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第二章⑥ アルフォンスとベルリオーズ

 薄暗い応接室の重厚なカーテンが夜の冷気を遮り、部屋の奥には小さな蝋燭がかすかな灯りを揺らめかせている。

 革張りの椅子や古びた調度品が静かに時を刻む中、扉の軋む音が響いて鳥籠の中のノクターが反応した。

 アルフォンスは慎重な足取りで部屋に入り、手にした銀製のトレイの上に夕食を載せている。温かな湯気がほのかに漂い、静寂の中にわずかな生命の気配をもたらしていた。

 部屋の隅、重い鉄製の手枷をはめられたベルリオーズが冷たい石壁にもたれかかるようにして座っている。彼の瞳は暗闇の中でも冴え渡り、ひそやかな怒りと焦燥が滲んでいた。

 アルフォンスはトレイをテーブルに置くとベルリオーズの目をじっと見つめ、声を落として言った。

「食事です。少しでも体力を保たねばなりませんからな」

 ベルリオーズは微かに眉をひそめるも、無言のまま静かに食事の方へ視線を落とした。

 アルフォンスはその様子を観察しながら、重々しく扉の方を振り返る。

「……何か、伝言がありましたら申し付けてください」

 ベルリオーズは冷めた目でアルフォンスを見据え、声を潜めて言った。

「伝言だと? それなら、俺の存在を忘れずにいてくれ」

 アルフォンスはこのクソ生意気な弟みたいな面影のある後輩に少し微笑みを含ませて応えた。

「忘れるわけありませんよ。少なくとも僕は」

 アルフォンスは鳥籠の扉を開けて、ノクターの前に小皿を置いた。

 ノクターは首を傾げたが、そのうち小皿の中身を突き始める。

 勝手にしやがってと苦々しく様子を見ていたベルリオーズがそっぽを向いたその時、彼の視線が置かれたトレイの上にあったもう一膳の食事に気づく。

「なあ……なんで二人分あるんだ?」

 アルフォンスは肩をすくめながら軽く言う。

「僕もここで夕食を取るんですよ」

 ベルリオーズは驚きを隠せず、目を見開いた。

「は? 冗談じゃない。帰れ」

 アルフォンスは頑なに首を振り、声を少しだけ甘くして言った。

「さびしいこと言わないでよー」

 ベルリオーズはしばらく黙って微かに眉を緩めた。

 部屋の空気が一瞬だけ、わずかに柔らかくなった気がした。

 アルフォンスは手際よくベルリオーズの手錠を外し、二人はようやく夕食に手をつけた。

 しばらくは無言で食事に集中していたが、ベルリオーズがぽつりと口を開く。

「今日の夕食、意外と美味いな」

 アルフォンスは照れくさそうにニヤリと笑いながら言った。

「えへへ、嬉しいですなー」

 ベルリオーズは一瞬手を止め、目を見開いた。

「え、お前が作ったんか?」

 アルフォンスは涼しい顔で答える。

「ん? そうですけど?」

 ベルリオーズの顔色がみるみる青ざめていく。

「……は? なんでだよ!?」

 アルフォンスはにっこりと笑いながら説明した。

「だって内部に敵が入り込んだ事実がある以上、お二人に迂闊に食事を与えられないって判断を下したんですよー。だから僕が手料理を振る舞って、僕の手で二人の元に運ぶことにしたんです。文句はボナパルト副司令官に言ってくださいね。言えればですけど」

 ベルリオーズは食器を握りしめたまま、ぽかんとしつつもどこか感心したような顔をしていた。

 彼はしばらく無言でアルフォンスを見つめてから、ふっと苦笑いを浮かべた。

「お前……何考えてんだ、まったく。敵に囲まれてるのに、のんびり料理してる場合か?」

 アルフォンスは軽やかにフォークを置き、テーブルに肘をついた。

「いやいや、こういう時こそ心の栄養が大事じゃないですか。腹が減っては戦はできぬ、と申しますし」

 ベルリオーズが小さく笑った。

「まあ、確かにお前の飯なら文句は言えんな。だけど、いつまでここに閉じ込められるかと思うと気が滅入るぜ」

 アルフォンスは真剣な目でベルリオーズを見返した。

「それでも、必ず出られますよ。諦めちゃだめです」

 ベルリオーズはふと視線を落とし、短くつぶやいた。

「……お前のその明るさ、時々鬱陶しいくらいだな」

 アルフォンスはにっこり笑いながらフォークを手に取り、もう一口食べた。

「それは褒め言葉として受け取っておこう」

「なあ、総司令部の時から思ってたけど、なんでいちいち俺に構うんだ?」

「だって、ベルリオーズくんは……信頼できるからですよ。総司令部にいた時も、そして今も。君には誰にも言えない秘密を抱えているように見えるけど、僕は君の本当の強さを知っている」

