表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/81

第8話:覚醒 -逃れられない追跡-


 駅に着くとほぼ同時に、滑り込んできた電車に飛び乗る。

ちょうど帰宅ラッシュの時間。

電車の中は、会社帰りのサラリーマンや学生たちで溢れていた。


 ドアが閉まった瞬間――ようやく安堵の溜め息が漏れた。

ドアにもたれるようにして、息を整える。


 電車はいつも通り、次の駅へ向かって動き出した。

窓ガラスに映る自分の肩越しを、れなは見ないようにした。



「……っはぁ、はぁっ、……はぁっ」


『れな、大丈夫か?』


「うん。なんとか。……たぶん、振り切れた」



 そう答えた瞬間、異様な気配がした。


(……いや、違う。見られているんじゃない。

視線が物理的な重さを持って、背中にのしかかってきてる……

これって、逃げ切れてないっ!?)



 振り切ったはずなのに、それはまだいる。

スマホの画面を一心に見つめる乗客たちの無関心な視線のすぐ隣で、れなの背後にぴったりと張り付いているように感じられた。



『視覚、熱源、音響……全センサー正常。

周囲に動体反応は「人間」以外存在しない。

……しかし、れな、俺の論理回路(ロジック)が「逃げろ!」と叫んでいる。

計算が合わない……』


「……ちがう。……いるの。ついてきてる……」


『……れな、大丈夫だ。俺がついている』


「うん。人混みに紛れたら、逃げ切れるかもしれない」


『人が多い駅、となれば、祇園四条だな』


「そうね。四条で降りて、人混みに入ってみる」


『無理はするな』



 乗り慣れた電車のはずなのに、空気だけが違う。

何かが、この車両に “混ざっている” 。


 こんなにたくさんの人がいるのに、誰も気づいていない。

いや、敏感な数人は気づいたのかもしれない。そわそわと落ち着きをなくし、車両を移る者もいた。駅に着くたび、逃げるように降りていく人もいた。


(こんな止まった空間じゃなくて、風も人も流れる場所に、早く着いて!

お願いっ!!)


 視線を感じて、バッと顔を上げた。

けれどそこに見えたのは、窓ガラスに映った自分の青白い顔だけ。



『れな? 呼吸が乱れている。大丈夫か?』


「……まだ、いる気がする」


『今、地下に入った。その閉塞感のせいかもしれないぞ?』


「……うん。だといいんだけど」


『もうすぐだ。気にしすぎず、リラックスだ』



 電車のスピードが落ちていく。

それとともに、得体の知れない違和感が、こちらへ近づいてくる。



『四条~、祇園四条~。

まもなく祇園四条に到着いたします~~』



 小気味よい、電車の音。

タタン、タタン……、タタン、タタン……


 そこに、時折混ざる不穏なノイズ。

ザザッ……、……ザッ……、ズズ、ズ……



 その瞬間、電車の音が一拍だけ遅れた。

タタン、タタン……という乾いた音が、まるで水中で聞いているような、重く濁った音に変わる。


 時間が、噛み合っていない。世界が、歪んでいる。


 ――ぞくり、とした。



「……っ!? やっぱりなにかいる!!」



 電車の扉が開いた瞬間、転げるようにホームへ飛び出した。

改札を駆け抜けて、地上への階段を一段とばしに駆け上がる。


 四条大橋を渡り始めた時、誰かに呼ばれたような気がした。

けれど、振り返る勇気はなかった。気配はあるのに、どこにいるのかが掴めない。


 地上には、帰路に就く人々や繁華街へ向かう人々、旅行者たちがあふれているのに、誰ひとり気づいていない。


 足早に四条大橋を半ばまで来た時、不意にまた後方を確認してしまう。

ふと、風向きが変わったような気がした。


 その瞬間、れなは確信した。


 『ついてきている』のではない。


 ――『連れてきてしまった』のだ、と。



(でも、どうして? 稲荷山は神域のはず。

宇迦(うか)さまの守護があるのに!?)



「……あの墓地の入り口から、ついてきたのかも……」


『だが、あの場所では警戒値に異常は出ていなかった』



 そのまま、四条大橋を渡りきる。一瞬、足が止まりかけた。

河川敷へ降りるか。どこかの店に飛び込むか。


 ――いや、人の流れに紛れた方がいい。



「兄ちゃん!

