真理の技術結社《オーダー・オブ・リアリティ》と、有能なる守銭奴
教会の最高戦力である『秩序の守護騎士団』を、傷一つなく完全完封したあの奇跡の再会から数日。
最北の都市レムリアの青空の下に、僕たちの新しい拠点──『真理の技術結社』の看板が、正式に掲げられることとなった。
後ろ盾には、エルの実家である名門ヴァレンシュタイン公爵家。
前線で体を張ってくれるのは、僕の父親ガルクが率いる伝説の元Aランク冒険者パーティ『鋼鉄の狼』。
さらに、僕と一緒に世界の果てから爆走してきたトアたち野生の精鋭戦士。
純粋な戦闘力と政治的な発言力に関しては、すでに一国を揺るがすほどの布陣が、この最北の都市へと集結していた。
──だが。
領主館の作戦会議室の円卓で、十二歳になったエルは、山積みの羊皮紙を前にして、可愛らしい眉をハの字に潜めていた。
「……ねえ、ジン。大変なことに気づいちゃったよ。というか、これ詰んでない?」
「どうしたの、エル? そんなに顔を青くして」
隣で、密林の猛獣の干し肉を齧りながら、僕はのんきに問いかける。
エルの脳内魔法演算──『神域演算』があれば、これからの組織運営の計画なんて一瞬で弾き出せるはずだが、彼女の表情はひどく暗い。エルは手元の羊皮紙を激しく叩きながら、僕の顔を覗き込んできた。
「お金だよ、お金! 結社を立ち上げて、これから世界中の『無能』や『落ちこぼれ』たちを集めて育成するって決めたのはいいけど、その子たちの食費、武器や防具の維持費、レムリアの都市のインフラ整備費用……公爵家からの秘密裏の仕送りだけじゃ、あと三ヶ月で完全に底を突くよ! 戦闘オタクの君と、魔法の数式オタクの僕しかいないこの組織には、決定的に『お金を稼いで管理する、経営の天才』が足りていないんだ!」
「あー……。確かに、やるのと語るのでは大違いの武術の世界だけど、組織を維持するには現実的な流通のシステムが必要だよね」
僕が前世の地球で道場をやっていた頃も、月謝の管理や家賃の支払いは常に悩みの種だった。いくら僕がミリ単位の脱力打撃で魔導騎士をボコボコにできても、空からコインの一枚も降ってはこないのだ。
僕とエルが「どうしようか」と頭を悩ませていた、その時だった。
コンコン、と部屋の扉が遠慮がちに叩かれた。
「エレノア様、ジン様。ヴァレンシュタイン公爵閣下からのご紹介で、中央大陸の大商会を追放されたという、少し奇妙な少年が面会を求めておりますが……」
黒曜影衛隊の構成員が、困惑した表情で告げる。
エルと僕が顔を見合わせ、「通して」と告げると、部屋に入ってきたのは、仕立ての良い、しかし少し着古された旅装をまとった一人の眼鏡の少年だった。
年齢は僕たちと同じ十二歳ほど。
少し猫背で、いかにも神経質そうな大きな瞳の奥に、ギラギラとした尋常ではない『数字への執着』を宿している。
「はじめまして、ジニアス様、エレノア様。……いや、今は『真理の技術結社』の主宰とお呼びすべきでしょうか。僕は──|レナード・クリストフ・ヴァルハイト《Leonard Christoph Wahrheit》と申します。以後、お見知り置きを」
少年──レナードは、胸に手を当て、深く頭を下げて完璧な商人流の一礼をして見せた。
「レナード君。ヴァレンシュタインの紹介ということは、君も、この世界のステータス至上主義の被害者、なのかな?」
僕が問いかけると、レナードは眼鏡の位置をくい、と直しながら、冷徹で、しかし最高に楽しそうな笑みを浮かべた。
「ええ、その通りです。僕のステータス上の『魅力』や『交渉力』、および『戦闘能力』はすべて完全なゼロ──いわゆる、一族の恥晒しの『無能判定』です。
おかげで実家のヴァルハイト大商会からは籍を抜かれ、ゴミのように放り出されました。……ですが、この世界のクソッタレな神のシステムは、一つだけ大きな計算違い(バグ)を犯しています」
「計算違い?」
「僕の脳内には、ステータスには表示されない、世界中のすべての商品の価格変動、地脈の流通経路、そして『最も効率的にお金を毟り取る経済学の数理』が、完璧に構築されている。要するに、僕は『お金を稼ぐこと』のオタクなんですよ。……エレノア様、あなたが先ほど仰っていた、結社の財務問題。僕の頭脳があれば、一週間でレムリアの国家予算レベルの富を生み出してみせますが……僕を、お抱えの最高財務責任者として雇ってくれませんか?」
レナードは、円卓に山積みにされていた羊皮紙の予算書を一瞥した。ただそれだけで、彼は懐から赤インクのペンを取り出し、猛烈な速度で数字を修正し始めた。
「ここの物資調達ルートは無駄です。西の森の原住民ルートを使えばコストは三分の一になります。あと、公爵家からの援助金のロンダリングが甘い。これでは教会の検閲網に三日で引っかかります。僕の作った『偽装数理口座』に移し替えなさい」
その驚異的な数字の処理速度、そしてエルの作った暗号術式を初見で看破してみせたレナードの頭脳に、エルの瞳がパッと輝いた。