 アルフォンスは言葉を選びながら手を軽く机に置いた。

「だから、ほっとけないんだ。放っておいたら、君は勝手に無理をするでしょう?僕はその姿を見てられない」

 アルフォンスは少し照れくさそうに、真剣な口調で続けた。

「僕の役目は、君を支えること。……まぁ、ただの食事係だけじゃないってことだね」

 アルフォンスの言葉にベルリオーズは微かな笑みを返し、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。

「支える、か。大元帥のことは? もちろんそっちの方が大事な役目だろう」

 アルフォンスは少しだけ目を伏せ、落ち着いた口調で答えた。

「大元帥のことは、もちろん僕の最優先の役目ですよ。彼のそばにいるのは、父から受け継いだ責任ですから」

 アルフォンスはゆっくりと顔を上げ、ベルリオーズの目を見て言葉を続ける。

「でも、君のような存在を支えることも僕にとっては大切なんだ。どちらも手を抜けない役割だからね」

 アルフォンスは少しだけ微笑み、柔らかな声で締めた。

「結局、僕は誰かの側にいて支えることが性に合っているんだな」

 その後、二人は無事に食事を終えた。

 アルフォンスが手枷をつけ戻すと、ベルリオーズは薄暗い部屋の隅に身を沈め、ため息混じりに呟いた。

「俺はいつだって誰かに利用されてばかりだ…」

 彼の瞳はどこか遠くを見つめ、苦々しい記憶の影が走る。

「父は足を洗ったと言うけれど、俺にはそんな自由はない。エドガーの影は常に背中に張り付いていて、逃げられやしない」

 冷え切った空気の中で、ベルリオーズの口調には微かな諦念が混じる。

「情報屋の血筋とやらに生まれた宿命か……いや、それ以上に俺が自ら選んだ道だとしても、心は折れそうになる」

 彼は少しだけ拳を握り締めて呟く。

「それでも、何とかやっていくしかないんだろうな。利用されてるだけじゃ終われない」

 アルフォンスは静かにベルリオーズの隣に腰を下ろし、柔らかく声をかけた。

「ベルリオーズくん、君は確かに色々な重圧に晒されている。だけど、君が選んだ道だからこそ僕は君を信じているんだよ」

 アルフォンスの瞳は真剣で、揺るぎない信頼が込められている。

「利用されているように感じるかもしれないけれど、君の知恵と強さがなければこの状況はとても乗り越えられない。君は一人じゃない。僕も、そして大元帥も、君の力を必要としているんだ」

 アルフォンスは少し微笑んで続ける。

「だから、どうか自分を責めないでほしい。君は確実に、みんなの支えになっている。僕はそれを知っているからね」

 彼の言葉は静かな励ましとなって、ベルリオーズの胸にじんわりと染み渡った。

 アルフォンスはベルリオーズの目をじっと見つめ、落ち着いた口調で言った。

「それに、海軍に来たのは君の意志なんだろう? 士官学校を成績優秀で卒業してすぐに念願の総司令部に配属された。君の頭脳の明晰さと努力は誰にも否定できないよ」

 ベルリオーズは少し苛立ちを滲ませながらも吐き捨てるように答えた。

「所詮、中流貴族がのし上がるには軍で出世するしかない。親父の上昇志向を俺が引き継いだだけだ」

 アルフォンスは穏やかに微笑むが、真剣なまなざしは崩さない。

「それでも、総司令部に入ってからの君の努力は誰もが目を見張った。君がいるからこそ、総司令部は円滑に動いている。君が自分の意志でここまでのし上がってきたなら、それは紛れもなく君自身の真実だ」

 ベルリオーズは一瞬言葉に詰まったが、どこか救われたような表情で目を伏せる。やがて彼は小さく息をつき、少し肩の力が抜けたように言った。

「……なんというか、ありがとな」

 アルフォンスは優しく微笑み返し、彼の背中を軽く叩いた。

 ベルリオーズは続けて少し恥ずかしそうに言う。

「引き留めて悪かった。本来の業務に戻れよ」

 アルフォンスは軽く頷きながら、立ち上がって応接室の扉へと向かう。

「うん、そうさせてもらうよ」

 しかし、部屋の外へ出ようとしたその時。

 ノクターが一言カァと強く鳴いた。それと同時に、遠くの方からかすかな物音が響く。

 ベルリオーズは不意に立ち止まり、窓の外へ目をやった。

「……ん?」

 アルフォンスも気配を察し、振り返る。

「どうかしましたか?」

 ベルリオーズはしばし考え込み、やや眉を寄せて言う。

「いや、気のせいかもしれんが……見張りの警戒はもっと強めた方が良さそうだ。ノクターの様子も変だし、なんとなく胸騒ぎがする」

 アルフォンスは頷き、身を正す。

「ええ、すぐにお伝えします」

 そして、アルフォンスは今度こそ応接室を出ていった。

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