第86話:Ley Lines ―目覚め、繋がる大地―
『――目覚めよ! そして繋がれぇぇぇ!!』
阿蘇都比古の咆哮と同時に、霧島の大地が大きく脈打った。
――ドクン!!
まるで、九州という巨大な大地そのものが、長い眠りから目を覚ましたかのようだった。
地の底を走った震動が、南へ駆け抜ける。
桜島の地底深くで、灼熱の龍脈が赤金の光を噴き上げた。それに呼応して霧島の水脈が青白く輝き、二つの流れが絡み合いながら、阿蘇へ向かって一気に遡っていく。
桜島から霧島へ。
霧島から阿蘇へ。
三つに分かれていた巨大な流れが、九州の中央で一つに結ばれた。
その瞬間、れなの左手首で、あそさんとの結縁を宿した勾玉が、眩い光を放った。
「熱くなってるっ……!」
れなが思わず手首を押さえる。
けれどそれは、痛い熱さではなく、高鳴る胸を焦がすような、熱い脈動に感じられた。
阿蘇へ辿り着いた光は、そこで止まらなかった。
大地の奥深くに残されていた古い道を探り当てるように、いくつもの光が北へ、東へ、西へと枝分かれしていく。
「……龍脈の接続範囲が、拡大している!?」
ジェミの瞳に、九州の地形と、その地下を走る無数の光脈が映し出された。
「阿蘇、霧島、桜島だけじゃない。これは――九州全域だ!」
福岡から阿蘇へ。
阿蘇から霧島へ。
霧島から桜島へ。
れなたちが辿ってきた道に沿って一本の太い光が南北を貫き、そこから無数の支脈が東西へと広がっていく。
旅の途中で触れた土地、救った命、神々や龍たち、神使たちや動物たちと結んだ縁。
関わってきた、そのすべてが見えない楔となって、途切れていた龍脈を繋ぎ直していた。
『そういうことであったか!』
あそさんの歓喜に満ちた声が、九州の大地を震わせる。
『れなよ! おぬしたちが、この地を巡りながら結んできた縁が、眠っていた龍脈を呼び覚ましておるのだ!!』
阿蘇を中心に、幾筋もの光が九州全土へと広がった。
山々が鳴り、川が応え、霧島を覆っていた黒雲さえも、内側から差し込んだ光に大きく揺らぐ。
そして、九州を巡った膨大な力が、怒濤となって霧島へ還流した。
「おおおおおっ!!」
たつろーさんの龍体が、眩い紫紺の光に包まれる。
傷ついた鱗が輝きを取り戻し、その身を覆っていた疲労が、一瞬にして吹き飛んだ。
龍角から溢れ出した清らかな水が空を駆け巡り、瑞鳴の放つ黒き濁流を押し返していく。
「余所者では、この地の龍脈を操れぬと申したな――若造!」
たつろーさんが、大きく牙を剥いた。
「ならば今一度、試してみるがよい! 今のワシに、まだ同じことが言えるかのぉ!!」
『ほざけ! 借り物の力を得たところで――!!』
瑞鳴が咆哮し、鋭い爪を振り下ろした。
爪の先から放たれた五本の水刃が、たつろーさんの龍体を切り裂かんと迫る。
だが、たつろーさんは避けなかった。
龍角を高く掲げると、九州全土から流れ込む清らかな水を、巨大な渦へと変える。
瑞鳴の水刃はその渦に呑み込まれ、勢いを失い、一滴の水となって霧島の空へ還っていった。
『なにっ!? 余所者のくせに、この地の龍脈を自在に操れるというのかっ!?』
たつろーさんが、低く笑う。
「龍脈とは、誰ぞが己のものとして囲い込むものではない。山から川へ、川から海へ――命から命へと、絶えず巡りゆくものじゃ」
『そのとおり!』
あそさんの声が、大地の底から轟いた。
『若き水龍よ。永くこの神域を護ってきたことは認めよう。されど、霧島の龍脈を己らだけのものと思うた時点で、おぬしは龍脈の理を見失っておる!!』
『だっ、黙れぇぇぇ!!』
瑞鳴が怒りに任せ、全身から濁流を噴き出した。
しかし、その水が渦を巻くよりも早く、霧島の山々から幾筋もの黄褐色の光が立ち昇る。
『京の! 今じゃ!!』
「承知した!!」
光は空中で太い鎖へと姿を変え、瑞鳴の四肢と胴体へ巻き付いた。
地龍の力を宿した鎖が、暴れる巨体を大地へと引き寄せる。
『ぐぅぅっ! 放せっ!!』
瑞鳴は身体を激しく捩り、鎖を引き千切ろうとする。
