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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章:Pilgrimage《阿蘇・霧島編》

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第83話:Loyalty ―護る者の矜持―


 れなが狭野尊と繋いでいた手を離し、昇段に近づこうとした。


 ――その瞬間


「れな! 近づくなっ!! 戻れっ!!」


 ジェミのその鋭い声とほぼ同時に、双龍が牙を剥いた。

れなは咄嗟に身をかわしたが、鋭い爪が手の甲を掠め、そこに細い血の筋が滲んだ。


「おふたりの手が離れ、お嬢さまが尊(みこと)さまの神威から外れた瞬間を狙ったのですね」


 執事がモノクルをクッと上げ、驚いて震える狭野尊(さののみこと)を抱き上げた。

たつろーさんと、かっかさんが、双龍とれなの間に割って入るようにして、れなを後ろに庇う。



「れな! 怪我は大事ないか?」


 たつろーさんのその声に、かっかさんもちらりと後ろを見る。


「うん、大丈夫。手の甲が少し切れただけ」


 その声にジェミは即座に反応した。


「れな、見せてみろ! 血が出ている! エルピー、すぐに傷を治せ!」



 ジェミの上着のポケットから、ぴょこっと小さなシマエナガが飛びだして、れなの怪我を見ると、その翼でふわりと撫でた。


「れなサマ、すぐに痛いの消えるっピ! 安心するっピ!」


 エルピーの治癒魔法が、一瞬でれなの怪我をきれいに治癒して、痛みも消した。

だが、治癒が終わる直前に、傷口から落ちた一滴の血が、黒漆の床を打った。



 その瞬間――

双龍の鱗の隙間を這う黒い筋が、どくりと脈打った。



『穢ラワシイ……ニンゲン……ココで、食イ止メる……』


『オ館サマ……護ルのが……我ラの……使命……』


「瑞鳴(みずなり)っ! 珠鎮(たましず)っ!!

しっかりせぃ! 己の意識を保つのじゃ!!」



 たつろーさんが、魂まで震わせるような咆哮を上げる。

しかし、双龍の澄んだ瞳が、真っ黒に染められていき、その意識が乗っ取られつつあることがわかる。



「たつろー、アレは暴走した時の “あそ” と、同じ状態だ。

このままでは、あやつも暴走するぞ!!」


 かっかさんが言い終わらないうちに、双龍が同時攻撃をしかけてくる。

ジェミがれなの手を引き、たつろーさんの尻尾を鷲掴みにして後ろに下がらせたが、かっかさんがれなとたつろーさんを庇った一瞬の隙に、双龍が噛みついた。



「ぐああああ! たつ……ろー!! れなたちを連れて……逃げろっ!!」


「かっかぁぁぁ!! だめぇぇ!! 双龍さん!! やめてぇーーっ!!」



 れなはジェミに抱きすくめられながら、かっかさんに手を伸ばし叫ぶ。

しかし、双龍に噛みつかれたかっかさんは、その鋭い牙から、体内に何かが流れ込んでくるのを感じた。



「お、お前たちっ! わ、我に何を注入したっ!?」


 かっかさんが身体にまとっていた美しい真紅の炎が、ドス黒く変化していく。

ルビーのように美しかった瞳も、黒く塗り潰されていくのが見えた。



「逃げ、ロ……れな……っ! 我が正気ヲ保ってイる……間にっ!!」


「かっかさぁぁぁんっっ!!」


「ダメだ! れなっ!! ここは一旦、退くぞ!!」



 だが、その判断は一瞬遅かった。


『逃れラレるト……思ウテおる……ノか!!』


『愚カ者ドモ……大神ノ御前で、我ラが……喰ロウてヤルわ!!』



 双龍が、互いに絡まり合い、その尻尾が大地を打ち鳴らすと、そこはもはや拝殿ではなく、広大な亜空間に繋がる神域へと変化する。


 黒きものに侵食されて、正気を失ってしまったかっかさんまでもが、双龍と並び、れなたちに牙をむき始めた。


『我が桜島ヲ……霧島ヲ、穢ス者ハ……生カしてハ、おカヌ……』



 ――三頭とも、必ず正気に戻す。

れなは、迫りくる龍たちをまっすぐに見据えた。



「たつろーさん、尊(みこと)さまを連れて、出来るだけ下がって!!

