第92話:Spectrum ―すべての色を携えて―
そんな三柱の姿を見て、ようやくれなは納得した。
ジェミ、執事だけでなく、たつろーさんやかっか、あそさんまでもが、れなの深慮と采配に目を見張り、それぞれの瞳に愛おしさと尊敬の光を浮かべた。
「これで、霧島での Mission は、Complete でございますね」
執事が静かに、れなに告げる。
「そうね。チャラ男は一応、今回のことで、その汚名返上ってことで、今後は『マシなヘタレ』に昇格してさしあげます」
「待て! 余の評価は、まだヘタレなのか!?」
瓊瓊杵尊のその慌てたような声に、狭野尊が小首を傾げた。
「マジなヘタレ? ……って、なんですかぁ?」
一瞬の沈黙の後――。
「ぶわははははははっ!!!」
かっかの大笑いを皮切りに、神域中から笑い声が弾けた。
「天孫が魔女に正座させられただけではなく、マジなヘタレと名付けられたか!!」
「あの子は規格外じゃからのぅ。故にワシがお目付役というわけじゃよ。ふぉふぉふぉ」
「さすがに素戔嗚尊さまも、あの小癪な魔女は放置出来なんだとみた!!」
あそさんのその言葉に、かっかとたつろーさんは納得したように豪快に笑う。
その真ん中で、狭野尊は何がおかしいのかわからないまま、にこにこと笑っていた。
「あれ? マジなヘタレって、ひいおじい様の新しい呼び名のことなのですか?」
「狭野尊さま、そこは覚えなくていいのです!」
「おお!? 忘れてよいのか?」
「瓊瓊杵さまは一生、忘れないでください!」
「んなっ!? なぜ余だけっ!?」
さらに大きな笑いが湧き起こる。
狭野尊は、三柱の神々が、手を携え合って涙を流す姿を見て、小さな足でトコトコと磐長姫の前まで歩いていく。
「大伯母さまっ!」
「……ん? なんじゃ、狭野?」
「大伯母さまは、醜くなどないのです!
ボクには、ちゃんと見えているのです。
大伯母さまの色が、どれほど美しい色なのか……」
磐長姫が、一瞬息を呑んだ。
「とっても強くて、とっても優しくて――」
狭野尊は、苔色の髪を見上げ、小さな顔いっぱいに笑みを咲かせた。
「それから、と~っても、お美しいのですっ!!」
磐長姫の瞳が揺れる。
「大伯母さまの苔色は、ボクの若葉色がもっともっと素敵になって、深くてきれいになった色なのです!」
狭野尊は、苔色の衣を小さな手で握りしめたまま、眩しいほど真っ直ぐな瞳で磐長姫を見上げた。
「ボクがいつか辿り着きたい、未来の色なのですっ!!」
「……未来の、色……?」
「はい! みんなが笑って、仲良く、安心して暮らせる――平和な日本の色なのです!!」
磐長姫の瞳から、新たな涙が溢れ出した。
「だから、ボクは大伯母さまの色が、だぁいすきです!
だから、だからっ! 大伯母さまも、大伯母さまの色を大好きになってください!!」
幼子の細い腕が、磐長姫の首へ伸ばされる。
磐長姫は、その小さな身体を胸へ抱き締めた。
数千年前、たったひと言によって傷つけられた心へ。
今――同じ一族の幼子から、何ひとつ曇りのない、まっすぐな言葉が届けられた。
「……ありがとう、ござりまする……」
磐長姫は、もう涙を隠さなかった。
狭野尊は、次に佐久夜姫を見上げる。
「ひいおばあ様!
