第77話:Consensus ―龍脈に残る声―
――ふふふっ。
今度は、はっきりと笑い声が聞こえた。
「……誰?」
れなが振り返る。
岩場の少し奥。苔むした大岩の上に、いつの間にか着物姿の女が腰掛けていた。
長い黒髪を背に流し、口元を扇で隠しながら、愉快そうに肩を揺らしている。
「い……磐長姫さま!?」
「うむ」
磐長姫は、何事もなかったように頷いた。
「いつから、そこにいらっしゃったんですかっ!?」
「初めからおったぞ」
「初めから!?」
「妾は、そなたの守護神の一柱ぞ。
そなたが霧島へ入ったというのに、ついて来ぬ理由があるまい」
磐長姫は岩からふわりと降りると、れなの隣へ歩み寄った。
「それにしても……」
ちらりと森の奥へ視線を向けてから、再びれなを見る。
「そなた、妾よりも腹を立てておったな」
「だって、腹立つじゃないですかぁ~!!」
「うむ。よう分かる……」
「分かるんすかっ!!」
ソラリスが、すかさず両手を挙げた。
磐長姫は、それを見て、また楽しそうに笑った。
「妾の代わりに、あれほど堂々と怒鳴りつけた者は、初めてじゃ。
胸がすく思いであったぞ。ふふふ……」
「では、磐長姫さまも、れなの意見に同意されるのですか?」
ジェミが訊ねる。
磐長姫は少し考えるように首を傾げた。
「すべてとは申さぬ。
あれにも、あれなりの事情はあったのであろう」
「ほら見ろ!」
霧火が勢いよく身を乗り出した。
しかし磐長姫は、すぐに続けた。
「じゃが、説明が足りぬという点については、妾も異論はない」
「……うぅぅ……」
霧火の翼が、しゅんと下がった。
すると、周囲の木々の陰から、先ほど姿を消した烏天狗たちが、ひとり、またひとりと顔を覗かせ始めた。
そして、にわかに騒ぎ始める。
「磐長姫さまも、そう思われていたのですか……?」
「我らも、今回のご命令については、何も聞かされておりませぬ」
「ただ、先へ通すなとだけ……」
「なぜ拒むのか、その理由すら……」
「お、お前たち! 勝手なことを申すな!!」
霧火が振り返る。
だが、烏天狗たちはもう止まらなかった。
「しかし霧火さま、我らも疑問に思っていたのですぞ」
「阿蘇の地龍を救われた方々を、なぜ門前で拒まれるのか」
「ましてや、素戔嗚尊さまの名代と聞いております」
「理由もなく追い返すなど、いかがなものかと……」
「理由がないと決まったわけではない!」
「ならば、お館さまは、なぜ我らにも説明してくださらぬのです?」
「それは~……」
霧火が言葉に詰まる。
れなは、腕を組んで大きく頷いた。
「そうよ。理由があるなら、ちゃんと説明すればいいのよ」
「れな殿のおっしゃる通りです」
「我らにも知る権利があるのでは?」
「少なくとも、磐長姫さまにまで、何も告げられていないというのは……ちょっと、なぁ?」
周りにいた烏天狗たちが、うんうんと頷く。
「まっ、待て待て待て!!
お前たち、あっさり向こう側につくな!!
