第78話:Perception ―大地の声、水の記憶―
れなは、頭をフル回転させた。
「……穂霧都比古さま……なので~」
額に手を当てて、本気で、一生懸命考えた。
「……ほきり……ほき……ほっき……ホッキー!!」
れなの瞳が輝いて、満面の笑顔で、みんなの方を向く。
「ぶふっ……こ、コホン、失礼いたしました」
「ぶはっ……はぁ? れな……お前……また」
執事とジェミが、ほぼ同時に吹き出してしまう。
ただ、ソラリスの瞳は輝いていた。
「れなサマ……天才っすか!! ホッキー! かっこよ!!」
「じゃぁ、穂霧都比古さま、今日からホッキーで!!」
『……ほ、ほっきー、とな?』
「イヤですか? じゃあ、ホッキーさん!!」
『……敬称の問題か!?』
「だって、たつろーさんも、あそさんも、さん付けですもん!」
えっへんとばかりのドヤ顔で、れなは胸を張った。
穂霧都比古は、九つの頭すべてで、たつろーさんを見つめ、何か言いたそうにしていたが……そこにれなが畳み掛ける。
「頭が九つあるから、左から順番に、ヒホッキー、フホッキー、ミホッキー、ヨホッキー、イツッキー、ムホッキー、ナホッキー、ヤホッキー、ココッキー!!
全部まとめて、ホッキーさん!! ひふみ祝詞からひらめいたの!!」
たつろーさんは、眉を下げて哀れむような、申し訳ないような、なんとも言えない顔をして、穂霧都比古を見つめ返していた。
『ふっ……ふはっ……ふははははは!!
このワシの通称が、ほっきーさん、か!! 面白い!! 実に面白い!!
じゃが、……なぜ五つ目だけ、イツッキーなのだ?』
「イホッキー、言いにくいでしょ?」
『……では九つ目は、なぜココッキーなのだ』
「コホッキーだと、咳してるみたいや~ん!?」
その言葉に、たつろーさんだけではなく、今度こそ、ジェミも執事も「もうダメだ」というような表情で首を振り、苦笑いしてしまった。
ソラリスだけが、そのやりとりに目をキラキラと輝かせていた。
『咳など知らぬわ!! じゃが、面白い!! ひふみ祝詞に寄せてきたか!!』
「十 がないのが残念だわ……尻尾にも名前つけます? トホッキー!!」
「れな……もうやめておけ……ホッキー殿のHPを削るな……ゴホン」
「お嬢さま、ひふみ祝詞に着眼したのは、素晴らしい発想ですが……ぶふっ」
「尻尾にトホッキーって、かっけぇぇっす!!」
『やかましいわ。黙らぬか、異星人め……』
「れなや、ほっきーで勘弁してやるのじゃ……ぶはっ……」
『京の……そなたまでも笑いに伏すか。
……とはいえ、まぁ、そのままの “あそ” よりはマシか?』
「そうじゃな~。
阿蘇都比古は、何のひねりもなく “あそ” じゃからなぁ」
たつろーさんが、遠い目をする。
「下手したら、政界のドンと同じになるところだったっすよ!?」
『それはそれで、どうかと思うが……まぁよいわ。
数千年ぶりに、新しい名を得た。これも「縁」のひとつじゃろうて』
それまで、ドキドキしていたれなは、その言葉に満面の笑みを浮かべた。
「よかったぁぁぁ。
九つの頭で反対されたら、多数決で負けちゃうって思ってドキドキしてましたぁ!!」
「「「そこかーーっ!?」」」
その場にいた全員から、同時にツッコミが入り、御池は、笑いに包まれて、細波立った。
「よし! 名前も決まったことだし、次の目的地へ向かいましょうか!!」
「狭野だったな。影、車に現在位置からのナビを送信しておく」
「かしこまりました。では、お嬢さま、そろそろ、車にお戻り下さい」
「あ、そうね。磐長さまが、待ってて下さってたんだった」
『磐長姫さまに、よろしく伝えておくれ』
「はい! 伝えなくても、もう聞こえてると思いますけどね~。あははっ!」
車の方から、クスクスと上品に笑う気配が、聞こえてきた。
『お前たちの行く末がどうなるのか、楽しみに見守っている。
