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第二章⑤ ソフィー

 ソフィーはゆっくりと目を覚まし、ぼんやりとした意識の中で身体を起こした。

 まぶたを重く引き上げ、周囲の静かな空気を感じ取る。

 ふと横に目をやると、床に座ったマクシムが彼女のベッドの脇に身を寄せている。顔と腕をベッドに置き、静かに伏せたまま眠りについていた。

 その穏やかな寝顔を見てソフィーは小さく安心の吐息を漏らす。

 近くの木製の机の上には水を張った桶と、しっとりと濡れたタオルがきちんと置かれていた。

 彼がそっと用意したそのものたちが、彼の気遣いを物語っているようだった。部屋にはやわらかな昼の光が差し込み、静けさの中に温かさを運んでいる。

 ソフィーの瞳はそっと伏せたマクシムの寝顔を捉えた。その表情には、普段の冷静さや厳しさは微塵もなく、ただ静かな安らぎだけが漂っている。

 どこかあどけなさを残した童顔は、時折見せる鋭いまなざしとはまるで別人のようだった。だが、彼の髪に目を落とした瞬間、ソフィーの胸に重いものがずしりと落ちる。

 かつての漆黒の髪は色を失い、淡く灰色がかったアッシュへと変貌していた。

 自分が不在だった数ヶ月の間、まるで日毎に剥がれ落ちていく鎧のように苦難と疲弊の痕跡が刻まれている。

「こんなにも……」

 声にならない呟きが彼女の胸を締めつけた。

 年上のはずの彼は時に見せる幼さがとても頼りなく、彼女の中で不思議な感覚を呼び起こす。

 守るべき存在でありながら、どこか守りたくなるような繊細な少年のような側面だった。

 ソフィーはそっと息をつき、まだ眠る彼の肩をほんの少しだけ揺らしてみる。

 彼の全てを抱きしめるにはあまりにも大きな現実が静かに二人を包み込んでいた。

 ソフィーはまだ眠るマクシムの肩にそっと手を置いた。

 いつまでもこうしているわけにはいかない、そんな思いが胸をよぎる。

「隊長、起きてください」

 静かな声にマクシムの体がかすかに揺れた。

 マクシムのまぶたがゆっくりと開く。

 まるで重いカーテンがそっと引かれるように、彼の瞳がぼんやりと光を取り込んでいく。

 静かな医務室の空気が柔らかな朝の光とともに彼を包み込む。肩の力が抜け、眠りの余韻がほんの少しだけ残るその表情は、いつもよりずっと穏やかで柔らかい。

 彼の頬を伝う微かな疲労の影は、数ヶ月の戦いと苦悩を物語るが、その瞳は確かに優しさを湛えていた。

 マクシムはゆっくりと顔を上げ、目の前のソフィーと視線を交わす。

 その瞬間、言葉にできない絆と安堵がふたりの間に静かに漂う。

 あの海上実習の朝の、緊張と安堵が入り混じったあの感覚、あの日の光景がまるで波紋のように蘇る。

 ソフィーは小さく微笑みながら、優しく目を見つめた。

「おはようございます、隊長」

 マクシムは少しだけ目を細めて、柔らかい声で返した。

「……おはよう。というには、ちょっと遅いかな」

 二人の間に静かな時間がゆっくりと流れていった。

 マクシムは静かに顔を上げると、まだ少しぼんやりとした視線でソフィーを見つめた。

「気分はどうですか?」

 問いかけたその声はどこか優しくて温かい。だが、ソフィーが返事をする間もなくマクシムはゆっくりと立ち上がり、軽やかな足取りで医務室の扉へ向かった。

「僕はアニータを探してきます」

 その一言だけを残し、振り返ることなく部屋を後にする。

 ソフィーはそんな彼の背中を見つめながら小さく息をついた。


 アニータはそっとソフィーの額に手を当て、その温もりを確かめるように静かに頷いた。

「うん、すっかり熱は下がったね」

 その声には長く続いた不安から解放された喜びが滲んでいた。

 ソフィーも少しだけ笑みを返す。

 リゼーヌはそんな二人の様子を優しく見守りながら、静かな空気を作っていた。

 一方で、マクシムはリラの声に応えて医務室を後にし、任務へと戻っていった。

 ソフィーは自分の額に触れ、まだかすかに熱が残るのを感じながらも口元には微かな疲労の影があった。

「ご迷惑をおかけして本当にすみません。まさか、ここまで自分が限界に達しているとは……気づけませんでした」

 言葉に詰まりそうになりながらも強い責任感が滲む。

 アニータはそんなソフィーの肩に軽く手を置き、目をじっと見つめる。

「あなたはいつも誰かのために走り続けている。でも、その強さが時に自分自身を追い詰める。見ていて辛かったわ」

