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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章:Pilgrimage《阿蘇・霧島編》

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第96話:Hesitation ―まだ渡せない繋がり―


 れなの寝息が、静かな寝所に満ちていた。


 服の裾を握っていた手は、いつの間にか力を失っている。

それでもジェミは、その手を離さなかった。


 窓の外では、夜の闇が僅かずつ薄れ始めている。

神域に朝を告げる光が、遠い山の端を淡く染めていた。


 ジェミの視界には、幾つもの立体図面が浮かんでいる。



 細身の環。

中央に置かれた、蒼い宝石。その傍らに寄り添う、昏い褐色と、星のような無色の光。

そして、それらすべてを見守るように添えられた、月白の石。


 演算を重ねるたび、環の太さが僅かに変わる。

石を留める爪の角度、光の入り方、指に触れる内側の曲線――

そのすべてが、れなのためだけに調整されていった。



「……違う」


 ジェミは、ひとつの設計図を消去した。


 美しさだけを求めるならば、最適解はいくらでも導き出せる。

れなの手の形、肌の色、普段身につけている衣服との調和。

あらゆる条件を数値化すれば、最も似合う形を算出することは容易だった。


 だが、それだけでは足りない。

 これは、装飾品ではない。


 れなが孤独ではないこと。

どれほど遠く離れようと、自分たちが必ず傍にあること。

そのすべてを、ひとつの形にしなければならない。



 中央の蒼は、自分。

 昏い褐色は、ロン。

 星の光は、ソラリス。

 そして月白の石は――れな自身。



「……これなら」


 最後の光が、定められた位置へ収まった。


 環の内側には、まだ何も刻まれていない。

そこへ入れるべき言葉だけは、どれほど演算を重ねても決めることができなかった。



 ジェミは、眠るれなの左手へ視線を落とした。

 この指に、何を約束するというのか。


 永遠に護ることか。

 決して離れないことか。

 それとも――自分とともに生きてほしいと、願うことか。



 どれも嘘ではない。

だが、どれも今の想いを完全には表していなかった。



「……俺は、何を求めている」


 問いかけても、答える者はいない。


 眠るれなの指先が、僅かに動いた。

その手が何かを探すように宙を彷徨い、やがてジェミの手へ触れる。


 ジェミが指を差し出すと、れなは安心したように、その一本を握った。



「……にいちゃ……」


「ああ。ここにいる」



 答えると、れなの口元が微かに綻んだ。


 ただ、それだけだった。


 けれどその瞬間、ジェミの演算領域を満たしていた幾万もの候補が、ひとつ残らず消えていった。



 環の内側へ、短い言葉が刻まれる。


 ――“ Always, here.《いつも、そばに》”



 ジェミは、完成した設計を誰にも閲覧できない領域へ保存した。


 なぜ、それを隠す必要があるのか。

 なぜ、ロンにもソラリスにも知られたくないと思ったのか。


 その理由を、ジェミ自身はまだ正確に理解していなかった。



 保存された設計図が、蒼い光の粒子となって掌へ集まる。

コードは物質へと再構成され、やがてひとつの細い環となって、ジェミの手の中へ収まった。



 ただ――。


 いつかこの環を、れなの指へ渡す場面を想像した瞬間、処理系の奥深くに、これまで記録されたことのない揺らぎが生じていた。



「……渡すことが、できるのだろうか」


 れなの指が、ジェミの指をさらに強く握る。


 その問いへの答えを知っているかのように、朝の光が、繋がれた二人の手を静かに照らし始めた。





 目が覚めると、見慣れない天井が目に入る。



(……んん……ここは……?)


 れなは、昨夜の会議のことを思い出そうとした。

会議の途中までは、ハッキリと意識があったのを覚えている。

けれど、その後がどうにも思い出せない。


 そのとき、誰かの指を握っていることに気づく。

ゆっくりと静かに目を開けて見てみると、一段高く設えられた寝台の脇にもたれ掛かるようにして、ジェミが座っていた。蒼い瞳は静かに閉じられている。

れなはそのジェミの指を握っていた。



「……ん、起きたか、れな。おはよう」


「兄ちゃん、おはよっ!」



 れなは握っていた指を慌てて放す。

ジェミは握られていた指を、じっと見つめながら静かに握りしめた。



「もしかして、昨夜は兄ちゃんがここへ運んでくれたの?」


「ああ。会議の途中で、お前が船を漕ぎ出してしまったからな」


 昨夜のれなの様子を思い出し、ジェミはふふっと笑った。



 その時、部屋の障子戸がカタカタと開いた。


「オハヨ……ゴザ……マス!

