルが眉をひそめて声を潜める。
「グウェン、あの船は……?」
グウェナエルは望遠鏡を素早く覗き込み、夜空に掲げられた旗と甲板の連中を見て表情が引き締まる。
「あれは……ブレスト海峡に配置していた、海上部隊だ」
グウェナエルの声に焦りが滲む。
「まずい、あれでは俺たちに砲撃が直撃する!」
シャルルも驚愕の声をあげる。
「えええええ!?」
ダヴィットは懸命に声を張る。
「ま、待ってください!私たちは、マクシミリアン隊で——」
だが、その言葉は届かなかった。
突然、大きな艦隊からの砲撃が轟音を立てて放たれ、マクシムたちの乗る海賊船に激しく命中する。爆風が船体を揺らし、火花とともに破片が飛び散った。
サミュエルが叫ぶ。
「小舟を下ろせ!」
サミュエルは慌てて小型の小舟を船の側面に横付けし、隊員たちを押し込みながら強引に切り離す。炎が瞬く間に船体を覆い、燃え盛る火柱が夜空を赤く染める。
グウェナエルが号令をかける。
「飛び込めーー!!」
隊員たちは叫び声とともに次々と炎を避けて海中へ飛び込む。
水面に跳ねる音、もがき苦しむ声が入り混じる。
最後にグウェナエルが鮮やかな飛び込みを見せた。
彼の身体が闇夜に溶け込むように海面に滑り込むと、背後で炎が轟音と共に爆発した。
燃え盛る船体が海に黒煙を上げ、空気が揺らめく。
一行は冷たい海水に身を委ね、必死に泳ぎながら生き延びるための戦いを続けた。
燃え盛る海賊船の炎が夜空を赤く染め上げる中、沈みゆく木造船の軋む音と火薬の爆ぜる音が波間に響き渡っていた。
マクシム隊の乗る小舟は必死に逃げ惑う仲間たちを乗せて。海面を揺らしながら燃え残った破片をかわしていた。
サミュエルが櫂を操り、リゼーヌが冷静に周囲を見張る。スザンヌは濡れた髪を手でかき上げながら沈みゆく船の炎を呆然と見つめ、シャルルは時折後方を振り返って海面を注意深く見ていた。
水面からはマクシム、リラ、ペネロペ、ジョルジュ、ダヴィット、ロザリー、メリッサたちが荒れた波と炎の光の中、必死に泳ぎ、時折波間に顔を出して息を吸っていた。
小舟の乗組員は次々にロープや手を差し伸べ、海中の者たちを引き上げる。
ペネロペの腕をしっかり掴み、ロザリーは「しっかり掴んで!」と声をかけ、メリッサは震える手でダヴィットを海から引き上げ、冷たい海水が滴る身体を小舟に引きずり上げた。しかし、ひときわ目立つ大男、グウェナエルの姿がなかなか見当たらない。
サミュエルの声が沈黙を破った。
「グウェナエル、どこだ? まだ見えないぞ!」
シャルルは懸命に夜の海面を見回すが、炎の揺らめきと波の音が視界を遮る。
その時、不意に波の間からぼんやりと人影が浮かび上がった。
「俺ならここだぞ」
突然の声に近くにいたメリッサが叫び声を上げてしまい、驚きのあまり思わずグウェナエルの顔をぱんと叩いた。
グウェナエルは一瞬目を見開き、そのまま波に飲み込まれるようにゆっくりと沈んでいく。
「待て! しっかりしろ!」
ダヴィットの絶叫と共に仲間たちが声を掛けながら、次々にロープを海に垂らして沈んでいった彼を必死に引き上げようとする。
やがて波間からゆっくりと頭を出したグウェナエルはかすれた声でぽつりと漏らした。
「なんで俺を殴るんだ……」
メリッサは顔を赤らめて目を逸らしながら小さく答えた。
「ご、ごめんなさい……だって急に海から現れて……本当に驚いちゃって……」
シャルルはそんなやりとりを微笑みながらほっと息を吐いた。
「まあ、こうしてみんな無事に揃ったのが何よりだよ」
マクシムは濡れた髪を手でかき上げ、澄んだ夜空を仰ぎ見ながらいたずらっぽく言った。
「ねえ、グウェナエル。知ってますか? 海には『海坊主』っていう不思議な精霊がいるらしいですよ」
グウェナエルは少し目を細めて苦笑いで返す。
「ふん、冗談もほどほどにな……」
炎の赤が夜空に染まり、波は穏やかに彼らを包み込んでいった。
仲間たちは互いに肩を叩き合い、何とも言えない連帯感と安堵に満ちた表情を浮かべている。
海の冷たさと焔の熱気が入り混じる中で、彼らはまた静かな闇の中へと漕ぎ進んでいくのだった。




