昼の境界
家の玄関を出るとひゅおんと甲高い音を立てて、強い風が僕の髪を巻き上げた。
母と二人で暮らしている部屋は公団住宅の3階にある。敷地内には同じような形の白い箱みたいな建物がいくつも建っていて、様々な家庭が暮らしている。
僕が外を出歩く朝と夕方はいつも、母親がまだ小さい子どもの手を引いていたり、ご老人たちが集まって雑談していたりと、人間の生活感を感じていたけれど、正午を過ぎたこの時間は逆にみんな家に戻ったり敷地外へ出かけたりしているのか、人影はほとんどない。
無機質な箱がただそこに突っ立っている。
世界から取り残されたような気持ちになってふと、これも世界の持つ顔の一つでしかないのだと思った。
人間が、場面ごとに様々な顔を使い分けているのと同じように。
少し心細くなって僕は着ているMA-1のポケットに手を突っ込んだ。そこには昨日買ったミルクキャンディの瓶を入れてある。滑らかなガラスの手触りにホッとして、一歩を踏み出す。
昼間の境界美術館は昨日とはまた違う雰囲気があった。明るい日差しに照らされて、昔の映画館みたいな外観の古さやボロさがわかる。錆びた鉄製の看板も、外壁に伝うアイビーの蔦も、昨日は気づかなかったものだった。それらが貫禄のある雰囲気を強調していた。
出入り口の横に設置されたアンティーク調のアイアンベンチには、真珠が煙草を吸いながら座っている。昨日と同じ、黒字に真っ赤な彼岸花の刺繍の入っている着流しをガウンのようにゆるく羽織っている気だるげな姿すら、背景と相まって一枚の絵のようだ。
「よぉ。来たな」
僕の姿を見つけると煙草を靴底で踏み潰し、尻のポケットから取り出した携帯灰皿に入れた。無精そうに見えて意外としっかりしている。と妙に感心していると、真珠と目が合った。
「ここに捨てたところで後で掃除すんのも俺だからな」
悪戯っぽく笑うと「行くか」と立ち上がってさっさと出入り口に向かう。
今は無人のチケットブースのような小部屋をちらりと見ると、ガラス越しに色褪せたポスターが見えた。美術館には関係のなさそうなコンサートのポスターだった。チェロを抱えた男性の写真が大きく写っているが、その顔は黒く塗りつぶされている。
「おい、行くぞ」
「あっ、はい」
真珠に促されて僕は、『closed』の札がかけられた境界美術館のドアをくぐった。




