第十一話
時間の感覚が、曖昧になっていた。
昼と夜の区別はつく。
でも、それだけだ。
3日…
おそらくそれくらいは経っているはずだった。
ユリはヒヨリに開封した缶詰を渡した。
足元には空になった包装が転がっている。
食料と呼ばれるものはもう残っていない。
「ママは?」
「ヒヨリが寝ている時に食べたよ」
ヒヨリは、それ以上何も聞かなかったが
缶詰を口に運ぶスピードが遅くなった。
ユリとヒヨリは
ワンボックスの車の中に生活拠点を移していた。
何かあったらすぐ逃げられるように…
それでもすぐに逃げ出せない理由は
車の音で近づいてくるかもしれない″何か″への
恐怖があったからだ。
そしてもう一つの理由…
ーーーーーーーーーーーーーー
ドンドンドン!
部屋で起きた一部始終から
どれくらい経ったのだろう
玄関を叩く音でユリは我に帰った。
「誰かいませんか?住民の皆さんを保護しにきました!誰かいませんか?」
外からは聞きなれない男の声。
決して大きな声ではない。
理由は明確だ。
それでも部屋の人間には聞こえるような声で。
ユリとヒヨリは振り返る。
(助けが来た…!)
ユリは玄関に向かおうとするが何故か
足が動かない。
何故だかは自分でも分かっていた。
確信はないが
ヒヨリを守ったような動き、
一瞬だが両手を広げて包み込もうとした動き、
引っかかるものがあるからだ。
そしてこのまま、扉を開ければ
マサルは駆除の対象なのは確実だ。
せめて、ヒヨリだけでも……
ユリはヒヨリの背中に手を当てて
玄関に向かおうとした。
(ーーー!)
動かない…
ヒヨリはその場を動こうとしなかった。
冷静な考えはできるくらいの平常心は保てている。
生きる為、生かすためには扉を開ける選択肢しかない。
「誰かいませんか!?」
「おい!次いくぞ!」
先を促すもう1人の声を最後に
玄関の先には人の気配が消えた。
ユリは静かに優しく
ヒヨリを抱きしめていた。
ーーーーーーーーーーーーーー
あの日から同じ場所で外を見続けている
マサルの存在。
逃げることはできた。
しかし、あの時の“仕草”がいまだに
頭から消えない。
情報を探し続けていたスマートフォンも
最後に就寝する前くらいから
繋がらなくなっていた。
生きるために必要なものは
今ヒヨリが口にしている缶詰で最後だった。
ユリは、ゆっくり深呼吸をした。
何かを決断したように…
「……行こう」
ヒヨリが、顔を上げる。
「どこに?」
「食べ物、探しに」
そう言い終わる前にユリは
スライドドアを音を立てないように
ゆっくりと開いた。
「……パパは?」
何も言わず、ヒヨリを抱き抱え
車から降ろすユリ。
ヒヨリの手が、ぎゅっと強くなる。
ガチャ
玄関の扉が開く音
2人は息を潜めて音のした方に顔を向けた。
マサルが、糸が切れた人形みたいに
首を傾けたままぼんやり立っていた。
「パパ…」
ヒヨリは
安堵のような悲しいような
複雑な表情で
玄関から目を離さなかった。
ユリはまだ不安を拭うことができない。
それでもまた、あの時の出来事を
思い出す。
「やだ…」
小さく呟くと同時に
ヒヨリは動き出した。
「ーーー!!」
何かを察したユリは
飛び出そうとするヒヨリの腕を掴んだ
ヒヨリはその手を激しく足掻き
振り解いて
マサルの立つ玄関に向かって走り出した。
「待って!」
ユリの声は届かない。
ヒヨリはマサルの前に立っていた。
「パパ!」
マサルは動かなかった。
ヒヨリが、さらに一歩近づく。
「パパ!」
もう一度マサルを呼び
次に震えた声で
「……守ってよ」
小さく。
「パパ、守るって言ったじゃん」
ユリの心臓が、強く鳴った。
次の瞬間。
マサルの指が、動く。
ほんの、わずか。
でも。
確かに。
「……パパ?」
ヒヨリが、もう一度呼ぶ。
マサルの首が、ゆっくりと動いた。
発せられた音の方へ。
濁った目。
ボロボロの体。
生きているものではないのは明らかだ。
マサルの足が一歩前に出た。
ぎこちなく
それでも確かにヒヨリの前へ。
ユリはゆっくりと拳を握った。
もう迷いは消えていた。
「……ヒヨリ行こう。」
静かに言う。
そして…
「マサル……お願いね。」
困ったような笑顔で
ユリはマサルに問いかけた。
マサルから返事が返ってくるはずはない。
(任せとけ!)
ユリは
マサルのいつものふざけた顔を
思い出した。