「……面白い! 合格、文句なしの合格だよ、レナード! 君のその経済数式、僕の『神域演算』と全く同じ匂いがする! 君は嘘つきの無能なんかじゃない、本物の経済の天才だ!」
「光栄です。……では早速、僕たちの最初の『商品』をパッケージ化しましょう、ジン様」
レナードは僕の方を向き、不敵にニヤリと笑った。
「ジン様が培ってきた、あの魔導騎士を素手で屠る『体内循環の技術』。これ、ただの戦闘技術として弟子に教えるだけじゃもったいないです。……富裕層の貴族や大商人のオヤジどもに向けて、|『絶対に病気にならない究極の肉体最適化魔導』《マナ・チューニング・ケア》として、会員制の超高額プランで売り出します」
「え? 武術を……健康法として貴族に売るの?」
僕が目を丸くすると、レナードは「これだから格闘技オタクは……」と呆れたようにため息をついた。
「考えてもみてください。死への恐怖が一番強いのは誰ですか? お金と権力を持った、ブクブクに太った前線の退いた貴族たちです。彼らは体内の魔力を強引に循環させているから、老後になるとみんな経絡が焼き切れて病気病みになる。そこに、ジン様の『外の魔力に依存せず、骨格の軸を整えて体内でエネルギーをロスなく循環させる健康法』を処方するんです。実演はガルク様たち『鋼鉄の狼』のオヤジたちにやらせましょう。あの年齢であの現役のキレを見せつければ、金持ちどもは泣いて一億ゴールドの会員証を買い漁りますよ」
(うわぁ……。この子、見た目は大人しそうだけど、中身はエグいほどの守銭奴で、最高に頼もしいな)
レナードの提案は、僕たちにとってまさに盲点だった。
リアル武術の『軸定』や『緩解』は、人を破壊するためだけの技術ではない。肉体を最も自然で、ノイズのない『最適な状態』にするためのシステムだ。当然、それは最高の医療であり、究極のアンチエイジングの理でもあった。
「いいよ、レナード。そのプラン、僕の技術をいくらでも使っていい。……だけど、その稼いだお金の使い道は、僕に決めさせて欲しいな」
「もちろん。お金はただ貯めるだけではただの数字です。どう使いますか?」
「世界中から、僕やエルのように『無能』と蔑まれ、行き場をなくした子供たちを、エルの作るポータル魔法でこのレムリアに集めて欲しいんだ。君が稼いでくれたお金で、その子たちの生活をすべて保証する。そして、僕のリアル武術とエルの神域演算で、短期間で教会の騎士団を圧倒できる『真理の戦士』に育てる。……それが、この結社の本当の目的だからね」
僕が断言すると、レナードは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
それから、これまでの実家での冷遇をすべて晴らすかのような、最高に凶悪で、最高に頼もしい商人の笑みを浮かべた。
「いいですね、世界ハッキング計画ですか。神のステータスシステムを、経済と物理の暴力で内側から磨き潰す……。ハッ、大商会のトップに収まるよりも、何百倍もゾクゾクする仕事だ。任せてください、ジン様。僕が、この結社を世界で最も『金を持つ結社』にしてみせますから」
ジンの武術オタク、エルの魔法オタクに続き、三人目の最重要な──「数字とお金のオタク」であるレナード・ヴァルハイトが、ここに完璧な結社の頭脳として合流した。
*
それからの一ヶ月間、レムリアの結社は、まるで別の生き物のように急速に拡大していった。
レナードの策略通り、ガルクたち『鋼鉄の狼』が中央大陸の高級社交界へと出向き、ジンの『軸定循環法』の実演を行った。五十歳を超えてなお、大人の魔導騎士を片手で投げ飛ばし、肌に異常な若々しさを保つオヤジたちの姿を見た大商人や老貴族たちは、文字通り狂喜乱舞した。
「一億ゴールドだと!? 安い、安すぎる! 我が一族の健康が買えるなら、十億ゴールドでも支払おう!」
「その、絶対に病気にならないという『真理の会員証』を、我が家にも一枚頼む!」
結社の金庫には、毎日、数え切れないほどの白金貨と金貨が、悲鳴を上げるほどの物量で運び込まれていった。財務管理はすべてレナードが一括して行い、一リーブルの誤差もなく完璧に仕分けされていく。
そして、その莫大な資金を使い、エルはレムリアの地下室に、中央大陸の主要都市の貧民街や路地裏へと繋がる秘密の『空間転移門』の構築を開始した。
「ジン、ポータルの第一基、接続完了だよ!」
「よし、それじゃあ、世界中の『仲間』を迎えに行こうか」
資金源の確保、そして新天地へのポータルラインの開通。
世界から虐げられてきた「無能」たちの逆襲のためのプラットフォームが、レナードという有能な友のおかげで、今まさに完璧な形で始動しようとしていた。
しかし、そんな僕たちの順調な経済戦争の裏で、世界のシステム側──『神の信徒』たちの不穏な影が、確実に、僕たちのすぐ足元まで忍び寄ってきていることを、この時の僕たちはまだ知る由もなかった──。
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