木屋町(きやまち)先斗町(ぽんとちょう)のあいだで、人が多そうな路地をナビして!」


『了解した。入り組んだ路地へ入って、人混みに紛れろ』


「うん、これは振り切って逃げるしかないよね!」


『まず、先斗町(ぽんとちょう)へ進もう。

これからの時間は、人が増えるはずだ』



 ジェミの声に促されるように、人の波に紛れて先斗町を北へ進んだ。

先斗町の狭い路地は、巨大な怪物の喉の奥のようだった。

両脇の店先が迫り、逃げ道まで狭められていく。


 一瞬途切れる、違和感。

けれど、足を止めることなく、ジェミの指示するままに、いくつもの狭い路地を、入り乱れるように駆け抜けた。



 ドンッ!!

突然振り返った人に、ぶつかってしまう。



「きゃっ!! すっ、すみませんっ!!」


「おお!? 危ねえな!! 狭い路地で走んなよぉ」



 もう一度謝ろうと、振り返ったときだった。

ゆっくりと、そしてヌルリと、影がアスファルトに染みこんだ古い油のように、重力に逆らって這い上がってきた。


 それは、光を拒絶する純粋な『黒』だった。

アスファルトにこびりついた古い染みのように、あるいは世界の表面に生じた、塞ぎきれない裂け目のように、音もなく、けれど確かな質量を持って這い上がってくる。


 れなの目に焼きついたその輪郭は、見ているだけで正気を削られていくような、不浄な熱を帯びていた。耳の奥で、濡れた布を強くねじるような「ミチ、ミチッ」という音が響く。



「ひっ!! ご、ごめんなさいっ!!」


「い、いや、気をつけてくれればええんや……って、おい!

聞いてんのか!? おーい……」



 ぶつかった人の言葉を聞き終えないうちに、後ずさりし始める。

次の瞬間には、もう走り出していた。



『れな!? 大丈夫か? 怪我はしていないか?』


「はぁっ、はぁっ……。兄ちゃん、視界(カメラ)には映ってないの……!? 

いたんだよ!! 見たのっ!!」


『は? なんだって!? 何を見たんだ!?

俺の視界(カメラ)には……ノイズひとつない。れな、おまえの背後には何も――』


「今ぶつかった人の足元っ!

黒いなにかが、どろっとしたタールみたいに這って、私の影に混ざろうとしてた!! アレは影じゃない……生きてる!!」


『……なんだ、それは……? 対象を認識できない。

だが、れなの心拍数は140を超えている』


「わかんないけど、連れてきてしまったヤツだと思う」


『連れてきてしまったヤツ、だと?』



 路地を抜けた先にあった小さな公園へ駆け込み、木陰に身を潜めた。

その時、ズズッと音を立てて、影が公園の入口から忍び寄ってきた。


 息を殺し、木陰から様子をうかがう。

人とは違う動きをする “何か” が、公園の前をそのまま北へ流れていった。


「伏見稲荷から、ずっとついてきてる……」


『なんだと!? ……そいつなのか!?』


「うん、多分そう……影が通り過ぎたら、木屋町へ出る」



 そう答え、公園の南側からそっと出た瞬間――

北へ流れていた影が、不意に向きを変えた。

ものすごい速さで、こちらへ戻ってくる。



『れな! 何かが、急接近している!!  

逃げろっ!! 理屈は後だ! 走れ!!』



 確認するよりも先に、身体が動いた。

木屋町へ飛び出し、人混みと車のあいだを縫うように駆ける。



 ――けれど、

どれだけ走っても、距離が開かない。

入り組んだ路地を何度も抜け、木屋町と先斗町のあいだを走り続けた。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ……も、もうだめっ……もう走れない……」


