ミルクキャンディ
「聞こえ…ません…」
悔しい。どうして僕はこんなにも灯に届かないんだ。生きてる間も、亡くなってからも、灯との距離がどんどん遠ざかっていく。
「昨日、展示を観てる間はどんなだった?普段と違うことをしたか?」
「いや、普通に歩いてて…」
昨日の記憶を辿るように頭の中を探りながら、僕は無意識にポケットに手を入れていた。断崖の登山者が次に掴む岩を探すように、縋るものを求めているとミルクキャンディの瓶に指先が触れる。
「ポケットの中、何が入ってる?」
「え…」
少し鋭くなった真珠の視線に、触れていた瓶をそのまま出した。
「それ、昨日買ってったやつか」
呟いてから、考えるように目を伏せた真珠は「ちょっとそれ食ってみろ。俺にも一つ寄越せ」と言って、手を差し出した。
「でも…なんで」
ミルクキャンディの一つを真珠の手に乗せながら疑問をぶつける。
「ミルクキャンディの数が減ってる。お前が食ったからだろ。それに昨日、閉館時間に号泣してたお前から甘い香りがしてた。展示を観ながら食ってたんじゃないか?」
「あ…」
確かにそうだ。僕は昨日、美術館の中に踏み入るための勇気をミルクキャンディからもらったのだった。灯との思い出の甘い味に包まれながら、心を少しずつほぐして灯の走馬灯と向き合っていたのだ。
真珠はミルクキャンディのセロファンを剥がすと、躊躇うことなく口に放り込む。僕も続いてミルクキャンディを口に入れた。
「さて」
真珠の目が灯の走馬灯に向く。
心臓がドクドクと鳴り始めた。これで聞こえなかったら、僕はどうしたらいいんだろう。いや、そんなことを心配するのは今じゃなくていい。とにかく、観なければ。灯が思い浮かべた最期のシャボン玉を。
僕は意を決して書机の方へ目を向けた。
『弾けてなくならなかったシャボン玉はどこに行くのかな』
「えっ…」
僕の声に、真珠が素早く振り返った。
「聞こえたか?」
「灯の…灯の声です…!」
真珠は、涙ぐむ僕の頭を優しい手つきでくしゃりと撫でた。
「俺が絵を順番に並べていく。お前は一つ一つ聞いていくといい」
「真珠さんは…」
聞こえましたか、と尋ねる前に真珠は首を横に振った。
「俺には聞こえない。だからこれはお前だけができる作業だ。高尾灯の声を聞いてやれ。その心の動きを知ってやれ」
口元にほんの少しだけ笑みを宿したのは真珠の優しさだと思った。
灯の声が聞こえるのは僕だけ。誰にも灯の声の温もりは伝わらないし、どれだけ言葉を尽くしても完璧に共有することはできないだろう。
僕が背負うんだ。灯の走馬灯の声を。
奥歯をぐっと噛み締めて、真珠の金色の瞳としっかりと向き合ってから、僕は頷いた。




