世も末なクソガキどもへの「ミリ単位の見切り」
「おい無能、無視してんじゃねえよ!」
ガキ大将の拳が、僕の顔面めがけて真っ直ぐに突き出された。
わずかにパチパチと青い火花のような光が散っている。この世界でいう『身体強化魔法』の初歩だ。魔力を拳にまとわせ、力任せにぶん殴る。子供の喧嘩としてはそれなりに脅威的な威力だろう。
取り巻きのガキどもが「やっちまえ!」と下品な声を上げる。
──だけど、僕からすれば、その攻撃はあまりにもスローモーションだった。
(大振りが過ぎるな。予備動作が大きすぎて、どこに打ってくるか丸分かりだ。それに……筋肉をガチガチに固めて魔力を乗せている。本人は強くしているつもりなんだろうけど、それじゃあ自分で自分の動きにブレーキをかけているようなものだよ)
僕は一歩も引かなかった。
ただ、顎をわずかに引き、背骨を垂直に揃える『軸定』の姿勢を維持する。
フッ、と風を切る音が鼓膜を揺らした。
クソガキの拳が、僕の鼻先をかすめる。距離にして、わずか数ミリメートル。
相手の攻撃の軌道を完全に読み切り、必要最小限の動きだけでかわす──前世の道場で磨き上げた『転位』の技術、ミリ単位の見切りだ。
「ぶっ……え!?」
手応えのない空振りに、クソガキの目が驚愕に見開かれる。
力任せに放った一撃が空を切ったのだ。ガチガチに力んでいた彼の身体は、当然、前方へと大きくバランスを崩す。
そこに、僕はそっと手を添えた。
本当に、触れるだけの優しい手。
──ここから筋肉のブレーキを一気に外す『緩解』を行う。
自分の体重、位置エネルギー、そして体内に超高密度で圧縮されていた魔力の波を、添えた手のひらから一気に相手へと流し込む。ダムの決壊のような脱力のエネルギーだ。
力で押し倒すのではない。相手が勝手に前のめりに倒れ込もうとする「ベクトルの向き」の先を、僕の手のひらでほんの少し誘導してあげただけ。
「う、わああああっ!?」
クソガキの巨体が、まるで重力を失ったかのように宙を浮いた。
次の瞬間、自分の突進の勢いをそのまま何倍にも増幅された彼は、勢いよく地面へと頭から叩きつけられた。
ドガァン!! と、子供の喧嘩とは思えない鈍い衝撃音が広場に響き渡る。
「……あぶ、ぶっ」
ガキ大将は白目を剥き、口から泡を吹いてその場に卒倒した。完全な失神だ。
魔法の光は綺麗に消え失せ、地面の泥まみれになってピクリとも動かなくなった。
静寂が、広場を支配する。
「ひ、ひいいいっ!?」
「ば、化け物……!」
残された取り巻きのガキ二人が、腰を抜かして地面にへたり込んでいた。彼らの股間からは情けない液体が染み出し、強烈なアンモニア臭が漂ってくる。恐怖のあまり脱糞、放尿してしまったらしい。
僕は買い物袋を律儀に持ち直すと、彼らを見下ろして爽やかに微笑みかけた。
「君たちの身体強化、魔力を固めすぎて速度も質量もロスしてるよ。もっとリラックスして、重心の移動を意識した方がいい。……あ、もう僕の両親のこと、バカにしないでね?」
「う、うわあああああん!!」
取り巻きどもは泣き叫びながら、気絶したガキ大将を置き去りにして一目散に逃げ出していった。
(やれやれ。僕としてはただの親切なアドバイスのつもりだったんだけどな。まあ、これで少しは静かになるだろう)
前世の屈強な大人の肉体と違って、この七歳の子供の身体は非常に繊細だ。だからこそ、力に頼らない純粋な『理』による一撃が、これ以上ないほど綺麗に決まる。
ステータスや魔力量なんて、身体操作の極致の前にはただの飾りに過ぎない。
「さて、お母さんに頼まれたお使いの続きを──む?」
広場を後にしようとしたその時、少し離れた路地裏から、また別の怒鳴り声と、何かを引きずるような不穏な音が聞こえてきた。
そこには、さっき僕が撃退したクソガキの残党か、あるいは別のいじめっ子グループだろうか。数人の少年たちが、一人の子供を囲んで泥の中に押しつけていた。
「おい、嘘つきの無能! 『魔力瞬間爆発理論』だあ? そんなにすごい理論があるなら、今ここで魔法を使ってみせろよ!」
「できないだろ? やっぱり嘘つきじゃん! ヴァレンシュタイン家の恥晒しが!」
いじめっ子たちが、容赦なくその子の背中を蹴りつける。
泥まみれになりながら、地面に這いつくばっているのは──驚くほど整った顔立ちをした、同い年くらいの中性的な美少年だった。
その少年は、悔しさに唇を噛み締め、大粒の涙をポロポロと流しながら、泥水の中で震えていた。
僕は、静かに歩みを進めた。
拳の関節を、パキパキと軽く鳴らす。
(……一日に二回も教育が必要な現場に遭遇するなんてね。本当に、世も末だな。よし──あの子も、きっちり助けてあげようか)
それが、僕と『エル』──世界を塗り替えることになる、最高の相棒との運命の出会いだった。




