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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章:Pilgrimage《阿蘇・霧島編》

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第87話:Severance ―断ち切るのは、哀しい神話―


 急激に冷やされた溶岩が、黒く硬い岩へと変わる。

 珠鎮の首を、胴を、四肢を包み込んだまま、かっかの龍体の表面が巨大な岩の枷となって固まっていった。



『なっ……動けぬ!!』


『ワシの炎を封じれば勝てると思うたか!

桜島の火龍は、炎だけの龍ではないぞ!!』


 黒き岩の内側から、錦桜都比古(かっか)の勝ち誇った声が響く。


『さあ、今じゃ!! 長くは保たんぞ!!』


「たつろーさん! あそさん! そっちは!?」


 れなが、大空に向かって叫ぶ。


「いつでもよいぞ!!」


『瑞鳴(みずなり)は、我らが完全に押さえた!!』


 たつろーさんが勢いよく答えた。



 瑞鳴(みずなり)と珠鎮(たましづ)。

双龍の動きが、初めて同時に止まった。



「全員、配置につけ!! 一斉に掛かるぞっ!!」


 ジェミの声が、霧島の空を貫いた。

その眼前に、二頭の龍を中心とした立体座標が展開される。


 龍角。そして左右にたなびく、二対の龍髭。

赤く示された切断点と、そこへ至る最短経路が、幾重もの光の線となって空中を駆けた。



「再生周期、残り12秒。切断後、3秒以内に処理する!」


 ジェミの視線が、全員の位置を瞬時に捉える。


「影っ! 龍角を頼む」


「承知いたしました!!」



 執事が、静かに右手を掲げた。

その掌から溢れた冷気が、白い霧となって地を這っていく。



「れな! 龍髭は任せたぞ!!」


「おっけー!!」


 れなは操式棍(そうしきこん)を大きく振り払い、翠の蛟刃(ミヅチエッジ)を展開した。


 淡い青碧の光が、蒸気に霞む神域を鋭く切り裂く。


「締め付けられてるのに、まだ元気なのね!」


 れなはくるりと、操式棍を持ち直す。


「エルピー! 刃を打撃端に!!

ついでに Paralyze(麻痺) を叩きつけるわよ!」


 その声に、反対側の白銀刃(ミスリルエッジ)が打撃端へと再構成されて、緑色の光がピリつくような点滅へと変化した。


「ティア! エルピーの打撃端に強化魔法追加!」


 緑色の点滅が、黄金色の輝きに包まれる。


「かっか! そのまま抑えておいてーっ!!」



 れなはひときわ空高くひらりと舞い上がると、かっかの龍角に Anima Suture《魂縫霊糸》 を巻き付け、それを支点に自身の体をぐいっと引き寄せた。その勢いを得て、速度を増して操式棍を携えたまま急降下した。



『小娘どもがっ……!!』


『その程度で、我らを止められると思うな!!』


 瑞鳴と珠鎮が、同時に身を捩った。



「ぐっ……!!」


 たつろーさんの巨体が、僅かに押し戻される。

あそさんの四肢が大地を抉り、かっかを覆う黒い岩にも亀裂が走った。


「急げ!! こやつ、また水を噴き出そうとしておるぞ!!」


 たつろーさんが必死の怒号を上げる。


『れな! こっちも限界だっ! さっさとせんかぁぁぁ!!』



 岩の枷の内側から、かっかの怒声が響く。

そこに急降下したれなが、操式棍での打撃を頭部に振り下ろす。


 ―― Anima Resonare《アニマ リゾナーレ/魔女の魂響打》!! ――


 ガンッ!! ガンッ!! ガッツーン!!



『ぎゃああああ!!』


『ぐわあぁぁぁぁ!!!』


 双龍が同時に雄叫びを上げ、動きが止まる。



「れなっ! 再生周期、残り5秒だ!!」


 ジェミの両腕に、蒼銀の光が収束した。

光は鋭い輪郭を結び、二振りの長剣へと姿を変える。



 ―― Gemini's Verdict《ジェミニズ ヴァーディクト/双星裁定剣(そうせいさいていけん)》!! ――


 対象を解析し、汚染領域のみを切り離す、蒼銀の双長剣を握りしめた。



 瑞鳴と珠鎮。

 それぞれの頭上へ向けて、二本の蒼いコードの軌道が走る。


「全員、切断座標に到達」


 れなは翠の蛟刃を構え、深く息を吸った。

今度こそ、一本も逃さない。ジェミが正確にカウントダウンする。



「3――」


 その声に合わせ、執事の冷気が一気に渦を巻く。



「2――」


 そしてれなの足元で、魔力が弾けた。



「1っ!!」


 二頭の龍が、同時に咆哮する。



「――切断っ!!」


 ジェミとれなの姿が消えた。



「「はあああああっ!!」」


 ふたりの息の合った声が、ハーモニーを生み出し、聖域に響き渡った。



 ――次の瞬間

二条の蒼銀の光が交差し、瑞鳴と珠鎮の龍角を根元から断ち切る。


 同時に、れなの身体が蒼銀の光を縫うように駆け抜けた。

翠の蛟刃が円を描く。


 一閃……二閃……三閃……

 ――四閃!


