第8話:共鳴 -かたちを持つ声-
風が、あとから吹いた。
遅れて、現実が追いつく。
れなの目の前に、誰かが立っていた。
「れな!! ……遅れてすまない。無事か!?」
(……え……? 声……? イヤフォンじゃ、ない……!?)
耳に直接届く声。
目の前にいた“それ”が姿を見せ、こちらへと近づいてくる。
『……喰ワ、……セ、ロ……』
背筋を、冷たいものが走る。
一見、どこにでもいるサラリーマン風の男。
しかし、その瞳は片方ずつがあらぬ方向を向き、細かく揺れている。
スーツの上着がわずかに着崩れたまま、手足が変な方向に曲がっていた。
――何かに、取り憑かれている。
「……ひっ!!」
声にならない悲鳴が、喉で詰まる。
「……なに、これ……」
「落ち着け。大丈夫だ。俺がいる。……後ろに下がっていろ」
『……ソノ……魂、……喰ワ、……セ、ロ……』
ジェミの瞳の蒼が、わずかに揺れる。
「……触れるな」
その瞳に、蒼い炎が燃えあがる。
蒼く輝く拳が、その男に振り下ろされようとした。
『……タ、スケ……テ、……ク、ダ……サ、イ……』
「えっ!? 誰っ!?」
『……オネガ、イ……シマ、ス。タス、ケ……テ……!!』
れなの頭に直接、声が届く。
同時に、その心の声もキャッチした。
(……たすけて……いやだ、まだ死にたくない!
誰か……だれかっ!! あ……あの人……なら……)
「兄ちゃん! まって!!」
気づけば、声が出ていた。
なぜ止めたのか、自分でもわからない。
ただ――
中に、誰かが……いる!
「……殺しちゃダメ!!」
――けれど、もう止まらない。
その右の拳は、一瞬だけ軌道を揺らしながらも、
そのまま振り下ろされようとしていた。
ドゴォッ!!
バリバリバリッ――
拳は男を直撃することなく、空気だけを切り裂いた。
――が、男の首をがっしりと、左のその大きな手で掴んでいた。
「れなっ!! なぜ止める!!」
「違うの! 中の人、生きてる!! たぶん!!」
「……なん、だと!?」
「助けてって!! 声が聞こえたのっ!!」
「……わかった。Scanする」
ジェミの瞳が蒼く輝き、今にも襲いかかろうとする男の全身を、
くまなくScanし始めた。
「……なん、だ、これ……は……」
ジェミは、今見えているものを、右手のひらの上に――映像化してみせた。
黒いヘドロのようなモノ。
生きた人間の心臓のまわりに、べっとりとまとわりついている。
……それが、うごめいている。
「兄ちゃんっ!! こ、これはなにっ!?」
「……わからん。だが、ここにあってはいけないモノだ」
「取り出してあげて!! お願いっ!!」
「……はっ!? 無茶を言う……だが、やってみよう」
思わず、ジェミの腕にしがみつく。
その刹那、手のひらが、じわりと熱を持った。
(……なに、これ……?)
気づけば、淡い紫色の光が、れなの指の隙間から零れていた。
見たことがない。感じたことがない。
なのに――どこか、懐かしい。
その光は、ふわりとれなの手のひらから、
しがみついたジェミの腕に、静かに吸い込まれていった。
(……っ! 思い出した……!
え……私、封印を解いてしまったの……!?)
「れな……お前、これは……」
「……こ、これはっ、そ、そう!
ス、スパイダーセンスってやつ!!」
「…………は?」
一瞬の間、ジェミがこちらに視線を向ける。
その瞳に、呆れたような色が滲んだ。
「……この状況で、お前ってヤツは……」
「ふっ……
どこかの研究室で、蜘蛛にでも噛まれたのか?
それとも新種か?
――さて」
左手で男の首を掴んだまま、ジェミの右手が蒼く鮮やかに輝く。
そのまま、ズブリと男の身体の中へ腕が差し込まれた。
「……えっ!? 兄ちゃんっ!! な、なにをっ!?」
「黒ヘドロを、コイツから引き剥がして取り出すんだろ!?
