第十七話
マサルは、そのまま動かず立ち続けていた。
それでも。
指先だけがわずかにヒヨリの方へ動いていた。
「……大丈夫です」
低く、穏やかな声。
ユリが視線を上げると、一人の男が立っていた。
他の隊員たちとは違う。
銃を構えていない。
ただ、状況を見ている。
「その網は、我々が開発したものです」
ゆっくりと説明する。
「対象の動きを抑制し、攻撃性を一時的に奪う」
一瞬だけ、マサルを見る。
「……“彼”も、例外ではありません」
ユリは、わずかに息を飲んだ。
男は、ユリの方へ向き直り
「突然のことで混乱されていると思います」
と、落ち着いた声でもう一度話し出した。
「まずは、状況を軽く説明させてください」
ユリは、何も言わない。
でも、聞かずにはいられなかった。
「今もなお、感染症による暴動被害が各地で起こっています。
現在、事態収束に全力で取り組んでおります。
その中でいくつか“通常とは異なる感染者”が確認されています」
淡々とした説明。
「全く動かないものが何人かいるのです。」
一拍。
「そして――」
マサルを見た。
「〇〇地区から一つの通信を受信しました。家族について行く感染者がいると…その通信を受けて我々は今ここに来ています。」
ユリ心臓が、大きく鳴る。
通信の相手はあの時、
1人だけ残された男だろう。そう確信していた。
「我々は“特殊被害者”として分類し、研究を進めています」
「まだ仮説の段階ですが」
男は、わずかに視線を落とす。
「これらの感染者から、ワクチン開発の糸口が得られる可能性があります」
ヒヨリの泣き声が、かすかに響く。
「感染は、すでに広がっています」
「ですが同時に――」
「生きている人間も、まだ多く存在しています」
「我々は、それを守るために動いています」
「その研究されている人たちはどうなるのですか?」
今まで聞くだけだったユリが
口を開いた。
はっきりと男は伝えた。
「ワクチンは、発症していない人間にしか効かない事までは研究でわかっています。」
「研究対象となったものはその後、処分されます。」
それがどういう意味なのか、
そして、マサルをどうするつもりなのか
全てを理解してしまったユリがいた。
マサルを見る。
網に絡め取られながらも。
ヒヨリの前から変わらず動かない。
「……お願いがあります」
男が、静かに言う。
「あなたのご主人を、我々に預けていただけませんか」
その言葉は。
命令じゃなく依頼だった。
「今後の世界のために」
そして、一拍の間が空き、
もうひとこと重ねた。
「あなたの娘さんのために」
視線が、自然とヒヨリのもとへ動く。
涙でぐしゃぐしゃの顔で
必死にマサルに手を伸ばしていた。
「パパ……」
その声は
小さくて何よりも重いに感じた。
「……少しだけ」
ユリが長いような短い沈黙の後
声を絞り出した。
「娘と、話させてください」
男は、すぐに頷いた。
「もちろんです」
柔らかく。穏やかな顔で。
「あの網は対象を無力化しつつ、過度な損傷を与えない設計になっています」
「安心して、娘さんとお話しください」
そう言い残し
男はユリから一歩後ろに下がった。
ユリはその男に一礼してから
ゆっくりとヒヨリの方へ向かった。




