既存の魔導を嗤う、新理論の一撃
「不遜なガキめ! その生意気な口、二度と利けぬようにしてやるわ!」
家庭教師バルトの杖の先端から、激しい爆音と共に赤熱の炎弾が放たれた。
七歳の子供に向けるにはあまりにも過剰な、殺意すら感じる一撃。廃屋の埃っぽい空気が一瞬で跳ね上がり、背後のエルが「ジン、危ないっ!」と悲鳴を上げる。
──だが、僕の脳内は、驚くほど冷静にその炎の軌道を演算していた。
(エルの言う通りだ。この世界の魔法は、魔力をガチガチに固めて質量を持たせた『弾丸』として放たれている。だから、軌道が直線的で、なおかつ発動の瞬間に強烈な予備動作がある)
迫り来る炎の弾丸。
僕は一歩も引かず、さっきエルと床に書き殴った新しい数式を脳内で起動した。
(──軸定・定位の型、展開)
仙骨をミリ単位で垂直に立て、背骨と頭の位置を完全に一直線上に揃える。
ただの物理的な姿勢ではない。エルの理論を組み込んだことで、僕の極小の魔力回路が背骨を中心に一本の『歪みゼロの魔力軸』として完全固定された。
炎弾が僕の胸元に迫る。その刹那、僕は筋肉のブレーキを解放した。
(──緩解・決壊)
体内の魔力抵抗を完全なゼロ──流体へと変える。
迫る炎弾の激しい熱量に対し、僕はあえて肉体をガチガチに固めて防御するのではなく、完全に『脱力』してその衝撃を受け入れた。
──ズゥンッ!!!
廃屋の床が激しく揺れ、爆煙が僕の身体を包み込む。
「ハハハ! 自業自得だ! 我が炎に焼かれて塵に──」
「──ねえ、おじさん。君の魔法、見た目は派手だけど、中身はスカスカだね」
バルトの勝ち誇った笑い声が、ピタリと止まった。
晴れていく煙の向こう側。僕は衣服の端が少し焦げただけで、傷一つなく、最初と同じ自然体でそこに立っていた。
「な……な、に……っ!? 防御魔法の展開もなしに、我が炎弾を直撃で受けて無傷だと……!? あり得ん、お前の魔力量はほぼゼロのはずだぞ!」
バルトが目玉が飛び出そうなほど驚愕し、杖を持つ手をガタガタと震わせる。
後ろで見ていたエルもまた、口を手で押さえたまま、その大きな瞳を信じられないというように輝かせていた。
(よし、検証通りだ。魔力を固めて防御しようとするから、相手の破壊エネルギーと衝突して肉体が壊れるんだ。僕は『緩解』によって体内の抵抗をゼロにした。炎弾の破壊エネルギーは、僕の肉体を素通りして、足の裏から地面へとそのまま逃げていった。皮膚表面はちょっと熱いけど、内部へのダメージは完全にゼロだ)
これが、僕とエルが数分前に完成させた、既存の魔導の常識を覆す『新世代の防御理論』の実戦証明だった。
「お前、一体どんな妖術を……! ええい、死ね! 死ねぇい!」
パニックに陥ったバルトが、狂ったように杖を振り回し、次々と炎の弾丸を乱射してくる。
しかし、その挙動は僕からすれば、もはや止まっているも同然だった。
(戦況の最適解を往く──転位・刹那の歩法)
僕はスッと息を吐き、炎弾と炎弾のわずかな隙間、そしてバルトの視線がブレる「零コンマ数秒」の死角へと滑り込んだ。
一歩、二歩。地面を蹴るのではない。ただ重心を前に倒し、滑るように移動する。
バルトの視界から、僕の姿が一瞬で掻き消える。
「どこへ行った……がはっ!?」
気づいた時には、僕はバルトの懐──その顎の下へと潜り込んでいた。
「終わりだよ。これが、僕とエルの最初の研究成果だ」
僕は身構えない。ただ、背骨の軸を綺麗に通した『軸定』の姿勢から、右拳をバルトの鳩尾に向けて真っ直ぐに放り投げた。
(──軸定・定位打撃)
ボフッ、という、まるで布団を叩いたかのような軽い音が響く。
衣服の表面には何の傷もつかない。しかし、僕の腕の自重と、背骨から通した回転エネルギー、そして極限まで圧縮された僕の魔力の波形が、バルトの肉体内部の魔力経絡へとダイレクトに浸透していった。
「あ……が、は……っ!?」
バルトの顔が、一瞬で土気色に変わった。
彼が体内に練り上げていた炎の魔力が、内部からの衝撃によって完全に四散霧消し、制御を失った魔力の逆流が彼の内臓を激しく打ち据える。
どさ、と杖が手からこぼれ落ちる。
宮廷魔導師を輩出する名家の家庭教師──大人のプロの魔導師が、魔力ゼロと蔑まれた七歳の少年の「ただ拳を当てただけの一撃」によって、白目を剥いて床に崩れ落ちた。完全なる沈黙。
「ち、父上……? 嘘だろ、父上が平民のガキに……」
鼻に包帯を巻いたバルトの息子が、恐怖のあまり腰を抜かし、涙と鼻水を流しながら後ろずさりしていく。
「君も、もう僕たちの邪魔をしないでね」
僕が爽やかに微笑みながら一歩踏み出すと、息子は「ひ、ひいいいっ!」と悲鳴を上げて、気絶した父親を置いて一目散に廃屋から逃げ出して行った。本日二回目の、完璧な|鉄拳制裁の完了である。
静まり返った廃屋の中で、僕は床の数式を見つめていたエルへと振り返った。
「エル、実験は大成功だ。君の数式通りに魔力を整えたら、前世よりも打撃の浸透効率が格段に上がったよ。やっぱり君は天才だね」
僕がそう言って笑いかけると、エルは、床に書かれた数式と、気絶したバルトの姿を何度も交互に見つめ、それから──まるで宝物を見つけたかのように、その綺麗な顔をくしゃくしゃにして笑った。
「すごい……すごいよジン! 僕の理論は、間違っていなかった! 身体が弱くても、魔力が少なくても、僕たちは……僕たちの技術は、既存の魔法すべてを凌駕できるんだ!!」
エルは再び僕の元へと駆け寄り、今度は照れることも忘れて、僕の手を強く強く握りしめた。その手のひらは、病弱ゆえに少し冷たかったけれど、僕と同じ『武の真理』への熱い情熱で、確かに脈打っていた。
「ジン、僕と一緒にもっとこの理論を突き詰めよう! 世界中の誰もが、僕たちみたいに強くなれる、最高の技術を創り出すんだ!」
「うん。喜んで。僕たちの新しい武術──いや、『武術魔法』の歴史を、ここから始めよう」
薄暗い廃屋の光の中で、僕たちは固い約束を交わした。
ステータス最底辺の二人が、世界の常識を根底から塗り替える──新時代の道場の種が、今、確かにこの場所に蒔かれた瞬間だった。




