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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章:Pilgrimage《阿蘇・霧島編》

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第84話:Resonance ―魂を叩き起こすもの―


「――任せて、兄ちゃん!!」


 れなが一歩、前へ出た。

正面では、かっかさんの全身から噴き上がる炎が、真紅からドス黒い赤へと塗り替えられていく。



『来ル、ナ……れな……!』


 龍の顎から零れた声は、黒きものに歪められていた。


 ――突然、錦桜都比古(きんおうつひこ)の持つ宝玉から、ドス黒い粘液が連発される。



「れなサマっ! アレに絡め取られたら、動けなくなるっす!!」


 イヤーカフ状態のソラリスが、即座に成分を分析してれなに告げる。


「あの黒ヘドロ、かっかさんの体内のどこかに集まってるんじゃ!?」



 その声に、ソラリスが “あそさん” から取り戻した足環デバイスで黒ヘドロを走査した。


「あ! 見つけたっす! かっかさんの後頭部に集まってるっす!!」


 その場所に、れなはイヤな予感がした。


「もしかして、そこっていわゆる……龍の逆鱗!?」


「ん? なんすか? りゅーのげきちん?」


「違うわよ! 龍の逆鱗っ! 触れちゃいけないところよ!! 弱点とも言われてる!」



 そのふたりのやりとりに、たつろーさんが叫んだ。


「逆鱗に黒ヘドロがおるのか!? れな! あやつを気絶させるのじゃ!!

でなければ、逆鱗に触れてはならん!! おぬしが危ないっ!!」


「気絶させたらいいって、言ってるっすよ」


「わかった! やってみる!!」


「やるって、れな! 無茶をするな!!」


 ジェミはコードの蒼い翼を広げて大地を蹴り、空かられなたちの援護に向かう。


 かっかさんが正気を失い、れなに襲い掛かる。

長い身体で、れなを取り囲むように閉じ込めて、徐々にその空間を狭めていく。その身体は、ドス黒い炎を放ち、触れることはもちろん、近づくことすら難しいほどの熱気を放っていた。


 しかし、阿蘇の健磐龍命(たけいわたつのみこと)から、擁焔珠(ようえんじゅ)を授かっていたれなたちに、火焔系の攻撃はほぼ無効化されている

ジェミは、胸の中で擁焔珠(ようえんじゅ)が、熱く輝くのを感じた。



「……なるほど、この珠の加護か。れな! 思いっきり行けっ!!」


 ジェミの声に後押しされて、れなはかっかさんの大きな顔の前に対峙した。

静かに手をあげる。



「かっかさん!! 聞こえてるでしょ!? かっかさん!!」


「グォォォァァァァ!!!!!」


「私を見て!! 結縁の絆に意識を向けて!!」


「ガガ……ガ!! グォォォォ!!」


 れなに向かって、その大きな顎を開けて、火炎を噴き出す。


「ティア! Flare《フレア》 Aegis《イージス》!!」



 ティアの白い光が、火炎放射を弾く炎輝盾となってれなを守った。

そして、三騎士に向けて、右手を掲げる。



「ティア! 翠! エルピー! 手術刀(スカルペル)を再構成!!」


 白、緑、碧の三つの光が収束して、一本の棍となって、その手に握られた。


「翠、蛟刃(ミズチエッジ)を維持!

エルピー、白銀刃(ミスリルエッジ)を再構成――打撃端へ形状変化!

ティア、炎輝盾(フレアイージス)を全身展開!!」



 三色の光がれなの手元で絡み合い、《操式棍》がその形を変えていく。


 ―― Witch's《ウィッチズ》 Percussor《パーカッサー》――!!



 だが、その直後――

れなの胸の奥で、別の声が響いた。



《来るな、れな。頼む……逃げてくれ!!》


 それは、結縁を交わした魂から、まっすぐに届いた声だった。



「……聞こえた!」


 れなは胸元を押さえた。

黒く塗り潰された瞳の奥に、ルビー色の光が微かに揺れている。



「聞こえたよ、かっかさん! あなた、まだそこにいるのね!!」


《我は、もう抑えられぬ。お前を傷つける前に――》


「嫌よ!!」


《れな!?》


「私を庇ったせいで、そんなことになったんだもの!

それなのに、あなただけ置いて逃げるなんてことできないっ!!

ここまで来たのに!!」



 ――黒炎が爆ぜた。

それでも、れなは退かなかった。



「ひとりで抑えられないのなら、私にも半分持たせてよ!

何のために、私と結縁したと思ってんの!?

