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第二章① グウェナエルとメリッサ

 午後の陽射しが照りつける中、重い荷物を積んだ馬の蹄が石畳をリズミカルに叩く。

 買い出しを終えたメリッサとグウェナエルは、ゆっくりと街の外れへと歩みを進めていた。

 グウェナエルの眉間には無意識に深い皺が刻まれている。

 心の奥底にくすぶるものがあるのは自分でも気づいていたが、それを言葉にするのは嫌だった。

 戦場の記憶は未だに彼の心を蝕んでおり、昔のことを語ることは今も恐怖を伴う苦痛でしかなかったのだ。

「野菜、ちょっと柔らかすぎたかな」

 メリッサの明るい声がそうした陰鬱な空気を掻き消そうとするように響く。

「……違いなんて、俺にはよくわからない」

 グウェナエルは薄く目を細め、少しだけ顔を背けた。言葉は短く、そっけない。

 メリッサはそれでも笑顔を絶やさず、身を乗り出すように言った。

「グウェナエルさんは戦場じゃ強いけど、買い物は私に任せてください。グウェナエルさん、面倒臭そうだけど根は優しいですよね?」

 その言葉に一瞬だけグウェナエルの瞳が揺れた。だが、すぐに頑なな表情へ戻る。

 彼の心は過去の影に引きずられていたのだ。

「付き合ってるのは……嫌々だ」

 その言葉にはわずかに疲労と孤独が滲んでいた。

 メリッサはそんな彼の背中に視線を落とし、やさしく言葉を紡ぐ。

「それでも、一緒にいることが無意味じゃないって思いたいです。グウェナエルさんのこと、もっと知りたいですよ。イタリアで何があったんですか?」

 グウェナエルは馬のたてがみを握りしめ、しばし言葉を飲み込む。過去の記憶が胸を締めつけ、喉の奥で固まる。

「話すと……苦しくなる」

 彼の声は掠れ、か細かった。

「それでも……」

 メリッサの声は揺るがない。彼女の好奇心はただの興味以上のものだった。彼の痛みを理解しようとする優しさがその言葉に宿っている。

 グウェナエルは無言で遠くの空を見つめる。かすかな風が頬を撫で、彼の心も少しだけ和らぐようだった。

「……同郷だな」

 ぽつりと零した言葉には重い意味が込められていた。

 二人の間には言葉にはできない何かが流れていた。重くも暖かい沈黙が、ゆっくりと二人の距離を縮めていく。

 グウェナエルは少し間を置いてから口を開く。

「生まれは、イタリアのトスカーナ地方の片田舎さ。昔はグスターヴォ・ベルティという名前でな……まあ、今は違うけどな」

 メリッサは驚いたように眉を上げるが、すぐに優しく微笑んだ。

「グスターヴォ? ずいぶん昔の名前ですね。まるで違う人みたいです」

「違う人間になるのは、ある意味正しいな。陸軍志望だったんだが……いつかの戦乱の時、俺は一度死んだ」

 メリッサは一瞬息を呑んだが、すぐに真剣な目で言った。

「それでもグウェナエルさんはここにいる。過去の影を背負いながらも、前を向いてるんですね」

「そうだ。だから、俺にとってイタリアの故郷は遠い夢のようなものだ。でも、同郷の奴とこうして話せるのは救いだな」

 馬がひづめを鳴らし、周囲の喧騒が彼らの会話を優しく包んだ。

 グウェナエルは軽く眉をひそめ、メリッサをじっと見つめた。

「それで? メリッサはなんでフランスの海軍に入ったんだ。しかも料理人兼砲手と火薬係っていう、珍しい肩書きで」

 メリッサは片手をひらりと動かして笑った。

「あの、肩書きは逆なんですけど……まあいいや。細かいことは気にしない性格なんで」

 グウェナエルは軽く口元を緩めたものの、すぐに真面目な顔に戻る。

「そんな肩書きじゃ、戦場で何かあったらどうすんだ」

 メリッサはくすっと笑いながら肩をすくめた。

「嫁ぐのが嫌だったんです。親に結婚しろ結婚しろって、煩くて仕方なくて。だから実家を出て、親の手の届かないところに行こうって思ったんです。でも、結局は手紙が毎日のように届いて催促がすごいんですよね」

 グウェナエルは黙ってその話を聞いていた。目にはわずかな優しさが宿り、ふと小さく呟くように言った。

「自由を求める気持ちは、わからんでもない」

 メリッサはそんな彼の言葉に微笑み返し、言葉にはしないけれども少しだけ距離が縮まった気がした。

「自由、ですか。そうですね、私、自由になりたかったんでしょうね。でも自由の定義って難しいですね。グウェナエルさんはどう思います? 自由について」

 グウェナエルは少し眉を寄せ、遠くを見つめるように目を細めた。

「自由……か。俺にとっての自由は、まず『生きること』だ。好き勝手に振る舞うことじゃない。自分の命を、意志を持って守ること。それが真の自由だと思う」

 彼はふっと息をつき、表情を引き締めた。

「過去に死を経験した身としては、生きることの重さがわかる。命を守るために、時に我慢や犠牲も強いられる。だがそれも、自由への代償だ」

 グウェナエルは静かにメリッサの目を見据え、続けた。

「だから、自由とは時に重く、孤独なものでもある。だが、それを掴むために俺はここにいる」

「……グウェナエルさんが隊長に忠誠を尽くしてることは、もう……よくわかってます。だって、グウェナエルさん、隊長を守るためなら何だって動きそうですもの」

 グウェナエルはちらりと彼女を見て、少しだけ笑みを浮かべた。

「俺のことを心配してくれてるのか?」

 メリッサはギョッとしてすぐに否定する。

「な、そんなわけないじゃないですか! ……でも、確かにそうかも。だって、もしグウェナエルさんが死んだら、夜食が作れなくなっちゃうし……」

 グウェナエルは肩をすくめて、静かな口調で言った。

「心配には及ばん。俺は簡単にはくたばらん。隊長も大事だが、それ以上に大切な奴の元に戻るようにしてる」

 その言葉にメリッサは思わず眉をひそめて首をかしげる。

「グウェナエルさん、なんだかんだ言ってソフィーさんのこと今でも……」

 グウェナエルはそれ以上は言わず、振り返らずに言い放つ。

「もうすぐ宿舎だ。早く昼寝したいから置いてくぞ」

 メリッサは慌てて後ろから声を張る。

「あ、待ってください! 話がまだ終わってな——」

 しかしグウェナエルの足は速く、あっという間に距離を開けてしまった。

 メリッサは足早に追いかけようとしたが、グウェナエルの姿はもう遠く、すでに視界から消えてしまっていた。

 途方に暮れて立ち尽くすメリッサの視線が、ふと隣にいる黒い馬へと向く。

 馬もまた不思議そうに首をかしげてこちらを見ていた。

「ちょっと……お馬さん、置いていかないでくださいよぉ」

 困ったように声をかけるメリッサの口調には、ほんの少しだけ愛嬌が混ざっていた。

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