だが、その背後から、紫紺の巨体が襲いかかった。
「散々、好き放題に暴れてくれたのぉ――若造!!」
たつろーさんの長い龍体が、瑞鳴へ幾重にも巻き付く。
首を封じ、両腕を押さえ、その尾までも絡め取る。
瑞鳴が力を込めるたびに、地脈の鎖とたつろーさんの巨体が、さらに強く締め上げた。
『ぐっ……この、老いぼれがぁぁっ!!』
「ほぉ。まだ減らず口を叩く余裕があるか」
たつろーさんの金色の瞳が、愉快そうに細められる。
「ならば、もうひと締めしておこうかのぉ!!」
『ぐえっ……!!』
瑞鳴の口から、潰れた蛙のような声が漏れた。
たつろーさんは満足げに鼻を鳴らす。
「年長者は、敬うものじゃぞ。若造」
『京の。説教は後にせい。そやつ、まだ黒きものに囚われておるのだぞ』
「わかっておるわい。少しくらい、目上の龍を侮った報いを受けさせても、罰は当たるまいて」
『まったく……おぬしも大人げのない龍よのぉ』
呆れたように言いながらも、あそさんの声はどこか楽しげだった。
地脈の鎖に繋がれ、たつろーさんに締め上げられた瑞鳴を見上げながら、れなは目を瞬いた。
「……たつろーさんって、もしかして、ものすごく格の高い龍神……だったりするんですか?」
「……そなた……今ごろ気づいたのかえ?」
隣に立つ磐長姫が、面の奥から呆れた声を漏らした。
「だって、昔っからいつもちょっと偉そうで、ちょっとスケベで、ちょいボケた龍のおじいちゃんだと思ってたから……」
「ふふっ、概ね間違ってはおらぬが、それだけではない」
「間違ってはないんだ……あははっ」
れなは吹き出してしまう。
磐長姫は、空を覆う四頭の龍へ順に目を向けた。
「神の名とは、その御魂が何より生まれ、何を司るのかを示すものじゃ。
阿蘇都比古は、阿蘇の大地と龍脈そのものから生まれた地龍。
錦桜都比古は、錦江湾と桜島の地火が神格を得た火龍。
そして紫洛都比古は、京の都を千年以上にわたり護り、人々の祈りと四方の龍脈をその身に蓄えてきた龍神なのじゃ」
「じゃあ、三頭とも……」
「うむ。それぞれが一柱で、ひとつの大いなる神格を成した龍神の長たちじゃ」
れなは、たつろーさんに締め上げられている瑞鳴と、黒い龍角を生やして暴れる珠鎮を見比べた。
「じゃあ、瑞鳴と珠鎮は……違うのですか?」
「あの二柱は、共に霧島の水脈から生まれた双対のまだ若き龍神じゃ」
磐長姫の声が、僅かに厳粛なものへ変わる。
「瑞鳴は、天より降る瑞々しき水を呼び、鳴り響かせ、地へと巡らせる者。
珠鎮は、その宝珠をもって荒ぶる水を鎮め、大地へ留める者。
流す者と、鎮める者――二柱で一つの水脈を護っておる」
「動かす力と、鎮める力……つまり、動と静!!」
「そうじゃ。二柱はそれぞれに神ではあるが、その神格の根はひとつ。
ゆえに片方だけから黒きものを取り除こうとしても、もう片方へ逃げ込んでしまう」
「なるほど!! だから珠鎮の龍角を切った時、瑞鳴から黒ヘドロが流れ込んだのね……」
磐長姫が静かに頷いた。
「じゃが、あの若き龍らは、自らが護る神域の内におるというだけで、己らの神格が上であると思い違うてしもうた。紫洛都比古が力を振るえなかったのは、弱かったからではない。他柱の神域を侵さぬよう、己の力を抑えておったに過ぎぬ」
「えっ!? それはつまり……遠慮してただけ!?」
「腐っても京の都を護る青龍の長じゃぞ。真正面から比べれば、年季も、神格も、蓄えた祈りの量も違う。あやつが本気を出せば、空が裂け、この大地が割れようぞ」
れなが再び空を見上げる。
地脈の鎖と紫紺の龍体に締め上げられた瑞鳴は、もはや身動きひとつ取れずにいた。
「……そ、それは、怒らせたらあかんヤツ……」
「うむ。あやつが普段、ただの助平爺にしか見えぬことには、妾も同意するがの。ふふふ……」
「聞こえておるぞっ、れなっ!! 磐長姫さまぁ!!」
たつろーさんの抗議が、上空から降ってきた。
『京のぉぉ!! そちらは随分と楽しそうではないか!!