ああ、そうじゃ、お館さまのところへ向かう時は、教えてくれ。桜島の火龍も、参るようにと呼び出してやる。南九州の主だった面々が一堂に集うよう、手配しておこう』
「なんと、そなたも気前がよいではないか。
わしがこの地に来ておることも、忘れずに伝えておいて欲しいのじゃ」
『京の、分かっておる。安心してくれ。
龍神ねっとわーくで、南九州には、今日のことはまもなく広まるじゃろうて』
「命名:ほっきー。
それに、ひふみ祝詞の九つの頭じゃな。ふぉふぉふぉ」
『れな、真名と命名により、そなたとの結縁、確かに成立した。
これより、霧島の水脈は、そなたに開かれる。
こころして見て、聞いて回ってくるのだ』
「はい、ホッキーさん。心に刻みます。ではまた、神宮でお目にかかりましょう。
巡礼の旅に、行って参りますね」
『うむ、道中の安全は、烏天狗や小龍たちが守り導くであろう。安心してゆくがよい』
そんなこんなで、10分ほどで次の目的地、狭野神社に到着した。
青々とした杉並木の参道が、まっすぐ奥へ伸びている。
高く繁った枝葉が夏の日差しを遮り、足元には涼しい影が幾重にも重なっていた。
「ここは、神武天皇ゆかりの地。
天孫降臨の際に、ここに瓊瓊杵尊さまが降り立たれたのだ」
れなは、ひとり静かに、青い杉並木を見つめて、考えていた。
(この『大地に残る声』って、天孫降臨直後の……希望や誓い、若さ、足取り……そっか、ここが本当の『始まり』なんだ)
「どうした? れな。何を考えている?」
ジェミがれなの眉間に寄った皺を、優しく指先で解しながら訊ねた。
「うん。霧島東神社での禊ぎの後の……狭野神社、始まりの地。
そこで、ホッキーさんは『地に残る声、水に映る声を聞け』って言ってた。
どういうことかなって、考えてたの」
「なるほど。霧島東神社の御池の深く昏い水が『悲しみの記憶』を溜め込んでいたのなら、狭野神社という始まりの地で響く声は……もっと純粋で、原初的なものかもしれないな」
ジェミは、れなの瞳を真っ直ぐに見つめた。
それに続くように、霧火も呟いた。
「ホッキーさまは『まずは、始まりの地へ行け。
天孫が初めて、この地に足を下ろした場所へ』とおっしゃっていた。
ということは、ここに何かが残っているのかもしれないな」
「霧火も『ホッキー』という名前が気に入ったっすか!?」
「んなっ!?」
「今、ホッキーさまって、サラッと言ってたっすよ!!」
「言ってない!!」
「いいえ! 言ったっす!! ここに居る全員が証人っす!!」
そのソラリスの言葉に、たつろーさんや烏天狗をはじめ、全員が霧火を見て頷いた。
「んあ~っ! れなが決めた名前じゃないか!! 俺だって、そう呼ぶさ!」
「……開き直ったっすね……フッ」
鼻で笑うソラリスに飛びかかっていく霧火を、片手で払い除け、れなを守りながら、ジェミが一喝した。
「お前たち、参道では静かにしろ! ホッキー殿の餌にするぞ!!」
その時、参道の向こう、楼門の奥から、楽しそうに笑う声がした。
「ん? ……誰かが、今度は笑ってるね」
「ああ。幼い子のようだが……」
楽しそうなその声に導かれるようにして、手水舎を過ぎて、本殿へと向かう。
本殿正面の石段に、髪を上げ髻に結い、藤色の衣を着た幼い子供が座って、楽しそうに笑っていた。
「ま、まさか……あれはっ!?」
霧火や、烏天狗たちが、一斉に前に出て頭を下げ、ひざまずいた。
4~5歳くらいだろうか。その子がニコニコと話しかけてくる。
「ホッキーさまは、おさかなを食べるのですか? あはははは♪」
霧火たちが慌てて、叫んだ。
「狭野尊さまっ!!」
「みんな、そんなに、頭を下げなくてよいです。
ボクも一緒に笑っちゃいましたから。
お姉ちゃんが、ひいおばあ様のお姉さま……ええっと、大伯母さまと、一緒に来た人ですね? こんにちは~♪」