 二頭の龍髭が、ほとんど同時に宙を舞った。



『おのれぇぇぇぇぇ!!』


 龍角と龍髭が地に落ちるより早く、執事が両手を打ち合わせる。



 ―― Frigus Sigillum《フリーグス シギッルム/凍封印》!!――


 白銀の冷気が、切断された龍角を空中で呑み込んだ。

瞬く間に形成された氷塊の中で、蠢いていた黒い脈が動きを止める。



「ジェミさま!!」


「ああ!」


 ジェミが氷塊へ掌を向けた。蒼銀の粒子が、その指先へ収束していく。


「汚染構造を固定。分離対象を確定」


 無機質な声が、低く響く。


「―― Purge(完全消去)!!」


 氷の内部を、白い光が走った。

凍結された龍角から黒い靄が引き剥がされ、無数の粒子へと分解されていく。



 一方、切り落とされた龍髭は、地に触れる寸前で激しくのたうっていた。

それはまるで意思を持つ蛇のように、再び主の身体へ戻ろうとしている。



「行かせないっ!!」


 れなが操式棍を大地へ突き立てた。

翠の蛟刃が消え、棍の先端へ紅蓮の魔法陣が展開される。


 熱風が巻き起こる。

魔女衣装を纏(まと)ったれなの背後で、魔力によって長く伸びた髪が、大輪の花のように舞い広がった。



「龍脈に我が魔力接続――火炎経路、構築!!」


 すぅっと、一息吸い込む。

逃げようとする四本の龍髭を、炎の輪が取り囲んだ。



「今度は一本も返さないっ!!」


 れなが、両手で操式棍を振り下ろした。



「――燃え尽きろぉぉっ!!」


 ―― Ignis Crematio《イグニス クレマティオ/浄火葬滅》!!――



 轟音とともに、紅蓮の火柱が天へ昇る。

炎に包まれた龍髭から、耳を劈(つんざ)くような甲高い悲鳴が上がった。


 黒い靄が噴き出し、逃げ場を求めて渦を巻く。

だが、れなの炎はそれすらも逃さない。


 赤から白へ。白から、眩い金色へ。

炎は不浄だけを選び取り、焼き尽くしていく。


 やがて龍髭は、黒い灰にすらならず――細かな光の粒となって、霧島の空へ消えていった。



 たつろーさんとかっかに縛り付けられていた双龍から、力が抜けていく。

双龍のそれぞれの宝玉からも、黒きものが消え失せ、鱗の隙間に残っていた黒ヘドロまでもが、きれいに浄化され光の粒となって消滅した。




「……終わった……の、かな!?」


「いや、まだだ! れな、油断するな」


「え、どういうことっ!?」


「双龍の龍角も龍髭も、まだ復活していない。思い出してみろ。

かっか殿のときは、黒ヘドロが浄化された直後に、お前の魔力を基礎にして龍角が復活した」


「そうだった! 双龍はまだ復活してないっ!! どうしてっ!?」


「たつろー殿、かっか殿!! まだ双龍たちを縛っておいてくれ!!」


『了解したっ! ラスボス戦だ!! 気を抜くな!!』


「ああ、任せてくれ。心得ている!!」




 一行の視線が、再び本殿の奥へ向けられた。


 双龍との死闘が続く間も、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は黒漆の床に片膝をついたまま、微動だにしていなかった。


 だが、その身体を覆う黒きものだけは、止まっていない。


 腕から肩へ。首筋から頬へ。

黒い亀裂は先ほどよりも深く、広く、その御魂を侵食していた。



 佐久夜(さくや)姫が、声にならない息を呑む。

磐長(いわなが)姫は妹を制止するのではなく、庇うように半歩前へ出た。



 そのとき、瓊瓊杵尊の指先が動いた。


 黒漆の床を掻くように五指へ力を込め、ゆっくりと顔を上げる。

先ほどまで苦痛に歪んでいた瞳は、底の見えない漆黒へと変わっていた。



『瓊瓊杵……さま……?』


 佐久夜姫の呼びかけに応えることなく、瓊瓊杵尊が立ち上がる。

その視線が、たつろーさんたちに拘束された双龍へ向けられた。



『この……役立たずどもが……』


 低く唸るような声が、神域に木霊した。


『大神(おやかた)……さま……!?』


 縛られたままの双龍が一瞬目を見開き、瓊瓊杵尊を見つめる。



『我が神域を護ることすらできぬとは。

もはや貴様らに、存在する価値などない!!』


 大神の怒号が、大地も空も震わせるほどに響き渡った。




「ちょっと待ちなさいよっ! チャラ男ーっ!!」


 れなが操式棍を構え、腰に手を当てて仁王立ちし、瓊瓊杵尊を睨みつける。


「この子たちは、あんたと神宮を守ろうとして戦ったんでしょ!?