簡単に寝返りおって!!」
霧火の悲鳴に近い声が、森に響く。
その瞬間。森の奥で、また木々が小さく揺れた。
風はない。
枝葉だけが、誰かの動揺を映したように、びくりと震える。
磐長姫は、その方角を見つめた。
「……聞いておるようじゃな」
「ん? 誰がです?」
れなが問い返す。
磐長姫は答えず、ただ意味ありげに笑った。
すると、少し離れた場所にいた烏天狗が、声を潜めた。
「まさか……佐久夜姫さま?」
森が、再びビクッと揺れた。一同が沈黙する。
れなは、ゆっくりと森の奥へ顔を向けた。
「……佐久夜さま」
返事はない。
「私の言ったこと、聞こえてましたよね?」
木々が、また小さくざわついた。
霧火が慌てて立ち上がる。
「か、風だ! 風が吹いただけだ!!」
磐長姫が空を見上げた。
「風は吹いておらぬようじゃが?」
「磐長姫さまぁぁぁ!!」
ついに、烏天狗たちの間から笑いが漏れた。
それはひとつ、またひとつと広がり、やがて森のあちこちから聞こえ始めた。
霧火だけが、頭を抱えていた。
れなはそんな彼を横目に、にやりと笑う。
「どうやら、少なくとも今ここでは、私たちの味方が多数派みたいね」
「多数決で神を裁くなぁぁ!! あ~~!! もぅっ!!」
霧火の叫びが、深い森の奥まで木霊した。
「霧火、安心おし。
笑っておるが、妾はここで、あれらを悪者に決めつけるつもりはない」
「……磐長姫さま……」
霧火や烏天狗たちが、ほっと胸をなで下ろし、笑顔を見せた。
しかし、そのすぐ後に続いた言葉が、一瞬でその笑顔を凍りつかせた。
「ただし、この子の怒りが解けるよう、説明はさせねばならぬな……」
磐長姫は、森の奥の気配に目を向けながら、少し寂しそうに言う。
「このまま神宮へ向かっても、あれらは口を開かぬじゃろう。
ならば先に、この地に残る龍の気配を辿ってみるがよい」
その言葉に、たつろーさんが頷く。
「……確かに、この霧島には、いくつもの強い龍脈の節がありますのぅ」
「言葉で語らぬならば、土地に訊ねればよい。
山も龍も、人よりよほど多くを覚えておる」
「なるほど。確かに、複数の高密度霊脈を検知した。
それに、阿蘇で接続した龍神系ネットワークとの共鳴も確認できた」
「龍神ねっとわーく、おんらいんっすね!!」
「うん、わかった。
じゃあ、龍脈の節を辿って、霧島の記憶を集めましょう」
霧火が難しい顔をして、悩んでいる。
「いくら……磐長姫さまがいいとおっしゃっても……
神宮のお館さまが……通すなとおっしゃっている。俺はどうすれば……」
それを聞いていた烏天狗たちが、ぽそっと呟いた。
「……んじゃ、霧火さまぁ。
イヤだったら、案内しなければ、いいんじゃないっすかね?」
「おお! そうだ! そうだ!!
霧火さま、仕方なくついてくればいいんですよ!」
「それだぁ~! 案内は我らが務めようではないか!!」
烏天狗たちは、完全にやる気で鼻息荒く、ハイタッチして決めてしまった。
「なっ!? お前ら! なにを申すか!! 俺がいつイヤだと言った!!」
「大丈夫ですよぉ。我らだって、案内くらい出来ますってぇ!!」
「安心して任せてくれて、いいっすよぉ!!」
このやりとりを見ていたソラリスが、れなにこっそり耳打ちする。
「れなサマ……あのちっちゃいヤツら、調子乗ってるっす。誰かに似てるっす……」
「……お前だ」
ジェミがボソッと呟いた声に、たつろーさんと執事は頷き、ソラリスは目が点になった。
「霧火や。お館らは、この者たちに神宮へ来るなとは、申しておらぬのであろう?」
「なるほど。そうね。
少なくとも、命じられたのは、この森から先へ通すなってことでしょう?
ということは、この森を抜けて神宮へ向かうなということだけなんじゃないかしら?」
「ならば、この森を出て県道を行く分には、命令には背かんな」
「お任せ下さい。安全運転で参ります」
「まずは、この地の龍たちに会いに行こうではないか。
ワシも懐かしい友がおるでなぁ……何百年ぶりかのぉ……」
「話はまとまったようじゃの。
では、妾も『くるま』とやらに乗せてもらうかのぅ」
「姫さま、こちら魔界のハイクオリティ車、ファントム号でございます。
人数が増えても、中は亜空間と繋がり、快適な広さを保ちます」
「ほぅ、そうじゃったのか!
