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第二章⑦ マクシムとソフィー……とグウェナエル

 夜の嵐が宿舎を激しく揺らしていた。

 窓を叩きつける風と雨音が室内にこだまする中、マクシムは机に置かれた手紙をじっと見つめていた。眉間にわずかな皺を寄せ、何か引っかかるものを感じている様子だ。

 その時、重い扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。

 マクシムはその場で手紙を閉じ、声をかける。

「入れ」

 扉が静かに開くと、そこには落ち着いた表情のソフィーとグウェナエルが立っていた。

 二人の気配を確認し、マクシムは軽く頷いた。

「お二人にはライラックに頼んで来てもらいました。話があります」

 嵐の夜、その室内に漂う緊張感が一層深まった。

 グウェナエルは険しい表情を浮かべ、すっとソフィーの横に立つと、鋭く声を放った。

「隊長。俺とこんな奴を一緒にしてどういうつもりですか?」

 その言葉に、ソフィーの表情は一瞬強張り、気まずさが深く胸を締め付けた。

 マクシムは淡々とした口調で答える。

「他でもない貴方にしか頼めないことがあるんですよ」

 グウェナエルは腕を組み、眉をひそめて言い放つ。

「要件はさっさと伝えてください。俺にも選択権はあるでしょう?」

 三人の間に静かな火花が散り、嵐の外音に負けないほどの張り詰めた空気が満ちていた。

 マクシムは手紙を慎重に広げながら、重い口調で告げた。

「ソフィーが倒れた日、僕と彼女宛に一通の手紙が届いていたんです」

 ソフィーは驚きの色を隠せず、声を震わせて訊ねた。

「私と隊長に……ですか?」

 マクシムは深刻な面持ちで頷き返す。

「差出人は不明。軍の消印がないことから、正規のルートではないと推測しています」

 グウェナエルの瞳が一層鋭く光り、冷たい剣のように光った。

「で、その内容は?」

 マクシムは一瞬間を置いてから、低く言葉を紡ぐ。

「近日中に、指定された酒場に赴け、というものでした」

 そう言ってマクシムは手紙を差し出した。

 グウェナエルはそれを受け取り、細かな文字を目で追う。

「……ル・ルレック=ケリュオン方面か」

 グウェナエルの声に緊張が走り、マクシムが補足するように告げる。

「酒場は海沿いにあると確認しました。距離的にはさほど遠くはないです」

 マクシムの瞳には決意の色が宿っていた。

 グウェナエルは静かな苛立ちを滲ませながら、冷たい視線をマクシムに向けた。

「だから、二人でそこへ行くために、俺の馬を貸してほしいと頼んでいるんだな」

 マクシムはわずかに微笑みながら淡々と返す。

「正確には、貴方の馬ではないんですけどね……」

 その言葉に、グウェナエルの眉が一瞬ぴくりと動くが、すぐに無言で受け流した。

 そして、マクシムは静かながら断固とした口調で告げる。

「僕は行けません。あなた方に行ってもらいます」

 その言葉に、グウェナエルとソフィーがほぼ同時に声を上げる。

「は?」

「は?」

 二人の声が重なり、部屋に不思議な緊張が走った。

 マクシムは真剣な眼差しで二人を見据えながら静かに言った。

「僕は脱走の名人ですけど、海賊がまた襲撃に来た際の緊急時のために部隊を指揮しなくてはいけない。だから、動けないんです。なので、軍籍がないグウェナエルと、少しの間不在でも怪しまれないソフィーには、明日の朝に向かってもらいます」

 グウェナエルが鋭く反応する。

「軍籍がない、は俺にとっては悪口だからな」

 マクシムは冷静に続ける。

「それに、貴方にはソフィーの用心棒になってもらいたい。手紙にはソフィーと二人きりと指定があるが、グウェナエルには近くで見張っていてもらいます」

 グウェナエルは不満げに眉をひそめ、チラリとソフィーを見る。

「しかしだな……」

 マクシムはひるむことなく、視線をグウェナエルに固定して言葉を強めた。

「グウェナエル。僕は彼女を信じています」

 信じています。──その言葉には強い意志と覚悟が込められていた。

「これは僕からの指令です。選択権などないのですよ」

 しばしの沈黙の後、グウェナエルは渋々と拳を握りしめ、声を絞り出した。

「……拝命しました」

 その言葉が落ちると同時に、二人の間にあった苛立ちの空気が微かに和らぐ。

 ソフィーはその空気の重さに圧倒され、少し怯えた表情で二人の様子を見つめていた。


 執務室の重い空気を背に、グウェナエルとソフィーは並んで廊下を歩いていた。廊下の薄暗い灯りが二人の影を長く伸ばす中、グウェナエルがぽつりと口を開く。

「なあ、軍医さんよ」

 ソフィーは少し驚きながらも振り返らずに答えた。

「なんですか?」

 グウェナエルは少し間を置き、無骨な声で続ける。

「前にも言ったが、俺が守るのはマクシムだけだ」

 彼の言葉は冷たく揺るがぬ決意がこもっていた。

「奴が見ている先のためなら、誰を切り捨てようと構わない。仲間も、命も……そして、お前もな」

 ソフィーの心の中に、あの嵐の出来事がふっとよみがえる。

 ——あの日。激しい風雨の中、彼女は絶望に震えながらシャルルとグウェナエルに裏切られた。

 信じていた者たちの冷たい視線、そしてマクシムに突き飛ばされたあの瞬間の痛み。

 彼の言葉は残酷にも聞こえたが、その裏には自分をも厭わぬほどの揺るぎない忠誠があった。

 ソフィーはゆっくりと息を吐き、冷たい廊下の空気を胸に取り込んだ。

「……わかりました」

 声は小さいが、どこか強さを含んでいた。そして、ソフィーはグウェナエルの冷たい視線を受け流し、淡々と凛とした声で言った。

「好きにするといいです」

 彼女の言葉に、普段は鋭く剣のように冷たいグウェナエルの目がわずかに揺らいだ。彼が驚いたようにソフィーの顔を見つめ続けていると、ソフィーは続ける。

「私がこの部隊に戻ってきたのは、ただの義務感や服従のためじゃありません。この先にある、真実を知るためです。つまり、明日の任務も私自身のために行動すること。もちろん、隊長のために動くためでもあります」

