走馬灯
空を埋めるような満開の桜の花。
太陽の光を反射する丸いミルク飴。
柔らかく微笑むとびきり美しいビスクドール。
景色の美しさだけで充分なのに、その絵画の中にはどれも『僕』がいた。
桜を見上げる幼児の頃の僕の後頭部。
手のひらの上で太陽を反射する真っ白なミルク飴と、その隣の汚れた手に乗った砂に塗れたミルク飴。そして涙目で砂だらけのミルク飴を見つめる僕。
優しく微笑むビスクドールを膝に置いて難しい顔をしている僕。
覚えてる。全部覚えてる。
双方の親に連れられて、近所の川沿いへ花見に行った日のこと。
公園でミルク飴をもらったのに僕は包み紙をほどいた瞬間に落としてしまって、水道で洗ってもらって食べたこと。
ビスクドールの美しさがよくわからなくて、灯が後生大事に抱えている理由がわからなくて、試しに一度抱かせてもらっても結局わからなくて、こんな人形よりもずっと灯の方が可愛いのにと思ったこと。
展示が終盤に向かうに連れて、『僕』の姿は小さくなっていく。
学校の廊下から、教室内にいる僕を見ている絵。
体操服を身に纏った学生たちを一段上から見つつ、その中でよそ見をしている僕を見ている絵。
ただ、最後の最後。
出口の直前に飾られた絵は、おかしかった。
僕の満面の笑顔だったのだ。幼年期でもなく、小学生の頃でもなく、『今』の僕の笑顔だ。僕はもう何年もこんな風に顔をくしゃくしゃにして笑ったことなどないのに。
眉間をショットガンで撃ち抜かれたような衝撃だった。
僕はその場で崩れ落ち、嗚咽が漏れないように口を塞ぎながらボロボロと泣いた。灯が死んだ廊下でも、葬式でも、家に帰ってからも一度も泣かなかったのに。
体から心が溢れてしまうのではないかというほど涙が止まらない。
ひぃひぃ言いながらビスクドールを抱きしめて泣いた。
僕はその時初めて、この世界のどこにももう灯がいないのだということを実感してしまったのだ。
いったいどれほどの時間を絵画の前で放心していたのだろう。
こつこつこつ、という規則的な足音が聞こえて僕のすぐ近くで止まった。
「閉館時間です」
あの受付にいた美しい金髪の青年なのだろう。低く滑らかな声の抑揚の無さからわかった。
言っている意味はわかるのに、自分が取るべき行動がわからない。いや、身体中の力が抜けて、どう動かしたらいいのかがわからない。金縛りというよりも体の中身がすっぽりなくなってしまったような感覚だ。体を動かすための脳も神経も筋肉も、全てが僕の中から消えてしまっている。
目の焦点も合わせられなくて、瞬きもできない。なのに後から後から涙が流れるので、少しも目が痛まない。
「閉館時間です」
焦れた様子を滲ませずに淡々と繰り返す。
それでも動かずにいたら空気が動いた。その人がぐるりと首を動かしたのだとわかった。
「なんか、嘘くせぇんだよな」
ため息混じりの気だるい口調でその人は言った。
「え」
何に向けられたものなのかもわからないけれど、今のこの状況においてあまりにも似つかわしくない言葉で、体が反応した。床に座り込んでいる僕は、錆びた機械のようにぎこちない動きで、立っているその人を見上げるために首を動かした。
僕を見下ろしているその人とまともに目が合う。
「ここは境界美術館。自死者の走馬灯を飾る美術館だ」
優雅な速度でしゃがみ、睨め付けるように正面から僕の瞳を捉えるとその人は言う。
「自分で死ぬ奴の走馬灯が、美しい思い出だけなわけがないだろ」