では、最初から乗せてもろうたらよかった」
執事が恭しく一礼して、姫が頭をぶつけないように、そっと乗り口に手を添えて、後部座席のドアを開けた。
それに続いて、全員が車に乗り込むのを確認して、ドアを閉めると、執事は烏天狗たちに訊ねた。
「それでは、まずはどちらへ向かいましょうか?」
――その時
たつろーさんが「ん?」と、その長い首をもたげた。
「悪魔よ、御池へ向かうのじゃ!」
「たつろーさん、どしたの?」
「きゃつが、目を覚ましおった」
「きゃつ? キャベツのことっすか?」
「ちがうわいっ!! お前が先ほど会うてみたいと言うておったじゃろ」
そのとき、御池の方角から、低い水音が響いた。
風もないのに、水面がゆっくりと波打ち始める。
ひとつ。
ふたつ。
そして、九つ。
重なり合う波紋の中心から、深い声が聞こえた。
『……騒がしいと思えば、懐かしい気配がおるではないか』
たつろーさんが、愉快そうに目を細める。
「ようやく起きたか。相変わらずの寝坊助じゃのぅ~。ふぉふぉふぉ」
『数百年ぶりに会うたというに、最初に申すことがそれか』
「なぁに、元気そうで何よりじゃ。
どれ、顔くらい見せんか。穂霧都比古よ」
『その名で呼ぶ者も、今ではそなたくらいのものよ』
御池の水面が、ふるりと震えた。
ため息を吐いたようにも見える。
しばらくすると、水面にぬぅっと九つの頭が、様々な高さに現れた。
「ふわぁぁ!! ほんとに九つの頭があるんすね!!
まるで、縦にちょん切ったプラナリア……」
ジェミがソラリスの頭に、手刀を打つ。
『コホン……そなたらの話は、聞いておった』
「……いててて……寝てたんじゃないんすか?」
『龍の眠りを、人の眠りと同じにするでない』
ソラリスが、口を尖らせる。
れなは一歩、水辺へ近づいた。
「穂霧都比古さま。初めまして。れなと申します。
おやすみの所、騒がしくしてしまい申し訳ございません……」
『よいよい。そなたの話は聞いておる。
阿蘇の地龍を救い、呼び名をつけてやったそうだな』
「むっ!? 穂霧の、もしやおぬしも……名が欲しいのか!?」
『なんじゃ、ワシには呼び名をつけてくれぬのか!? せっかくの結縁ぞ?』
「……悪いことは言わないっす。やめといた方が……」
またしても、ジェミの手刀がソラリスに直撃する。
「私でよろしければ、穂霧都比古さまの呼び名をつけて差し上げてもよろしいでしょうか?
ただ、ひとつだけ教えて頂きたいことがございます」
『……ふむ、よかろう。ワシがわかることなら答えてやろう』
「ありがとうございます。
佐久夜さまたちは、どうして私たちを拒まれるのですか?」
しばらく、返事はなかった。
やがて、池の底から静かな声が響く。
『……拒んでおるのではない』
「では、なぜ……?」
『恐れておるのだ。古き傷が、再び開くことをな……』
れなが息を呑む。
『山は忘れぬ。水は、なお忘れぬ。
あの日に流された涙も、呑み込まれた言葉も、すべてこの地の中を巡っておるからだ』
「では、その記憶を辿れば……」
『うむ、見えてくるものもあろう』
水面の波紋が、ゆっくりと北西へと流れていく。
『まずは、始まりの地へ行け。天孫が初めて、この地に足を下ろした場所へ』
「狭野……で、ございますか……」
霧火が呟いた。
『うむ。そこで、地に残る声、水に映る声を聞くがよい』
「地に残る声と……水に映る声……ですね……」
『教えてやった褒美に、呼び名をつけておくれ』
「あ~う~、え~っとぉ~……」
れなは額に手を当て、穂霧都比古の九つの頭を、左から右へ順番に見上げていった。
どの頭も同じようでいて、よく見れば角の形も、眉の濃さやヒゲの長さ、目元の険しさなどが、ほんの少しずつ違っている。
そして困ったように、ジェミを見つめた。
ジェミは、ふっと笑ったが、何も言おうとしなかった。
ソラリスだけが、何かを期待するように目を輝かせていた。