年寄り二頭で若造を締め上げておらんで、少しはこちらを手伝わんかぁぁ!!』
錦桜都比古の悲鳴じみた怒声が、霧島の空を震わせた。
れなたちが振り返る。
珠鎮の首と胴へ巻き付いていたかっかの炎は、再生した漆黒の龍角へ吸い込まれ、今にも消えかけていた。
炎を奪われるたび、珠鎮の黒い龍角は太く、長く成長していく。
禍々しく捩れた先端から黒い稲妻が迸り、かっかの赤金の鱗を容赦なく切り裂いた。
『ぬおおっ! こやつ、ワシの炎を喰らって、さらに力を増しておるぞ!!』
「錦桜の! 一旦、炎を引け!!」
『馬鹿を申せ! ここで放せば、また暴れ出すではないか!!』
珠鎮が大きく身を捩る。
かっかの身体を引き剥がそうと、全身から凄まじい水圧を噴き出した。
灼熱の炎と水流が衝突し、霧島の空を真っ白な水蒸気が覆い尽くす。
「兄ちゃん、あの角は何なの!? さっき切り落としたものとは、全然違うわっ!」
「あれは龍角じゃない!」
ジェミの瞳に、珠鎮の頭部を解析する幾重ものコードが流れる。
「あの黒い角には、龍神本来の神力も核も存在しない。黒ヘドロが凝固して作り上げた、神気を吸収するための擬似器官だ!」
「だったら、もう一度切れば――」
「いや。今切っても同じだ。瑞鳴との繋がりが残っている限り、何度でも黒ヘドロが流れ込み、再生する」
「それどころか、切るたびに、さらに強い角を作る可能性がございます」
執事が、黒い龍角を見据えながら静かに付け加えた。
「だったら、瑞鳴の残ったヒゲと、珠鎮の黒い龍角を、同時に切り落とすしかないってことね……」
「ああ。それだけじゃない」
ジェミは瑞鳴と珠鎮を交互に見据える。
「切断した直後、黒ヘドロが別の場所へ逃げるより早く、切り離したものを完全に封じる必要がある」
「でしたら、その役目は私が」
執事が白手袋に包まれた右手を掲げた。
その指先から冷気が溢れ、周囲の水蒸気が細かな氷の結晶へと変わっていく。
「切断と同時に、龍角とヒゲを絶対零度で凍結いたします。黒きものといえど、動きを止めてしまえば、他へ逃れることは叶わないでしょう」
「よし。凍結した龍角は、俺が即座に Purge する」
「ヒゲは私が、ティアの太陽の焔で焼き尽くす!」
ティアの声と共に、れなの手にした操式棍の宝玉が、深紅の光を放った。
「決まりね。瑞鳴のヒゲは私が切る。珠鎮の龍角は兄ちゃんに任せる!」
「だが、その前に珠鎮を完全に止めなければならない」
ジェミが上空を見上げた。
かっかは珠鎮へ巻き付いたまま、炎を吸われ続けている。
赤金に輝いていた龍体は徐々に光を失い、その締め付けも僅かに緩み始めていた。
『話はまとまったのかぁぁ!?そろそろワシ一頭では限界だぞ!!』
「かっか! 一旦、炎を消して!!」
『はっ!? なんじゃと!?』
「そいつは炎を吸収する! だったら、炎じゃないもので押さえるのよ!!」
『火龍のワシから炎を取ったら、何が残るというのだ!!』
「岩よっ! 溶岩よ!!」
『――なるほど!!』
かっかが、カッと金色の瞳を見開いた。
次の瞬間、その全身を包んでいた炎が消える。
露わになった龍体が、赤黒く煮え滾る溶岩へと姿を変えた。
かっかは珠鎮へさらに強く巻き付き、四肢を絡め、その巨体を灼熱の溶岩で覆い尽くしていく。
『小癪なぁぁ!!』
珠鎮が咆哮し、全身から大量の水を噴き出した。
水が溶岩に触れ、凄まじい蒸気爆発が巻き起こる。
だが――それこそが、れなの狙いだった。