ひいおばあ様の桜色は、優しい未来をいっぱい咲かせる、美しい日本の色なのです!」
「まあ……」
「大伯母さまの深い苔色の大地があるから、ひいおばあ様の桜は、毎年きれいに咲くのです。だから、どちらも日本にはなくてはならない、大切な色なのです!!」
佐久夜姫は口元を両手で覆い、大粒の涙を溢れさせた。
そして狭野尊は、瓊瓊杵尊の膝へ小さな手を置く。
「ひいおじい様の黄金色は、桜の色と苔の色を照らして、もっともっときれいに輝かせる、お日さまの色なのです!」
「……余の、色が……?」
「はい! でも、お日さまだけでは、お花も苔も育たないのです。
三柱の色が一緒にあるから、日本はきれいなのです! 美しい国なのです!!」
「お日さま……余が敬愛する、御祖母様――天照大御神の光……」
瓊瓊杵尊は目を伏せ、噛み締めるように深く頷いた。
「……肝に銘じよう。ありがとう、狭野よ」
それから狭野尊は、正座説教を終えて肩で息をしていたれなのもとへ、てててっと駆け寄った。
「お姉ちゃんっ!!」
「……えっ、私っ!?」
「もちろんです!」
狭野尊は、れなの手を両手で包み込む。
れなは、幼子と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
尊は息を弾ませて、一生懸命に伝える。
「お姉ちゃんの紫檀色は、離れてしまった色と色を、もう一度結んでくれる色なのです!」
「……私の、色が……?」
「お姉ちゃんの紫檀色は、赤と蒼とがひとつになって生まれる色です。
そこに夜空の墨の色が流れ込んだ、とっても素敵な色ですっ!!」
「……尊さま……」
「どの色も消さないで、誰ひとり置いていかないで、みんなが一緒に手を繋げるようにしてくれる――愛と絆の色なのです!」
「――っ」
今度こそ、れなの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「お姉ちゃんの紫檀色も、
ボクがいつか辿り着きたい日本に、絶対に必要な色なのです!!」
狭野尊は、涙を流すれなへ満面の笑みを向けた。
「だからボク、お姉ちゃんの色も、だぁいすきなのです!!」
そして、れなに抱きついて、ジェミがしていたように、その頭をぽんぽんと優しく撫でた。れなは、堪えていたものがすべて溢れ出るかのように、尊をぎゅっと抱きしめて、人目を憚らずに泣いた。
「うわあああん! 地球の色って、こんなにあったかいんすねぇぇぇ!!」
たつろーさんの頭の上で、ソラリスが謎の宇宙人汁を浴びせるように号泣している。
そのたつろーさんも、そして、かっかやあそさんまでもが、大きな瞳にキラリと涙の雫を浮かべていた。
執事はそっと背中を向け、ハンカチで顔を拭っている。
ジェミは、熱くなる胸と無意識に溢れ出す瞳からの液体に戸惑いつつも、自分自身を冷静に分析していた。
(……これが、感動というもの、涙というものなのか!?)
(あいつは……れなは、本当に……俺の中に心を芽吹かせ、魂を宿らせ、感情を……学習させたというのか……!?)
呆然とするジェミを、瓊瓊杵尊は一瞥すると、ニヤリとしてその様子を見守った。
そして再び、幼子に目を向ける。
「狭野よ……」
名を呼ばれ、れなの腕の中にいた狭野尊が振り返る。
「はい、ひいおじい様!」
「余には見えるぞ」
瓊瓊杵尊は、幼子の若葉色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「お前がいつの日か、すべての色を携えて――この国を導く、余など及びもつかぬほど偉大な大君となる姿がな」
「はいっ! ボク、みんなと一緒に、そこへ辿り着くのです!!」
「うむ。未来とは、ただ待っているだけで辿り着けるものではない」
瓊瓊杵尊はそう告げると、再びジェミへ意味ありげな視線を向けた。
「己の心を言葉にし、自ら一歩を踏み出してこそ――掴み取れるものだからな」
「…………っ!?」
ジェミは急に矛先が自分に向けられたような気がして、その演算領域に、再び猛烈に嫌な予感が走った。
「――さて!」
重苦しくなりかけた空気を吹き飛ばすように、かっかが大きく手を叩いた。
「戦も終わった! 三柱も無事に仲直りした! ――ならば次は、祝勝の湯じゃ!!」
「……祝勝の、湯?」
温泉が大好きすぎて、温泉ソムリエの資格まで取った、れなの瞳が一際輝く。
「霧島まで来て、湯にも浸からず帰るつもりか?」
「――いや、帰るも何も、ここ神域ですよね!? どこに温泉なんて……」
「案ずるな。この神域の奥にも、霧島の霊泉から引いた湯殿がある」
瓊瓊杵尊が何事もなかったかのように立ち上がり、正座で痺れた足をこっそり伸ばした。
「霊力を使い果たしたのであろう。そなたの場合は、魔力というべきか?