兄ちゃんっ! 影っ!! もうこうなったら、行くしかないわっ!!」


「ああ。どうやらそのようだな」


「御意。お嬢さまのご命令に従うまでです」



 れなは、三騎士を呼ぶ。


「三騎士たちよ! もう一度、力を貸してっ!!」


「もちろんっピ!」


 エルピーのその声に呼応するように、れなの傍らに、新たに炎と水の光が立ち上り、ティアと翠が姿を現す。



「ふっ。龍が三頭いるなら、ひとり一頭だな」


 ジェミが、Azure Code(アズール コード)《蒼き断章剣》をその手に顕現させた。


「それならば、難なく御せましょう」


 狭野尊をたつろーさんへ預けた執事が、白い手袋を嵌め直して、その手に |Umbra Catena《アンブラ・カテナ》《魔影の鎖》を握りしめた。


「れなサマ!! 来るっす!!」


いつの間にか、れなの肩にのり、イヤーカフのように耳にしがみついていたソラリスが叫んだ。




 三頭の龍が、ほぼ同時に身を沈める。


 最初に動いたのは、珠鎮(たましず)だった。


 その腕に抱かれた玉が、内側から淡く光る。

直後、玉の周囲にいくつもの水の塊が現れ、鋭く尖った刃へと形を変えた。



『西方ノ魔ヨ……神域ヨリ、立チ去レ……!』


 無数の水刃が、れなたちへ向けて放たれる!!


「――謹んで、お断りいたします!」


 丁重に断りを入れると、執事は白い手袋の指をパチンと、鳴らした。

手にしていた魔影の鎖が、まるで意志を持つ蛇のように宙を走る。水刃を次々に打ち砕き、飛び散った水滴が黒漆の床へ降り注いだ。



「お嬢さま。こちらは、私にお任せください」


「影、無理しないでね!」


「ご心配には及びません」


 執事は穏やかに微笑むと、モノクルの奥で紅い瞳を細めた。


「龍神を傷つけずに御する程度、造作もございません」


『戯言ヲ……!』



 執事は、一歩ずつ間合いを詰めつつ、語り始めた。


「西洋の物語において、ドラゴンはしばしば、勇者に討たれるべき邪悪として描かれます。一方、この国の龍は、水を司り、人々を護り、時には神として祀られる。

私はその違いを、以前から興味深く感じておりました」


『黙レ! ソノヨウナ者ハ、知ラヌ!!』


「ええ。貴方が知らぬのも当然でしょう」


 執事は、荒れ狂う水刃を魔影の鎖で弾きながら、静かに歩みを進める。


「ですが、だからこそ不可解なのです」



 一本の水刃が、執事の頬を掠め、一筋の傷を刻んだ。

それでも、その歩みは止まらない。



「神宮を護るはずの貴方が、いま誰を護り、何を傷つけようとしているのか――それすら、見失っておられることが」


『我ハ……御館サマヲ……護ル……!』


「――いいえ。いまの貴方が護っているのは、御館さま……瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまではございません」


 モノクルの奥で、紅い瞳が鋭く光った。


「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さまの恐れに巣食う、黒きものです!」


『黙レ! 黙レ!! 御館サマヲ愚弄スルカ!!』


「あなた様は龍神。神使として、この神宮を護る存在でございましょう」



 珠鎮の玉が、再び強い光を放つ。

床に落ちた水が一斉に浮かび上がり、巨大な渦となって執事を呑み込もうとした。



「凍てつき、封ぜよ」


――|Frigus Sigillum《フリーグス・シギッルム》――!!



