真理のインフラ《システム》と、神の盤上
神の執行者サリエルを撃退した結社の地下実験室には、ひび割れた石壁と、心地よい勝利の余韻が漂っていた。
だが、僕たちの目指す成人──十七歳になるまでの五年間という長期戦を見据えた時、やるべきことは山積していた。
「よし、ジン、ウロボロス。僕たちが各地の『神の楔』を破壊するためにレムリアを留守にしている間、この本拠地が奇襲されたら元も子もないよね。だから、僕が新しい『インフラ』を構築したよ」
エルが領主館の屋上へ僕たちを連れ出し、誇らしげに街を見下ろした。
彼女が『神域演算』を起動し、地面に右手を触れさせた瞬間、レムリアの都市全体を包み込むように、目に見えない半透明の神聖な結界が展開された。
「これはね、ジンから学んだ『緩解』の術理を、都市規模の防衛術式として応用した『絶対緩解結界』さ。外からどんな超火力の破壊魔法や物理的な攻城兵器が衝突しても、この結界がすべての運動エネルギーをリラックスして、地脈へと無害に素通りさせる。僕たちが留守の間でも、この都市は実質的に『難攻不落』だよ」
「なるほど。攻撃を受け止めて耐えるんじゃなく、受け流して地面に逃がす結界か。これなら神の軍勢が来てもビクともしないね」
僕が感心していると、レナードが眼鏡を光らせて書類を差し出してきた。
「防衛は完璧ですが、各地の支部の運営と、世界中から集まる『無能』の子供たちの教育システムも自動化しなければ組織は回りません。ジン様、あなたが作った『骨格操作の教本』を元に、各地の支部を統括する管理職を任命しました」
レナードの呼びかけに応じるように、重厚な扉を開けて入ってきたのは、大剣を背負った僕の父親──ガルク・ハルバートだった。
「おう、ジン、エレノア様。この『技術結社総監』の役職、俺が引き受けたぜ。俺たちのパーティ『鋼鉄の狼』のオヤジどもと、公爵閣下の『黒曜影衛隊』を各地の支部の『初代道場長』として派遣する。お前が作った教本があれば、ステータス最底辺のガキどもでも、三ヶ月で教会の騎士をひっくり返せるバケモノに育て上げてみせるさ」
ガルクの頼もしい言葉に、僕は深く頷いた。
お金、防衛(エルの結界)、教育(ガルクと公爵家)。結社の『真理のインフラ』は、完全に完成した。
しかし、その様子をソファで横になりながら見ていたウロボロスが、不意に真面目な顔をしてワイングラスを置いた。
「インフラが整ったのは上出来だ。だがガキども、神は今回のサリエルの敗退を受けて、確実に次の手を打ってくる。……俺のバグった脳の記憶が確かならば、神は次の『神の楔』の破壊を防ぐため、システムに不満を持ちつつも中立を保っている世界中の『規格外のバグたち』を、強引に神の信徒(駒)として取り込もうとするはずだ」
「中立の怪物たち……?」
僕が問いかけると、ウロボロスは古い羊皮紙に、五人のフルネームを猛烈な勢いで書き殴った。
「神に先を越される前に、こっちで唾をつけて結社に引き込むべき、五人の怪物だ。
一人目は、確率論で未来を弾き出す『数理の魔女』、|アルテミシア・フォン・ノイマン《Artemisia von Neumann》。
二人目は、剣技レベルゼロでありながら筋肉の超速反射で全てを斬る『無冠の剣盛』、|ジークフリード・アイアンサイド《Siegfried Ironside》。
三人目は、神の最大配下数の限界値をハッキングして数万の死霊を操る『盤上の死霊術師』、|ヴァルプルギス・ナハト・ゲシュペンスト《Walpurgisnacht Gespenst》。
四人目は、純粋な物理の分子鍛錬だけで神の聖剣を両断する刀を打つ『虚空の巨匠』、|バルバロッサ・ギル・ガメッシュ《Barbarossa Gil Gamesh》。
そして五人目は、自らの骨格と筋肉の完全な組み換えだけで神の認識システムを狂わせる『千の貌を持つ影』、|ロキ・ドッペル・ゲンガー《Loki Doppelganger》だ」
ウロボロスが書き上げた五人のフルネーム。彼らは全員、この世界のステータスシステムからは「無能」とされながらも、独自の『真理の技術』を極めて神の監視をかいくぐり続けている異物たちだった。
「面白いね。神のシステムを内側からハッキングしてひっくり返すには、これ以上ない最高の人材だ。よし、エルのポータルを使って、各地の『神の楔』を破壊しながら、この五人の怪物を神より先に結社スカウトしていく旅に出よう!」
「ふふん、僕のポータル魔法に死角はないよ! さあ、新しい冒険の始まりだね、ジン!」
十七歳の成人を迎えるまでの五年間。僕たちの戦いは、ただの防衛戦から、世界中に散らばる「最強のバグたち」を巻き込んだ、壮大な陣取り合戦へと発展していった。
*
──場面は変わり、人間が決して立ち入ることのできない、遥か高次元の領域。
そこは、数式と純白の光の粒子だけで構築された、冷徹なる『神域・中央管制室』だった。
数日前、最北の都市レムリアの接続が切断され、執行者サリエルが敗退したデータが、空中に浮かぶ巨大な光のディスプレイに淡々と表示されている。
「──マイナス・バリアブル(負の変数)を確認。レムリアの『神の楔』の完全崩壊を検知。サリエルの内部回路は、既存の魔法体系ではない『物理と魔術の融合変調』によってクラックされました」
機械的な声で報告を上げたのは、サリエルを遥かに凌ぐ神聖な覇気を全身から放つ、
最高執行者──『天秤のミカエル』だった。
その背後には、同じく真っ白なローブに身を包んだ、神の最高幹部たちが不気味な静寂を保って佇んでいる。
「異物……ジン・ハルバート、およびエレノア・ヴァレンシュタインによる世界の因果律の汚染確率──現在、三十四パーセント。これ以上の放置は、世界のステータスシステムそのものの根幹崩壊を招きます」
中央の空間から、個人の意思を持たない、世界そのものの意思──『神のシステム』の重低音のノイズが響き渡った。
『──プロトコル・エグゼキューション。これより、中立地帯に潜む特異個体たちの|“強制執行プロトコル”《洗脳・駒化》を開始せよ。異物どもが接触する前に、彼らを神の信徒としてシステムに完全同期させるのだ』
「御意に」
『──さらに、異物どもの『真理の技術』の進化速度に対抗するため、この世界全体の|“ステータス上限・強制解放”《リミット・ブレイク》を執行する。これより、既存の人類のステータスの上限値を倍化させ、世界の難易度を強制的に引き上げよ』
純白の空間から、世界全体のルールを書き換える、凄まじい地鳴りのようなエネルギーが放射されていく。
ジンたちのリアル武術に対抗するため、ついに『神』そのものが本気で動き出し、世界のルールそのものを残酷に書き換え始めた。
12歳のジンとエルが立ち上げた『技術結社』と、世界の絶対者である『神』による、世界中を巻き込んだ5年間の壮絶なハッキング戦争が、今、完全にその幕を上げたのだった。




