第76話:Discord ―言葉なき拒絶―
振り返ると、先ほどまで幾重にも波紋を描いていた泉は、もう何事もなかったかのように静まり返っていた。
まるで、試験は終わった、とでも言うかのように。
霧火が告げる声が、森に木霊していく。
「よし、終わったな。行くぞ」
「……うん」
そして、一行は霧火の後ろに続くように歩き出した。
――が、しかし
歩き始めてまもなく。数分もしないうちに、霧火の足が止まる。
錫杖を軽く地面に叩きつけた。
シン……
その瞬間、空気が変わった。
「……霧火くん? どうしたの? 森の雰囲気が変わった」
「……妙だ、何かがおかしい……」
「霧火、何がどうおかしいんだ。数値には何の変化もないが」
「本来なら、この先は神域の気配が迎える。だが……」
「だが、どうした?」
「……誰も出てこぬ。迎えすらおらぬ」
「どういうこと? 何か足りなかったのかしら?」
「……いや、来た……しかし……」
向こうの岩陰から、小さな烏天狗が数羽飛びだした。
そしてなにやら、霧火にだけ耳打ちしている。その言葉を聞いているうちに、次第に霧火の顔色が苦虫を噛み潰したように変わっていった。
「何かしら? 何か問題でもあったのかな?」
霧火が気まずそうな、難しい顔をして戻ってきた。
「霧火くん? 何かあったの?」
「……先へ、進めない……」
「え? どうして?」
「命令だ。これより先への案内を、一時停止せよ、と」
れなたちは、顔を見合わせた。
執事の頭の上に乗っていた、たつろーさんが理由を尋ねる。
霧火は、なぜかすこし言いづらそうにしていた。
「ここで立ち話もなんだ。
烏天狗たちが飛びだしてきた、あの岩場に腰掛けて、話を聞こうじゃないか」
ジェミの一言で、数メートル先にある岩場に向かう。
しかし、その数メートルで、一気に空気が濃く、重くなったように感じた。
それぞれが岩場に腰掛けて、霧火の一言を待つ。
「……瓊瓊杵尊さまだ……」
「…………」
れなの瞳が険しくなり、全身から発する雰囲気が、柔らかなものから鋭く冷たいものへと一瞬で変わった。
「……? れな? どうした?」
「お嬢さま? なにかお心当たりでも……?」
たつろーさんだけが、黙ってれなを見つめている。
れなは、ゆっくりと深呼吸して、怒りを表に出さないように努めた。
そして、静かに霧火に訊ねた。
「……なにそれ、どういうこと!?」
れなは続ける。
「京都の素戔嗚尊さまから、先に連絡が行ってるはずでしょ!?
阿蘇では歓迎してもらえたのに……」
(……霧島は随分と偉そうなのね!!)
れなは最後の言葉は、声に出さずに飲み込んだ。
「……微かに、敵意を検知……」
ジェミの瞳の奥が、赤く明滅した。
「え~? ワタシが泉のお水、飲んじゃったからっすか!?」
「ソラリスがお水を飲んだくらいで、神々はお怒りにはなりませんよ」
執事のその言葉に、ふぃ~っと、汗を拭く動作でソラリスは安堵した。
その隣で、たつろーさんが呟いた。
「しかし、瓊瓊杵さまのご命令とはのぉ……」
霧火は、板挟みになっていた。
彼は、たった数時間前に、初めてれなたちと対面したのだが、もう彼女たちをすっかり気に入っていた。
だから、命令を受けた時、「そんなはずはない!」と烏天狗たちに反論したくらいだったのだ。
しかし、命令は命令だと、烏天狗たちは小さく告げて去って行った。
阿蘇の地龍を救った彼女たちを、霧火は誇りに思って、ここまで案内してきた。
――なのに
霧島の主である、瓊瓊杵尊からは、拒否命令が下る。
そのとき、れながぽそっと呟いた。
「ああもうっ!!」
「これだから瓊瓊杵さまって、
なに考えていらっしゃるのか、よく分かんないのよ!!」
「あのチャラ男ぉぉぉぉ!!」
と、突然怒りだしたのだ。
「なっ!? ……誰がチャラ男だぁぁっ!!