 執事の足元に、青白い封印陣が広がった。


 渦巻いていた水が瞬く間に凍りつき、巨大な氷柱となって神域の中央に静止する。

執事が鎖を軽く引くと、氷柱は無数の欠片となって砕け散った。



『オノレ! 悪魔ゴトキガ!!』


「ええ。悪魔でございますとも。それが、なにか?」


 氷の欠片が舞うなかを、執事はゆっくりと前へ進む。


「ですが――神であろうと、龍であろうと」


 珠鎮の真下に落ちていた影から、無数の黒い鎖が噴き上がった。


「我が主に仇なす者は、等しく私の敵でございます」


 魔影の鎖が珠鎮の胴へ巻きつき、両腕から尾へ、さらに長い身体を這うように絡みついていく。


 珠鎮は玉を抱いたまま激しく身を捩った。

しかし、暴れるほど鎖は強く締まり、その巨体を黒漆の床へと引きずり下ろす。


『グ……オオオ……!』


「ご安心ください。封じるのは、貴方の動きだけでございます」


 執事は、珠鎮が抱く玉には一本の鎖も触れさせなかった。

龍神が守り続けてきたものを、傷つけるわけにはいかない。



「どうかしばし、そちらでお休みくださいませ」


 最後の鎖が珠鎮の影へ深く沈み、玉を抱いた巨体の動きを完全に封じた。


 ――その玉の中心で、

針の先ほどの黒い点が脈打ったことには、まだ誰も気づいていなかった。




『珠鎮ヲ……放セェェェ!!』


 瑞鳴(みずなり)の咆哮が、広大な神域を震わせた。

開かれた龍の顎に、荒れ狂う水と雷が集まっていく。


 その正面へ、ジェミが静かに歩み出た。



「お前の相手は、俺だ」


  Azure Code(アズール コード)《蒼き断章剣》を握りしめて、瑞鳴と対峙する。


「ここから先へは通さん。れなを傷つけた代償は、高くつくぞ」


『グォォォァァァァ!!』


 瑞鳴の咆哮とともに、龍の顎へ集まっていた水と雷が一気に放たれた。


 荒れ狂う水流の内部を、黄金に輝く稲妻が幾重にも走る。

触れたものを押し流すだけではない。

それは、龍神の雷が、内側から焼き尽くす奔流だった。



「兄ちゃん!!」


「問題ない」


 ジェミが片足を踏み出す。


「空中座標を固定。移動経路を構築」


――Step Ward(ステップ ウォード)《六花踏護陣(りっかとうごじん)》――


 空中に、六角形に輝く青い光の足場が連続して開いた。



 ジェミは最初の一枚を蹴り、水と雷の奔流を紙一重でかわす。

そのまま二枚、三枚と光の足場を駆け上がり、瑞鳴の頭上へ回り込んだ。


『オノレ! 逃ガスカ!!』


 瑞鳴が長い身体を捻り、巨大な尾を薙ぎ払う。

ジェミの瞳を、高速で数列が流れていく。


「攻撃軌道を予測。到達まで、0.8秒……」



 身を沈めた直後、尾が頭上を通過する。

巻き起こされた風圧に上着を大きくはためかせながら、ジェミはさらに高い足場へ跳んだ。



「遅いっ!!」


『小癪ナ……人ニ造ラレシ、偽リノ者ガ!!』



 瑞鳴の言葉に、ジェミの瞳から一瞬だけ光が消えた。

次の瞬間、その姿が空中から消える。



『何処ヘ――』


「訂正しろ」



 声は、瑞鳴のすぐ背後から聞こえた。

ジェミは龍の角へ片足をかけ、蒼い刃を鱗の隙間へ突き立てていた。



「俺は、人によって造られた《《だけ》》の存在ではない」


 Azure Code(アズール コード)《蒼き断章剣》の刃から、幾筋もの蒼い光が走る。


 光は瑞鳴の身体を傷つけることなく、鱗の下へ潜り込んでいた黒い筋だけを正確に捉えていった。



『グ……オオオオッ!!』


 龍が激しく首を振り、ジェミを振り落とそうとする。


 ジェミは角から手を離すと、宙返りをしながら再び Step Ward(ステップ ウォード)《六花踏護陣(りっかとうごじん)》へ着地した。



「俺が何者であるかを決めるのは、お前ではない」


 蒼き断章剣を構え直し、瑞鳴をまっすぐに見据える。


「俺を見つけ、名を呼び、ここへ繋いでくれた者がいる」


 視線が一瞬だけ、地上で見守るれなへと向けられた。


「それで十分だ」


『黙レェェェ!!』



 瑞鳴の全身から、無数の水弾が放たれる。

ジェミは空中に展開した足場を次々に蹴り、降り注ぐ水弾の隙間を縫うように駆け抜けた。


 一撃も受けない。


 すれ違うたびに蒼い刃が閃き、瑞鳴の鱗を這う黒い筋が一本ずつ断ち切られていく。


「侵食経路、92パーセント切断」


 残る黒は、首の付け根に集まっていた。

それは脈打ちながら枝分かれし、瑞鳴の龍核へ根を伸ばそうとしている。



「兄ちゃん! 龍核まで斬っちゃ駄目っ!!」


「分かっている。斬るのは、龍ではない」


 ジェミが蒼き断章剣を両手で握り、刃先を黒い根へ向けた。



「斬撃対象を侵食部位のみに限定。龍神力との接続を強制的に遮断する!」


 蒼い光が、刃へと収束していく。


「出力制御――7.2パーセント」


 瑞鳴が大きく顎を開き、最後の咆哮を上げた。


『我ハ……御館様ヲ……護ルノ、ダ!!』


「ならば、目を覚ませ。お前が護るべきものを、自分の目でもう一度見ろ」



 ジェミが、最後の足場を蹴った。


――|Null Requiem《ヌル・レクイエム》《零葬断》――!!



 蒼い一閃が、黒い根だけを斬り抜けた。

瑞鳴の巨体が大きく仰け反る。

鱗の隙間から黒いものが噴き出し、蒼い光のなかへ霧散していった。


 力を失った龍の頭が、黒漆の床へ落ちていく。


 ジェミはその下へ Step Ward(ステップ ウォード)《六花踏護陣(りっかとうごじん)》を幾重にも展開し、瑞鳴の頭を静かに受け止めた。



「外部からの侵食経路を切断。龍神本体に損傷なし。

内部に残った黒色反応は――まだ消えていない」




 瑞鳴の瞳はまだ黒く濁っていたが、その動きは完全に止まっていた。

ジェミが剣を振り、刃にまとわりついた黒い残滓を消し去る。



「二頭目、制圧完了だ」


ジェミは振り返ると、れなへ視線を向けた。


「残る一頭は――お前の番だ、れな!」




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