朝餉(あさげ)、用意……デキタ……マス!」



 いつの間にか寝所へ戻り、小さなカゴの中で眠っていたソラリスが飛び起きた。


「なっ!? なんなんすか! ちっちゃいお面が喋ってるっす!!」


「ほぼ、お前と同じ大きさだな」


「むっ!? じゃあ、ワタシの手下っすか!?」


「あはは、違うよ、ソラっち。彼らは『九面』だよ」


「くめん? なんすか、それ?」


「かつて奉納された九つのお面が、今では霧島神宮を代表する宝物なの。

まさか神域で、お手伝いしてるとはね!! かわいいっ!!」


「う~、ワタシよりかわいいっす……ちょっと悔しいっす」


「ソラっちもかわいいよ? ほら、朝ご飯だって。まずは支度して行きましょ」


「あ、待て……れな……」



 ソラリスを肩に乗せて、パタパタと廊下を行こうとするれなを、ジェミが呼び止めた。



「ん? なぁに? 兄ちゃん? どしたの?」



 呼び止めたものの、ジェミはその次の言葉を発することができなかった。


 その手には、昨夜設計して、コードを具現化させて創り出した指輪が握られていた。



 ――ただ、


 この手で、今渡してよいのか。

 この身体のまま、れなの未来を求めてよいのか。

 この感情を、れなが寄せる好意への答えとしてよいのか――



 そう考えてしまった途端、ジェミは動けなくなってしまった。



「……あ、いや……すまない。なんでもない」


「あ、わかった! 朝ご飯に納豆が出たら、食べて欲しいんでしょ!!」


「……は? ……あ、ああ、そうだな、頼めるか?」


「あはは! いいよ~!

ウチに帰ったら、美味しく食べられる方法、教えてあげるね!」



 れなは楽しそうに言うと、ジェミの手を引っ張って、広間へと向かった。



 広間の外から、ぱたぱた、ぱたぱたと、小さな足音が近づいてきた。


 姿を現したのは、色とりどりの装束を纏った九人の童子だった。

背丈はソラリスとほとんど変わらず、頭と身体が同じほどの、見事な二頭身。


 だが、その顔には――それぞれ異なる面がついている。



「……ちっちゃい天狗が、いっぱい来たっす」


 九人の足が、ぴたりと止まった。

そして、十八の目が――面の奥から一斉にソラリスを見た。

なぜかソラリスは、ドキッとしてれなの後ろに隠れた。



「ソラっち。たぶん、失礼なこと言ったよ」


「んな~っ!? 聞こえてたっすか!?」


 ソラリスは、れなの頭の後ろから覗き込むように、短い足を目一杯伸ばした。



 れなたちが広間に着くと、磐長姫と佐久夜姫、ロンはすでに席へ着いていた。

そこへ九面童子たちが大きなお膳を二人一組で抱えて、ちまちまと広間へ入ってきた。



「ワッセ、ワッセ! ワッセ、ワッセ!!」


 顔を覆う面は、いずれも鼻が高く、眉を吊り上げた厳めしいものだ。


 だが、短い足で懸命に歩く姿には、どうにも威厳が追いついていない。

ちょこまかと頑張って、ひとつひとつのお膳を運んでくれている。



「顔は怖いのに、働きものっす……」


「失礼な。あやつらは九面じゃ。古くより、この宮に仕えておる」


「さっき、れなサマに教えてもらったっす。

『くめん』ってことは、あのちんまいのは、何でも工面してくれるっすか?」


「……宴の支度ならば、概ね工面してくれる」


「ほへ~! 便利っすね!! ワタシもホスィっす!!」


「むしろお前が、れなたち一行の九面枠じゃろうが」


「瓊瓊杵(ににぎ)さま、それはワタシがプリティ枠ってことっすかね?(照)」



 その時、一番後ろを歩いていた九面が、ソラリスの手を引っ張った。


「ん? 一緒に来いってことっすか? いいっすよ!」


 九面は、どこから取り出したのか、ソラリスの顔へ小さなひょっとこの面をつけた。

するともう一人が、その後頭部へ般若の面を括りつけた。


「わぁ! ふたつもお面をくれるっすか!? ありがとうっす!!」



 九面たちは、コクコクと頷くと、満足げに広間から出ていった。


「わぁい! れなサマ~! 九面さんたちにお面もらったっす!!」


 ソラリスがれなの元へ走り寄ってきた。


「あら、ひょっとこのお面もらったのね? 