「えっと、あ、はい。こんにちは。狭野尊さま……?」
「れな、彼はどうやら、神武天皇がここで過ごしたときの幼き頃の姿だ」
「……んなっ!? え!? あ、そっか! 幼名かぁ!!」
「バカモノっ!! 頭が高いわ!! 控えおろう!!」
霧火が慌てて叫びながら、れなの頭を押さえつけた。
「うふふ、霧火、よいのです。
ボク、お姉ちゃんたちに会えるのを、楽しみにしてたんですから」
ぴょん!と、階段から飛び降りると、霧火たちが慌てるのも気にせずに、れなの手を取って、神苑の森を歩き出した。
「お姉ちゃん、こっちです」
「え? どこへ行くの?」
「お水のところです。声が、いちばんよく聞こえます」
狭野尊は、れなの手を引いて、本殿脇の杉木立へと入っていく。
「大伯母さまも、来ておられるのですか?」
「うん。車の中で待ってくださってるよ」
「そうなのですね! あとで、ごあいさつに行きます~♪」
狭野尊は嬉しそうに笑い、何度も小さく頷いた。
「大伯母さまは、今も笑っていらっしゃいますか?」
「ええ。今日は、とても楽しそうに笑っておられたわ」
「よかったぁ~。うふふ~。」
安心したように息を吐き、狭野尊はまた歩き出した。
「昔は、あまり笑っておられなかったから……」
その何気ないひと言に、れなの足が止まった。
幼い子供の記憶の中にさえ、磐長姫の寂しさは残っていた。
「……うん? 昔?」
「はい。ボクが話しかけると、笑ってくださいました。
でも、ボクがいない時は、いつも遠くを見ていらっしゃって、ちょっと寂しそうでした」
狭野尊はれなを見上げ、不思議そうに首を傾げる。
「ひいおじい様も、大伯母さまを見る時は、ずっとこわそうなお顔をしていました」
「……磐長さまのことが、怖かったの?」
「ん~、ボクにはわかりません」
狭野尊は、しばらく考えてから、れなの手を握り直した。
「でもね! ボクは、大伯母さまは、こわくありませんでした!!」
その言葉に、れなの胸の奥で、何かが小さく鳴った。
「……そうなのね」
れなは、狭野尊の手を、優しくそっと握り返した。
「どうして、ひいおじい様は、怖いお顔だったんだろうね……?」
「う~ん、ボクにはわかりません。……ただ、見えなかったのかなぁ?」
「……見えなかった?」
「はい! 大伯母さまは、いつも扇でお顔を隠していらっしゃいましたから。
でも、ボクは大伯母さまが大好きでした。ボクのこと、とっても可愛がって下さいました。とっても優しいお方です」
その言葉に、れなは、ハッとした。
そんな話をしながら歩いていると、小さな泉のほとりに辿り着く。
ホッキーさんが『水に映る声を聞け』と言っていた場所のひとつだ。
「始まりの地の泉か。れな、何か聞こえるか?」
れなは水面を覗き込み、目をこらして、耳を澄ませた。
――その刹那
小さな泉の水面に、幾重にも白く輝く波紋が広がり、天孫降臨の場面が映し出された。
そこには、若さゆえの猛々しさを全身に漲らせた、瓊瓊杵尊の姿が現れた。瓊瓊杵尊と共に大地に降り立った、幾柱もの天津神たちの姿も見える。
その誰もが、やる気に溢れて、これからの希望をその瞳に宿していた。
まだ、誰も傷つけるつもりなどなかった。
誰かが泣く未来など、思い描いてすらいなかった。
その中で、瓊瓊杵尊は、眩しそうに遠くを見つめていた。
新しい地。
新しい国。
これから始まる、すべての未来を。
――だが
次の場面では、瓊瓊杵尊の傍らに、美しい笑顔で寄り添う木花之佐久夜姫の姿が映し出された。
けれど、そのうら若い夫婦神のすぐそばにあるはずのものだけが、二人の視界から零れ落ちていた。
「……なるほど。見えてなかった……んだ……」
れなが小さく呟く。
水面が揺れ、若き天孫の眩い姿は白い光の中へ溶けていった。
あとに残されたのは、ただ静かに揺れる、深い水底の影だけだった。