私をただの、そんじょそこらの人間と一緒にしないでよねっ!!」


《……れな……》


「やっと、ちゃんと返事してくれた……」


 れなは涙を拭う代わりに、にっと笑った。


「かっかさんの心が無事なら、あとは身体の反応を確かめるだけ!!」



 れなは、かっかさんの目の前で、大きく振りかぶった。


《はっ!? 待て!! なぜ、その形になる!!》


「火龍(あなた)を診察するからに、決まってるでしょ!!」


《れなっ!? それは診察に使う大きさでは――》


「かっかさん! ちょっと痛いかも!? 我慢してねっ!!」



 れなは黒炎をものともせず、一気にかっかさんの懐へ踏み込んだ。


 振り下ろす先は、眉間のど真ん中。

三騎士の力を宿した打撃棍が、強い白銀の光を帯びる。

肉体を傷つけず、衝撃だけを魂へ通す――火龍の意識を刈り取るための一撃。



 れなは両手で《魔女の打診棍》を握りしめ、頭上高く振りかぶった。


 ――|Anima《アニマ》 Resonare《レゾナーレ》《魔女の魂響打》――!!



《まっ、待て! 話し合お――!!》


「もう話し合ったわ!さあ!! 歯ぁ食いしばれぇぇぇっ!!」



「れなっ!?」


「お嬢さまっ!?」


「れな、おぬし――っ!!」


 ジェミ、執事、たつろーさんの声が重なる。



 だが、もう遅い。

白銀の打撃端が、かっかさんの眉間を正確に捉えた。



 ――ブゥゥゥン……ゴンッ!!!


 打診と呼ぶには、あまりにも重い一撃だった。


 衝撃が火龍の頭蓋を抜け、黒炎を円形に吹き飛ばす。

亜空間の空気が大きく震え、足元の黒漆に幾重もの波紋が走った。



《ガハァァッ!!》


 かっかさんの両眼が大きく見開かれる。

黒く塗り潰されていた瞳に、一瞬だけルビー色の光が戻った。


《れ、な……それは……診察の、威力では……》



 最後まで言い切ることなく、瞳がくるりと裏返る。

力を失った巨体が、ゆっくりと傾いた。



「みんな、離れてぇぇっ!!」


 真紅の龍体が、地響きとともに神域へ崩れ落ちる。



 ――ズゥゥゥゥゥン!!