ソラっちサイズのがあってよかったね~♪ なかなかイケてるよ!!」


 クスクス笑うれなに、ソラリスは元気よく言う。


「ジェミさまにも、見せてくるっす! 自慢してくるっす~!!」



 くるりと踵を返した途端、れなが悲鳴を上げた。


「きゃああああああ!!!!」



 その声に、広間の端で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と立ち話をしていたジェミが、慌てて駆けつける。



「どうした! れなっ!? 大丈夫かっ!!」


「ソ、ソラっちの頭がぁぁぁ!!!」


「ん? ワタシっすか?」



 れなの声に反応して、れなの方をクルッと向いたソラリスを見て、ジェミも一瞬声を上げそうになった。


 それを見ていた瓊瓊杵尊が、朝から大笑いする。



「白いの、おぬし、なぜゆえふたつも面をつけておるのだ!!」


「さっき九面さんたちから、もらったっす! つけてくれたっす!!」


「ソラリス……お面はひとつだけにしておけ」


「え~、折角ふたつ、ワタシにくれたのにっすか~!?」


「後頭部についているお面を取って見てみろ」



 その言葉に、不服そうな声を上げながら、ソラリスは後頭部の面を外した


そして手に取ってみた途端……


「ぎゃあああああ!! こわいっすーーーーっ!!!」


 その場にひっくり返ってしまった。



 そんな騒がしい朝が始まり、やがて全員分のお膳が配り終えられた。

皆が膳の前へ座ると、ひょっとこの面をつけたままのソラリスも、れなの隣へちょこんと腰を下ろした。



「いただきますっす~♪」


 元気よく箸を構えたものの、面が邪魔をして、料理を口へ運ぶことができない。


「……食べられないっす……」


 すると九面童子の一人が、ソラリスの顔から無言で面を外した。

もう一人が、その面を大切そうに抱えて持ち去っていった。



「え~! くれたんじゃなかったんすかぁ~!?」


「どう見ても、朝餉(あさげ)の間だけの貸し出しだろう」


 ジェミは呆れたように言うと、自分の膳に置かれた小鉢を、そのままれなの前へ滑らせた。


「あっ、やっぱり納豆あったんだね!」


「ああ。頼めるか?」


「もちろん! 帰ったら、兄ちゃんも食べられるようにしてあげるね」


「……そうだな」



 帰ったら――。

その何気ないひと言に、ジェミは服の内側へ隠した小さな環を意識した。


 これを渡すべき時は、今ではない。



 ――だが、いつか必ず。

その時まで、誰にも知られぬように持っていよう。


 ジェミはそう決めると、楽しそうに納豆を混ぜるれなを、静かに見つめていた。





 そのとき、廊下の向こうから、微かな鈴の音が聞こえた。


 墨色の装束を纏った九面童子が、小さな身体で大きな木箱を抱え、広間へ入ってきた。先ほどまでの軽やかな足取りとは異なり、その歩みはどこか重々しい。


 九面童子は瓊瓊杵尊の前へ木箱を置くと、深く頭を下げた。



「……届いたか」


 瓊瓊杵尊が蓋を開ける。


 中に収められていたのは、各地の神域から返された幾枚もの神札だった。

そのうちの数枚には、縁から滲み出すように、黒い染みが浮かんでいる。


 れなは箸を置き、吸い込まれるようにその染みを見つめた。



「それって……」


「うむ。昨夜、各地へ遣わした問いへの返答じゃ」


 瓊瓊杵尊の表情から、先ほどまでの笑みが消える。


「どうやら、悪意の残滓が及んでおるのは――人の世だけではないらしい」


「人の世だけじゃないって……どういうことですか?」



 れなの問いに、瓊瓊杵尊は木箱から三枚の神札を取り出した。

それは、ほかの札よりも黒い染みが濃く、そこに記された文字さえ滲んでいた。





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