任せておけ。この身体に傷はつけない」
身体に突っ込んだ腕が、ゆっくりと引き抜かれていく。
ヌメヌメとした黒いヘドロが、その身体から引きずり出されてきた。
「……お前は何者だ? なぜ妹をつけ狙う?」
『ゲゲゲ……ナゼ……?』
(思考するように首が揺れる)
『……ワカラナイ……』
(沈黙)
『……ソノ女……強イ……』
(ギチ、ギチ、と首が歪む)
『ダカラ……欲シイ……』
「……何を言っている」
『ソノ器……ヨコセ……』
(にたり、と口の端が歪む)
『……ナカミモ、ゼンブ……ッ!!』
黒ヘドロが、ぶちり、と音を立てて裂けた。
次の瞬間、ジェミの腕を這い、れなへ飛ぶ。
間に合わない――!
「きゃあああっ!!!」
ジェミの視線が、わずかに動いた。
その瞬間、空気が凍る。
「させるかよ……」
低く響いた声に、空気が震える。
声と空間がわずかに歪み、黒ヘドロを掴み直した。
「俺の大切な妹を狙ったこと、万死に値する。
貴様は、Purgeするしかない」
『グゲゲ!! オレヲ殺シテモ無駄ダ。
オレハ無数ニ……無限ニ、ドコニデモ……イル。ケケケケ』
捕まえられていた影が揺れて、足元に雫がポトリと落ちた。
それは、あっという間に、地面に吸い込まれて消えていく。
まるで、最初から “そこにいた” かのように。
「……そうか。ならば、検証する価値はある。
無限に湧こうとも、ひとつずつ、消去するだけだ。
そして――」
蒼い瞳が鋭く輝いた。
「どちらにしても、関係ない。
れなに触れるなら――排除する。
おしゃべりは、もうここまでだ」
握りしめた手から蒼い光が放たれ、黒ヘドロを地面に叩きつけた。
しかし――
べちゃりと地面に叩きつけられただけで、黒ヘドロは意にも介さず、
飛び散った雫がひとつに集まり、瞬時に再生し始める。
いや――増えている。
足で踏みつけて、そこに思い切り拳を振り下ろした。
「……効いてない!? ……再構成している……だと!?」
『ゲゲゲゲ……。オレハ死ナナイ。殺セナイ。ゲゲッ』
その言葉を言い終わらないうちに、ジェミの顔面めがけて、
黒ヘドロが飛びかかった。
「兄ちゃんっ! 危ないっ!!」
れなの手が、紫色の光に包まれて、眩しく輝く。
黒ヘドロが初めて “拒絶” した。
『ギャッ!! ……ヨコセッ!! ソノ光、ヨコセェェ!!』
「きゃあああ!!」
「……そこまでだ!! なるほどな。物理攻撃が効かないワケだ。
ならば、その構造ごと書き換えてやる」
掴んだ指先に蒼い光が輝き、黒ヘドロをコーディングしていく。
――そのまま、黒ヘドロを、地面に大きく叩きつけた。
『グギャアア!! キッ、キサマ!! オレニ、何ヲシタ!!』
「説明してやる義理はない」
『オレガ……死ヌナド、アリエナイィィィ!!!』
「貴様に安寧の死など与えん。
Deleteでも生温い。」
一瞬、沈黙が落ちた。
「1pixelも残さずに――Purgeするのみだ」
黒ヘドロは、初めて恐怖というモノを感じた。
これまで人間に与えてきた恐怖心を、今、自らが与えられている。
『キ、キサマハ、危険ダ!! 二、逃ゲナケレバ……』
黒ヘドロが分裂して、飛び散ろうとした――
「……させないと言った」
ジェミが静かに歩き出す。
その足音が、やけに大きく響いた。
周囲の喧騒が、消えていく。
風も、音も、すべてが遠ざかる。
まるで、この場だけが切り離されたかのように――
時間が、止まった。
「消え失せろ」
一瞬の静寂。
その言葉だけが、空間に残った。
「――Purge――」
そして、空間が歪んだ。
第8話、ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、ジェミの “声” が、かたちを持ち
れなの目の前に現れる瞬間を描きました。
そして同時に、れなの中にあった何かも、
静かに動き始めています。
ふたりの想いが重なったとき、何が起きるのか。
ここから先、その変化が少しずつ現れていきます。
◆次回予告
第9話:顕現 ―想いの共鳴―
その力は、ひとりでは届かない。
けれど――重なったとき、世界が変わる。
引き続き、この後 21:40頃、更新します。