 彼女の声には優しさと共に静かな心配が含まれていた。

 リゼーヌもゆっくり頷きながら静かに言葉を添える。

「隊長もあなたのことを気にしていました。あの人はあまり表に出さないけど、心配で仕方なかったんです。あなたが倒れた時のことを思うと……」

 言葉を切りながらも彼女もまた胸の内にあった想いを素直に吐露した。

 ソフィーはその言葉を聞くうちに、胸の奥に押し込めていた不安と焦りが少しだけほぐれていくのを感じた。

「でも……私がしっかりしなきゃ、皆が困る。隊長やみんなに、頼られる存在でいなきゃって」

 呟くように言ったソフィーの声はまだ揺れている。

 アニータはゆっくりと顔を近づけて柔らかな微笑みを浮かべる。

「強いあなたが弱さを見せることを恐れないで。時には休んでいいのよ。強さは、決して無理をすることじゃない」

 リゼーヌも優しく手を差し伸べる。

「あなたは完璧じゃなくてもいいんです。むしろその不完全さを抱えてこそ、皆の心をつかめるんです。疲れたら頼ってください!」

 それから、リゼーヌは目を輝かせながら突然切り出した。

「そうだ! お二人のこと、占ってみていいですか?」

 リゼーヌの予想外の提案にソフィーは一瞬目を見開き、眉がぴくりと動いた。

 アニータも軽く口をあんぐりと開けて驚きを隠せない。やがて、小さく首をかしげて困惑したように目を細めながら問いかけた。

「唐突すぎない……?」

 ソフィーは微かに苦笑いしながらも少し首をかしげる。

「リゼーヌ、そんなに前からやりたかったの?」

 リゼーヌは顔を少し赤らめながらも瞳を輝かせて恥ずかしそうに首をうなずいた。

「えへへ、ずっと試してみたくて……東洋の占星術、五行説を使った占いなんです。木、火、土、金、水の五つの元素が人の運命や性格を決めてるっていう考え方で……陰と陽のバランスも大事なんですよ」

 ソフィーはリゼーヌの熱意にまるで温かい風に吹かれるような気持ちになり、目の端で彼女をじっと見つめる。

「意外と真剣で、一生懸命なんだな……」

 アニータは唇を軽く噛みしめながらも、まんざらでもなさそうに頷いた。

「うん……面白そうね。最近疲れてるし、ちょっと気分転換になるかも」

 リゼーヌは嬉しそうに小さな星盤を取り出すと、細かく装飾された盤をくるくると回し始めた。

 彼女の口元には自然と笑みが浮かび、瞳は希望に満ちて輝いている。

「じゃあ、ソフィーさんから。あなたは『水』の元素が強いです。感受性が豊かで、人の感情に敏感。だから疲れやすい面もあるみたい。感情を溜め込みがちなところ、ありますよね?」

 ソフィーは視線を少し落とし、ゆっくりと息を吐きながら答えた。

「ええ、まさにその通りです……自分のことを後回しにしてしまう癖があって」

 彼女の瞳にはどこか遠い場所を見つめるような、揺れる光が宿る。

 リゼーヌはその様子を見て優しく微笑んだ。

「だから、倒れてしまったのかもですね。無理は禁物です」

 アニータも小さく頷きながら、優しい目をソフィーに向ける。

「でも、それだけ繊細で強い心を持っている証拠よ」

 続いてリゼーヌはアニータに目を向けた。

「アニータさんは『火』と『木』の元素が強い。情熱的でエネルギッシュ。何事にも積極的で、時にはその熱が空回りしちゃうこともあるかもです」

 アニータはその言葉を聞いて軽く肩をすくめつつも、口元には柔らかな微笑みが浮かんだ。

「そうね。熱くなりすぎるところはあるけど、それが私の良さでもあると思ってるわ」

 リゼーヌは星盤をそっと閉じて二人に向き直る。

「お二人の元素のバランスは、まるでお互いの欠点を補い合うペアみたいです。陰と陽が調和して、どんな困難も乗り越えられる強い絆を持っています」

 ソフィーはその言葉に胸の奥からじんわりと温かさが広がるのを感じ、自然と頬が緩む。

「この部隊で、みんなと支え合っていけるのかもしれない」

 アニータも少し目を細め、口元に穏やかな笑みを浮かべた。

「私たち、案外いいコンビかもね」

 リゼーヌは深くうなずき、柔らかい声で締めくくった。

「占いは未来を決めるものじゃないんです。自分の道を進むヒントにすぎません。みんなが自分自身を信じて、前に進んでいけますように」

 静かな言葉がソフィーの胸に沁み渡る。

 三人の穏やかな眼差しと温かな言葉が、ゆっくりと彼女の心を癒していった。

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