 その言葉に迷いはなかった。彼女の瞳は強く輝き、確固たる意志を宿している。

「その思いは貴方も同じはず。なぜ自ら壁を築いて、自分の心を閉ざすようなことをするのですか?」

 グウェナエルは一瞬黙り込み、暗く沈んだ瞳を宙に泳がせた。やがて、低くつぶやくように言葉を紡ぐ。

「……俺はな、自分の弱さを見せられないだけだ。誰かを守りたいって気持ちは確かにある。けど、そのせいで何度も傷ついてきた。裏切りも、失望も。だから、壁を築いて身を守るしかなかったんだ」

 彼の言葉には一種の痛みと哀しみが滲んでいた。

「お前の言う通り、真実を求めることは俺も同じだ。でも、その真実が俺をまた傷つけるかもしれないと思うと、簡単には踏み出せない」

 グウェナエルの表情はどこか柔らぎ、少しだけ肩の力が抜けた。

「だが……お前がそこまで覚悟を決めてるなら、俺も腹をくくるしかないな」

 そう言って、彼はソフィーに軽く頷いた。ソフィーはふっと息を吐き、静かな声で言った。

「貴方が私を嫌っているのはよく理解しています。なら、明日は私一人で行ってもいいです。その際、お馬さんだけ借りますから」

 そう言い残し、彼女は足早に歩き出そうとした。しかし背後から鋭い声が飛んだ。

「待て。聞き捨てならないな」

 グウェナエルが勢いよく声を張り上げ、声の圧だけでソフィーの背中を掴んで呼び止める。ソフィーは無言で振り返った。

「お前はそうやって勝手な判断で危険な状況に陥れ、結果どうなった? あの嵐の時みたいに、ひとりボロボロになったじゃないか。俺は、あの時のお前の身勝手な正義感が嫌いだ。今でも何も変わっちゃいない」

 グウェナエルの目は怒りで燃えているが、どこか悲しみも帯びている。

「お前の正義が美しく清らかであるほど、俺たちにはただの邪魔だ」

 ソフィーはその言葉を受け止めた。彼の言うことは正しい。

「隊長も、貴方も、リラさんも、シャルルさんも、いったい何を考えているのか私にはわかりません。むしろ、私のその正義感が皆さんの計画のノイズになっていることは、自分でもよくわかっています」

 ソフィーはゆっくりとした口調で答えた。

「ふん、自覚はあるのか」

 グウェナエルは鼻で笑いながら続ける。

「だが、俺はお前を仲間だとは思っていない。まだ海賊の仲間だと疑ってるぐらいだ。明日、もしお前が海賊に肩入れするようなことがあったら、容赦はしない。まだ相手が海賊だと決まったわけじゃないが……俺のスタンスは変わらん」

 そう言い残し、グウェナエルはソフィーを追い越して闇の中へと溶け込んでいった。しばらくしてから、彼は小さく呟いた。

「……心にもないことを言ってしまった」

 一人残されたソフィーは闇に消えた彼を見つめながらため息をついた。

 あの時、背を向けて歩き出そうとした自分を強い声に思わず足を止められた。

 振り返らずともわかる、彼の声に冷たさと同時に熱を感じた。

 グウェナエルの怒りの言葉は、胸の奥にズシリと響く。

 あの日、嵐の海でひとり無謀に振る舞い、結果的に仲間を巻き込んだ過去が鮮明に蘇る。

 彼が憎むのも無理はない。しかし、その彼の言葉の中に秘められた不器用な心配も感じ取れてしまう自分がいた。

「私の正義が邪魔だなんて……」

 グウェナエルの言葉は痛いほど真実で、やりきれなさが胸を締め付ける。だが、それでもこの胸に灯る小さな炎は消せない。

 隊長や仲間たちの思惑をまだ見切れずにいるけれど、私自身の信じる道はここにあるとソフィーは自覚している。

 彼女はゆっくりと深呼吸をし、足元を見つめたまま静かに答えた。

「……それでも、私は真実のために動くしかない」

 彼の厳しい言葉は、まるで自分に向けられた刃のようだった。しかしその刃を受け止めて初めて、自分の弱さも強さも見えてくるのだと知っている。

 闇に溶けていく彼の背中を見送りながら、ソフィーの胸には覚悟が静かに燃え上がった。

「俺は、あの時のお前の身勝手な正義感が嫌いだ。今でも何も変わっちゃいない」

 グウェナエルのその言葉の重みを、ソフィーは忘れなかった。そして、彼の瞳の奥に確かに揺らいだ迷いと苦しみの色も。

 彼は心のどこかで、ソフィーの変化に気づいている。

 それでも自分と向き合うことを恐れているのだろう。不器用で、強がりな男。

 そんな彼の姿を、ソフィーは鮮明に見透かしていた。

「うーん、時間をかけて向き合うしかないよね」

 そう呟きながら、暗闇に向かって苦笑を漏らす。

 遠くで静かに揺れる灯りのように、二人の間にある複雑な感情が少しずつ溶けていくことを彼女は密かに願っていた。

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