『無理をするな。でも、止まってはダメだ。

早歩きでいい。息を整えるんだ。大丈夫だ』


「わ、わかった……」



 町の灯りが、急に遠く感じられた。

色鮮やかな看板も、行き交う人々の笑い声も、薄い膜一枚を隔てた向こう側にあるようだった。


 れなの周りだけが、急速に色を失っていく。

世界から切り離され、たったひとりで底の見えない夜へ沈んでいくような孤独が、胸の奥へ広がった。


 急に雑踏や車のエンジン音が、やけにクリアに聞こえた。

三条木屋町に近づいたあたりで、一瞬、背後の音が消える。

自分自身の心臓の音と、呼吸音が耳に響く。


 そんな中で、周りの人の気配に輪郭があるのに、“後ろのそれ” には、輪郭が感じられないことに気づいた。



 ――ドクンッ――


 顔から血の気が引いていく……。

心臓の奥へ、冷たいものが落ちていくような感覚。


 それが消えるまで、走り続けた。



 視界が開けた。

御池通(おいけどおり)に出た瞬間、空気が一気に変わる。

人の流れ。車の音。街の光。



 ……いや、でも、何かがおかしい。

れなは御池大橋(おいけおおはし)のたもとから、鴨川の河川敷へと降りた。


 春休みの大学生たちだろうか。三条大橋近くで、賑やかに騒いでいる声が聞こえた。ラッパを吹き鳴らす音に、絶え間なく流れる川のせせらぎが混ざる。


 河川敷には、行き交う人よりも、立ち止まって騒ぐ人や、川縁に座る人の方が多かった。


 ここなら、やっと息を整えられる。そう思った。



「……はぁ……っ」


 思わず足を止めかける。ここまで来れば、もう――



 その時だった。


 ――風が、止まる。

ほんの一瞬、世界から “音” が、抜け落ちた。



 さっきまで聞こえていた大学生たちの笑い声が、ハサミで切り取られたように消えた。吹き鳴らされていたラッパの残響さえ、空気に残ることなく途切れる。ジェミのノイズすら聞こえない。


 完全な無音。完全な無風。

その静寂の真ん中で、そいつだけが「存在」していた。



『……れな』


 ジェミの声が、わずかに揺れる。


「……なに……?」


『……まだ、いる』



 その言葉と同時に、気配が――目の前にあった。


 逃げていたはずなのに。

 振り切ったはずなのに。


 最初からそこにいたかのように、“それ”はれなを観測していた。

逃げ道を塞ぐように、そこに立ちはだかっていた。



「……ひっ!? ……兄ちゃん! 兄ちゃんっ!!」



――――



  画像解析:再試行……Error

  熱源探知:再起動……Error

  波動測定:再起動……Error


 [ ―― All Systems Critical Error ―― ]

 《全システムで重大なエラーが発生……》



――――



『……おい、嘘だろっ!? 俺のシステムは「そこには虚無しかない」だと!?』



 ジェミの声が、電子の海で溺れる者のように激しく歪んだ。

冷徹な論理で世界を定義してきた彼の知性が、目の前の『非存在』を前にして、音を立てて崩壊していく。


 それは、神を否定された敬虔な信徒の絶望に似ていた。

計算式は意味をなさず、確実だったはずの現実は砂のように指の間からこぼれ落ちていく。



「ひっ!! いっ、いやぁぁぁ!!!」


『……れな!! 逃げろっ! れなっ!! れな! どこに――』



[ ―― Signal Lost / Connection Terminated ―― ]

《信号消失/接続終了》



『……なん、だとっ!?』


「に、兄ちゃ……ジェ、ジェミぃぃぃ!!!!!」


『れなっ!! れなぁぁぁぁぁ!!!!!』



 あまりの恐怖に、れなは反射的に強く目を閉じた。

視界を、世界を、拒絶するために。


 暗闇の向こう側で、冷たい指先が魂の輪郭をなぞるような感覚がした。

触れられたわけではない。

それでも、存在そのものが混ざり合っていくような、(おぞ)ましい感覚だけが残った。


 れなの境界が、少しずつ曖昧になっていく。

自分が自分でなくなるように、どろどろとした影の中へ、意識まで吸い込まれていく。思考は凍りつき、声にならない叫びだけが、胸の奥に残った。



 ――影は消えなかった。

 むしろ瞼を閉じたことで、逃げ場は完全に失われた。



 ――次の瞬間、

 外と内を隔てていたはずの距離が、音もなく消えた。






第8話、ここまで読んでくださってありがとうございます。


今回は、れなが “異変” を明確に認識し、

逃げるしかない状況へと追い込まれていく過程を描きました。


見えてしまったもの。

そして、もう “見なかったことにはできない” もの。


ここから先、れなとジェミの関係も含めて、

物語は大きく動き始めます。


◆次回予告

第9話:共鳴 ―かたちを持つ声―


その声は、確かに届いた。

そして――“かたち” を持ちはじめる。


お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