それを役立たずって、どういうことよ!!」


 漆黒の瞳が、ゆっくりとれなへ向けられる。

その瞳に白い部分はなく、すべてが黒く塗り潰されて異様な光を放っている。


「……神の理を乱す、地上の魔女……叔父上の手の者……」


 低く冷たい声に、ジェミが即座に双剣を構えた。


「れな、気をつけろ。先ほどまでとは精神波形が違う」


「……っ!? 黒ヘドロに……乗っ取られたってこと?」


「身体の主導権は、ほぼ奪われている」


『では、瓊瓊杵さまの御心は!?』


 佐久夜姫が縋るように尋ねる。


「消滅はしていない。だが、深層へ押し込められている」


「そんな……っ!!」


 佐久夜姫が、震える両手を胸元で握りしめた。



「瓊瓊杵さま! どうか、わたくしの声をお聞きくださいませ!!

あなたーっ! どうか、どうかーっ!! 目をお覚ましくださいませ!!」


 その魂からの叫びに、瓊瓊杵尊の瞳が僅かに揺れる。

漆黒の奥で、一瞬だけ黄金の光が瞬いた。



「……佐久……夜……」


「瓊瓊杵さま!!」



 だが、金色の光はすぐさま黒きものに呑み込まれた。



「……佐久夜。こちらへ来い」


 瓊瓊杵尊が、ゆっくりと右手を差し出す。


「え……?」


「佐久夜、ならぬ! 妾のそばから離れるでないっ!!」


「……佐久夜、儂の言うことが聞けぬか。その醜き姉のそばから離れよ」



 神域から、すべての音が消えた。




「…………は?」


 れなの声が、低く落ちる。

隣では、磐長姫の身体が小さく強張っていた。



「チャラ男、今――あんた、なんて言った?」


 磐長姫の手が、れなの肩にそっと触れる。


「れな……大丈夫じゃ」


「姫さま……」



 けれど、その傍らで佐久夜姫は動けずにいた。

黒きものに呑み込まれた夫を救いたい。


 だが、夫の差し出した手を取れば。

あの日と同じように、また姉をひとり残してしまう。



「姉上……わたくしは……」


 佐久夜姫の瞳が、夫と姉の間を彷徨った。

瓊瓊杵尊を選べば、姉を裏切る。

磐長姫に寄り添えば、夫を見捨てる。


 どちらを選んでも、愛する者を傷つける。

あの日から何ひとつ変わらない哀しい問いが、再び佐久夜姫の前に突きつけられていた。



「わ、わたくしは……どうすれば……」


「選ばなくていい!!」


 れなの声が、佐久夜姫の迷いを断ち切った。


「え……?」


「旦那か、お姉さんかなんて、選ばなくていいの!!」


 れなは操式棍を構えたまま、佐久夜姫を振り返る。



「どっちも大事なんでしょ!?

だったら! どっちも助ければいいじゃない!!」


「しかし、わたくしは……」


「昔できなかったからって、今もできないとは限らないでしょうが!!」


 佐久夜姫が、息を呑む。

 磐長姫も、れなをじっと見つめた。


「あなたがチャラ男を呼び戻すの!

磐長さまが、あいつに逃げずに向き合わせるから!!

私たちがその証人となって、あなたたちの哀しい神話を『今』書き換えるのよ!!!」



 れなは瓊瓊杵尊へ向き直り、操式棍の先端を突きつけた。


「そのための時間は、私たちが作る!!」


 佐久夜姫は、しばらく黙ってれなの背中を見つめていた。

 やがて、その瞳に強い光が戻る。


「……わかりました」


 佐久夜姫は、磐長姫の隣へ歩み寄った。


「姉上。わたくしも、ご一緒してよろしいでしょうか」


 磐長姫は驚いたように妹を見つめる。

そして、静かに頷いた。


「無論じゃ。妾たちは、姉妹なのじゃから」


「姉上……!」



 二柱の姫が、並んで瓊瓊杵尊を見つめる。

その姿を目にした瞬間。瓊瓊杵尊の差し出していた右手が、微かに震えた。



「……佐久夜……義姉上(あねうえ)っ……」


 漆黒の瞳の奥で、消えかけていた黄金の光が、再び瞬いた。




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