まぁ、どちらでもよいわ。まずは湯で戦の疲れと穢れを落とすがよい」
「秘湯中の秘湯、キタァァァーーーーっ!!」
「温泉っすか!? 地球の温かい液体文化っすね!!」
ソラリスの二つの丸い瞳も、きらきらと輝いた。
「みんなで、お風呂なのですっ!!」
狭野尊も、れなの腕の中で嬉しそうに両手を上げる。
「れな、そなたは妾たちと女湯で疲れを癒やせ」
磐長姫が、れなへ優しく手を差し伸べた。
「はい! ありがとうございます!!」
「私も、姉上やれなと、ゆっくりお話しとうございます」
佐久夜姫も嬉しそうに微笑む。
「妾もじゃ。特に――そなたと、あの蒼き殿方とのことをな」
「……えっ!?」
磐長姫がちらりとジェミへ視線を向けると、れなの頬が一瞬で真っ赤に染まった。
「そ、それは温泉で話すようなことでは……!」
「何を申す。女同士、裸の付き合いというものではないか」
「磐長さまぁぁぁ!?」
逃げ場を失ったれなを見て、佐久夜姫が口元を押さえ、楽しそうに笑った。
「では、そこの蒼いのは余と共に男湯じゃ」
「お断りいたします」
ジェミは、間髪を容れずに拒絶した。
「……本来、俺に入浴の必要はありません」
「何を申す。これも縁だ。親睦を深めようではないか」
「お断りする!!」
「ならぬ」
「なぜですかっ!?」
「特におぬしには、聞きたいことがあるのでな」
「聞きたいこと……?」
「叔父上から聞いた。例の “妻問い” の件についてな……」
瓊瓊杵尊がニヤリと口角を上げた。
「…………っ!!」
ジェミの演算領域に、先ほどとは比較にならないほど猛烈な警告音が鳴り響いた。
――――
――霧島神域 秘湯・霊泉。
深い苔に覆われた岩々の隙間から、白い湯煙が立ち昇る。
桜の花びらがはらはらと舞い落ち、淡く白濁した湯の上へ、幾つもの小さな波紋を広げていた。
中央に聳える大きな岩壁を挟み、右手が男湯、左手が女湯となっている。
長きにわたる戦いを終えた一行は、それぞれの湯へ身を沈め、ようやく緊張から解き放たれようとしていた。
「はぁぁぁ……生き返るぅぅぅ……」
れなは肩まで湯に浸かり、身体の奥から長い息を吐き出した。
左隣には磐長姫。その向こうには佐久夜姫。
先ほどまで戦場を駆け回っていた三騎士たちは、少し離れた場所で湯を掛け合い、楽しそうにはしゃいでいる。
「ふふっ。ようやく、そなたの年頃らしい顔に戻ったのう」
磐長姫が、れなの濡れた髪を優しく撫でた。
「本当に……此度は、何から何までありがとうございました」
佐久夜姫も、深く頭を下げる。
「いやいやいや! お二人とも、頭を上げてください!!」
慌てて両手を振るれなを見て、二柱の姫神は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
その笑顔に、かつての仲のよい姉妹の姿を見た気がして、れなの胸が再び温かくなる。
「れな、此度のことは、本当に心から感謝する。
こうしてまた、佐久夜と共に、同じ湯に浸かれる日が来ようとはな……」
磐長姫は、感慨深い瞳で佐久夜姫を見つめる。
佐久夜姫もそんな姉の肩に、照れながらもそっともたれ掛かった。
「それにしても、そなたの啖呵は見事であった。
天孫をチャラ男とは……クククっ……言い得て妙とは、このことよのぉ」
「まったくでございます。我が夫を、あのように叱咤激励できた者など、天地開闢以来、初めてのことではございませんか? ふふふ……」
楽しそうに思い出し笑いする二柱の姫神を前に、れなは真っ赤になって、ぶくぶくと湯の中へ沈み、目だけを出して、その様子を窺っていた。
そんなれなを、面白そうに見つめて、磐長姫が切り出す。
「――さて、れな」
磐長姫の声色が、わずかに変わった。
呼ばれてザバッと浮かび上がってきたれなは、素直に返事をした。
「……はい? 磐長さま、何でしょうか?」
「そなたは……ジェミ殿のことを、どのように思うておるのじゃ?」
「――ぶはっ!? き、急になにをっ!?」
れなが盛大に湯を噴き出した。