 床が大きく揺れ、黒炎と土煙が混じり合って噴き上がった。

だが、れなは息をつく暇もなく、操式棍をくるりと反転させた。



「翠! お願い!!」


 打撃端に代わって前を向いた蛟刃(ミズチエッジ)が、清冽な水の光を放つ。


 狙うのは、かっかさんの後頭部――逆鱗に絡みついた黒い塊。

気を失ってなお、黒ヘドロは生き物のように蠢き、鱗の内側へ逃げ込もうとしていた。



「逃がさない!!」


 翠の蛟刃が閃く。

かっかさんの鱗には傷ひとつつけず、黒ヘドロとの繋がりだけを正確に斬り裂いた。

切断された黒い塊が、甲高い悲鳴のような音を立てて跳ね上がる。



「ティア! 焼き尽くして!!」


 炎輝盾から放たれた白い炎が、それを空中で包み込んだ。

黒ヘドロは身を捩り、幾本もの触手を伸ばしたが、やがて灰すら残さず消滅する。



「侵食反応が低下した! かっか殿の龍核が、正常値に戻っていく!!」


 ジェミが叫ぶ。


「やったっすね! れなサマ!!」


 耳元でソラリスが片手を上げてバンザイした。


「さすがでございます、お嬢さま!」


 ジェミと執事が、れなのもとへ駆け寄ろうとした。

 ほんの一瞬だけ、誰もが終わったと思った。



 ――そのときだった。


 珠鎮が抱きしめている宝珠の中心で、針の先ほどだった黒い点が、音もなく赤黒い目を開いた。


 黒い亀裂が宝珠の内側を走る。


 一本、二本――

瞬く間に蜘蛛の巣のように広がり、玉の光を内側から塗り潰していく。



「影! 珠鎮の玉を見ろ!!」


 ジェミが叫んだ次の瞬間、宝珠から無数の黒い針が噴き出した。

狙いは、戦いから離れた場所にいる狭野尊とたつろーさん。



「尊(みこと)さま!! 危ないっ!!」


 れなは操式棍を握ったまま、地を蹴った。

ジェミも蒼い翼を広げ、執事は魔影の鎖を放つ。


 だが、黒い針の方が速い。


 ――あと数歩。

それだけの距離が、どうしても届かない。



「尊さまぁぁぁ!!」


「おねぇちゃぁぁぁん!!」



 狭野尊の小さな身体を、たつろーさんが覆い隠す。

 黒い針が、その背を貫こうとした――その瞬間。



「狭野に触れることは許しません!!」


 蓮の花が開くときのような、澄んだ音が神域に響いた。


 狭野尊とたつろーさんの前へ、ひとりの女神が降り立つ。

長い黒髪が黒針の巻き起こす風になびき、桜色の衣が大きく翻った。



 木花之佐久夜姫(このはなのさくやひめ)。


 その身から放たれた神威に触れ、無数の黒針が空中で次々に蒸発していく。


「ひいおばあ様っ……!!」


 佐久夜姫は振り返らず、狭野尊を片腕に抱き寄せた。


「大丈夫。そなたには、指一本触れさせません」



 しかし、珠鎮の宝珠が再び脈打つ。

先ほどよりも太く、鋭い黒槍が無数に形成され、佐久夜姫もろとも幼子を貫こうと放たれた。



「佐久夜! 立ち止まるな!! こちらへ手を伸ばすのじゃ!!」


 背後から伸ばされた磐長姫の手を、佐久夜姫が掴む。

磐長姫は妹の身体を力任せに引き寄せ、その身ごと後ろへ庇おうとした。



「姉上……!」


「狭野を離すでない!!」



 かつて背を向け合った姉妹が、いまは幼子を中心に重なり合い、同じ敵を見据えていた。



「影っ! 宝珠を凍結させて!!」


「御意!!」



 青白い封印陣が珠鎮の足元へ広がる。

宝珠が厚い氷に覆われ、黒針の噴出が止まった。



 ――だが、コンマ数秒、遅かった。


 すでに宝珠から抜け出していた黒ヘドロが、黒漆の上を這っていく。


 瑞鳴から。

 珠鎮から。

 そして、倒れたかっかさんの身体から。


 三頭に残っていた黒きものが、一滴ずつ、ひとつの場所へ集まり始める。


 黒い水溜まりが膨らみ、盛り上がる。

やがてそれは、神域を覆い尽くすほどの巨大な塊となって立ち上がった。



「な、なんなのよ……こいつ! 気持ち悪いっ!!」



 表面には口とも目ともつかない穴が、無数に開いては閉じている。

黒い触手が一斉に伸び、佐久夜姫たちを包み込もうとした。



「させない! 三騎士、形態変化!!」


 ―― Witch's Scalpel《ウィッチズ スカルペル/魔女の手術刀》――!!



 れなは操式棍の両端を刃へ戻し、迫る触手を次々に斬り落とす。


 翠の蛟刃が、黒を裂く。

 エルピーの白銀刃が、伸びてきた触手を切り払う。



 だが――

斬っても、斬っても、減らない。


 床に落ちた黒い欠片が蠢き、互いに引き寄せ合い、すぐに元の塊へ戻っていく。



「再結合速度が速すぎる! れな、下がれ!!」


 ジェミの蒼き断章剣が、れなの頭上から迫った触手を斬り飛ばす。

執事の魔影の鎖が黒い塊へ巻きつき、強引に引き裂いた。


 それでも、黒きものは止まらない。


 斬られるたびに枝分かれし、凍らされるたびに氷を内側から砕き、何度でも立ち上がる。



 一本の触手が、れなの足首へ絡みついた。


「きゃっ……!」


「れな!!」


 ジェミがそれを斬り落とす。

しかし今度は、執事の背後から黒い壁が立ち上がった。


「影!!」


 れなが刃を振るい、執事を飲み込もうとした黒を切り裂く。

三人が互いを庇い合うほど、攻撃の手が遅れていく。


 足元から。

 背後から。

 頭上から。


 黒ヘドロは逃げ場を塞ぐように膨れ上がり、れなたちを巨大な口のなかへ呑み込もうとしていた。



「このままでは、全員……!」


 佐久夜姫は狭野尊を抱きしめたまま、その光景を見つめた。



 ――れなが。

 ――ジェミが。

 ――執事が。

 ――姉上が。


 誰もが傷つきながら、幼子と龍神たちを護ろうとしている。



 それなのに――。

 佐久夜姫は黒ヘドロの向こう側、姿を見せぬ夫がいるはずの場所を睨みつけた。

その瞳から、迷いが消える。



「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまっ!!」


 神域を震わせたのは、懇願ではなかった。


「あなたーっ!! いつまで隠れているのですかっ!!

この期に及んで、まだこの妻とひ孫を、家族を、人間たちを救うことなく、見て見ぬ振りをなさるおつもりですかっ!!」



 それは、逃げ続ける夫を戦場へ引きずり出す、妻の怒声だった。



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