大数魔導学院《マセマティカル・タワー》の惨劇と、確率の破壊者
魔導軍船『真理の揺り籠号』が東方大陸の港へ接岸した瞬間、僕たちの『アルテミシア強奪作戦』はすでに開始されていた。
目的地である『大数魔導学院』は、ここから数百キロ内陸にある。本来なら馬車を飛ばしても数日はかかる距離。
だが、甲板の上に立った十三歳のエルは、不敵な笑みを浮かべて演算魔導具を空中に展開した。
「ふふん、一年間の洋上特訓を舐めないでよね! 今の僕の『神域演算』なら、一度も行ったことがない場所でも、大陸全体の地脈の数式から逆算して、座標を強制的にクラックできるんだ! ──短距離空間転移門、接続!」
エルの指先から放たれた青い数式の光が、甲板の上の空間を強引に引き裂き、眩い光の門を作り出した。
「よし、タイムリミットだ。一気に行くよ!」
骨格が一回り引き締まり、野生の豹のようなしなやかさをまとった十三歳のジン──僕は、エルと手を繋ぎ、ウロボロス、トアと共にその光の門へと飛び込んだ。
*
ドゴォオオオオン!!!
天を突くような巨塔『大数魔導学院』の最上階。
そこは本来、世界のあらゆる数理を研究する最高峰の学者たちの聖域だった。しかし今、その美しい白亜の回廊は、血の海と化していた。
「ひっ、あ、悪魔め……! 神の使いが、なぜ私たちを……!」
床に這いつくばる老学者たちの前で、真っ白なローブをまとった数人の神の執行者たちが、無機質な手つきで聖剣を振り下ろしている。神のシステムの上限強制解放の影響を受け、彼らのステータスの数値は、かつてのサリエルを遥かに凌駕するレベルにまでバグ上がっていた。
その回廊の最深部、数千冊の数理書に囲まれた部屋で、一人の少女が白衣を血に染めて息を切らせていた。
彼女の名前は、──|アルテミシア・フォン・ノイマン《Artemisia von Neumann》。
魔力測定では「無能」とされながらも、世界のあらゆる因果の発生確率を脳内で完璧に弾き出す、中立の怪物『数理の魔女』。
アルテミシアは、自身の脳内確率演算器(ステータスには表示されない彼女だけの異能)を必死に駆動させ、生き残るためのルートを探していた。しかし、彼女の視界に表示される未来の数式は、無情な文字列を刻み続ける。
【神の執行者による脳内洗脳コードの上書き確率:99.9999%】
【アルテミシア・フォン・ノイマンの生存確率:0.00000%】
「……嘘。どの因果の数式をたどっても、私の未来はここで『神の奴隷』になって終わるの……? そんなの、絶対におかしいわ……!」
アルテミシアが絶望に唇を噛み締めたその時、目の前の神の執行者が、彼女の脳に奴隷コードを強制インストールするための、不気味な白い光の触手をその額へと伸ばした。
絶対的な絶望。確率が弾き出した、0.00000%の確定した死。
だが──。
──バガァアアアアンッッッ!!!!
大数魔導学院の、魔法防御が施されていたはずの頑強な石壁が、外側からの凄まじい物理の浸透衝撃波によって、まるで紙細工のようにド派手に粉々に爆砕した。
「なっ……!? 外壁の防衛数式が、物理衝撃だけで消滅した……!?」
神の執行者たちが一斉に振り返る。
もうもうと立ち込める砂塵の向こうから、手を繋いで歩いてきたのは、まだあどけなさが残る、しかし底知れない達人のオーラを放つ十三歳の少年と少女──僕とエルだった。
その瞬間、アルテミシアの脳内確率演算器が、狂ったように真っ赤なエラーを吐き出し始めた。
ピピピピピピピピピ!!!!
【警告:因果律の予測不可能な特異点の進入を検知】
【生存確率:0.00000% ────→ 99.99999%】
「な、何なの、あの子供たち……!? 世界の因果律の数式が、あの二人がただ歩いてくるだけで、めちゃくちゃに書き換えられていく……!」
数字のオタクであるアルテミシアの脳が、その初手の光景だけで大破壊(驚愕)された。
「不純物の苗床と、最優先消去対象のウロボロスを確認。これより、上限解放された神の武力をもって、徹底的な排除を実行します」
上限解放された三人の神の執行者が、空間の重力を歪めるほどの超高速の質量攻撃を仕掛け、僕たちめがけて同時に突撃してくる。その速度は、一年前のサリエルとは比較にならない。
「ギャハハ! 上限解放された神の人形か! 上等だ、俺の不死の肉体でその自慢の火力を全部受け止めてやるよ!」
ウロボロスが前に飛び出し、执行者たちの放つ空間消去の聖剣を、わざと両腕でブロックしてヘイトを稼ぐ。肉体がベキベキと音を立てて消滅しかけるが、ウロボロスは狂ったような笑みを浮かべて耐えてみせた。
「エル、敵の防御コードのハッキング、いける?」
「もちろん! 一年前と違って、もう敵の術式の癖は完全に頭に入ってるよ! 右の執行者、防御の位相は『三乗反転』! 左の執行者は『虚数コード』! ジンの今のキレなら、ハッキングするまでもなく──ただ突っ込めば壊せるよ!」
「了解。……一年間の船の激しい揺れに比べたら、陸上の重力変化なんて、止まってるも同然だね」
僕はスッと、十三歳の引き締まった身体の『軸定』を中央に固定した。
突撃してくる執行者の、空間をねじ曲げるほどの超高速の突き。しかし、毎日毎日、荒波の中でトアと命がけのステップを交わしてきた僕の目には、その動きはあまりにも『力んでいて、単調』に見えた。
僕は地面を蹴ることなく、水中の水圧を味方にしたあの感覚のまま、周囲の空気抵抗(魔力圧)を骨格の支点にして滑るように加速した──転位・洋上うねり。
フッ、と執行者の視界から僕の姿が消える。
「なっ……どこへ消えた……!?」
「こっちだよ」
僕は執行者の死角、零コンマ秒の隙間に完璧に回り込み、筋肉のブレーキを外した右の平手を、相手の多重因果律障壁へと、ただ優しく『そっと添えた』。
──パリン、パリン、パリリンッ!!!
上限解放され、かつての倍以上の強度を誇るはずの神の絶対防御障壁が、僕の放った船上仕込みの脱力浸透衝撃によって、ただの薄いガラス細工のように一瞬で豆腐のごとく粉砕された。
「バ、バカな……! 神の上限解放された数値を……ただの子供の素手が、上回るというのか……!?」
「数値なんて、僕たちの『真理の技術』の前にはただの飾りだよ」
僕はそのまま掌を突き出し、執行者の胸元へと『緩解』の振動を流し込んだ。衣服や鎧は無傷のまま、内部の神のシステム回路だけを完璧に爆破する、進化した浸透撃。
──ドスゥウウウウン!!!
「が、はっ……あ、あり得ない……っ!」
上限解放されたはずの執行者の一人が、内部の接続を木っ端微塵に破壊され、白目を剥いて床へと崩れ落ちた。十三歳になった僕たちの技術は、一年前の海中戦を経て、神の想定を超えるレベルへと進化を遂げていたのだった。