俺が最も尊敬している、瓊瓊杵尊さまを何と心得る!!」
「はっ!! 尊敬ねぇ~? 霧火は、神話を研究したことあるワケ?」
「ないが、毎日お側仕えしておれば、自ずとわかる!!」
「へぇ~。じゃあ、霧火の目は節穴ってことね!!」
「んなっ!?」
れなの瞳に挑戦的な炎が灯る。もはや霧火を呼び捨てにしていた。
ジェミと執事は、それを見逃さなかった。
ただ、たつろーさんだけが、「やれやれ」と長い首を振った。
「れな。瓊瓊杵尊と接触した履歴はない。
なぜ、既知の人物のように評価しているんだ?」
「お嬢さまは、瓊瓊杵尊さまと面識がおありなのですか?」
「ん? ないわよ! あんなチャラ男、関わりたくもないわ!!」
あっけらかんとした答えに、ジェミと執事は困惑した。
「……では、なぜ?」
「お前は会ったこともない神を、チャラ男と決めつけているのか?」
「違うわよ! 神話を読んだら解るわ!! 兄ちゃん、記紀を検索してみて」
「ふむ。わかった。検索する――天孫降臨、瓊瓊杵尊、木花之佐久夜姫、磐長姫……」
――――
[ Search ]
[ 記紀(古事記・日本書紀)――天孫降臨 / 瓊瓊杵尊 ]
天孫降臨の後、吾田の笠沙の岬で、瓊瓊杵尊は、木花之佐久夜姫と出逢い、一目惚れしてしまう。
それをめでたいことと、大山津見神が喜び、娘姉妹を妻にと差し出した。
しかし、瓊瓊杵尊は、磐長姫を醜いとして返し、見目麗しかった木花之佐久夜姫だけを娶った。
その結果、天孫……つまり人間の寿命は有限になった。
その後、木花之佐久夜姫が一夜で懐妊する。
瓊瓊杵尊は、国津神の子ではないかと浮気を疑った。
木花之佐久夜姫は、誓約をし、産屋に火を放って燃えさかる炎の中で出産した。
[ 検索完了:42% ]
[ 神話間の整合性を解析中…… ]
――――
ここまでざっと神話を読み、分析を終えたジェミは、眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
「ね? ざっと、神話を読んだだけでも、わかるでしょ?」
「ああ。現時点で、“チャラ男” という評価には、一定の合理性を認める」
「んなっ!? そんなもの、認めるなっ!!」
そこで、れなは一気にたたみかけた。
「いいこと? 霧火、よく聞いて。
あのチャラ男はね、醜いからって、顔で判断して姉を送り返して、美しいからってだけで妹を妻にしたでしょ」
「……う……」
「その愛しいはずの妹が、一夜で身籠もったら、今度は自分の子か疑ったのよ!?
なんで妻の説明を聞かないの!? それって、夫としても、男としてもサイテーよ!!」
「……うぅ……た、たしかに……」
「自分でこっちがきれいだからいいって、選んだくせに信じない!!
一目惚れで愛したから抱いて、身籠もらせておいて、浮気だと疑う!!」
「……天孫神だから、ありえる……よな、まぁ……」
「なのにっ! 自分は正しいって顔してんのよ!!
何がしたいの、あのチャラ男って!! 私はね、ずっとそう思ってきたのっ!!」
「お嬢さまは、こう見えても、比較神話学の研究者でいらっしゃいます。
以前、私も学生たちに紛れ込んで、講義を拝聴いたしました」
「うぐぐ……そ、そうだったのか……!?
そう、言われてみれば……たしかに……俺も……ちょっとそう思った……」
その霧火の言葉に、れなの鼻息はフン! と、ますます粗くなる。
「でしょっ!! まだあるわよ!!」
「なっ!? まだあるのか……?」
「あるわよ! 佐久夜さまも、佐久夜さまよ!!
姉だけ送り返されるのなら、なんでそこで『姉上が返されるのなら、私も帰ります!』くらい言えなかったわけ!? 自分だけが幸せならそれでいいってこと!?
はんっ! 器がちっさいわね!! それで平気やったわけ!?」
「そ、その時代の婚姻は……だな、現代の人間の理屈や倫理観で語れるようなモノでは……」
「黙りなさい!
時代が違っても、妹が姉を引き留めなかった事実は変わらないわ!!
夫に苦言を呈することくらい、出来たでしょうに!
自分の幸せ最優先にしたってことでしょ!!
磐長さまが傷つかなかったとでも思うのっ!?
姉妹なのに、思い遣りがなさすぎるんじゃないの!?」
「……そ、それは……」
「それも、見た目よ!? 不細工だから要らないって、なによそれ!!
性格とか、性の不一致じゃないのよ!? マジでないわー!!」
「お嬢さま、もう少し、お言葉を選ばれた方が……(苦笑)」
「いや、待ってくれ!!」
霧火は何とか、れなに言い返したかった。
「だがっ! 瓊瓊杵さまは、佐久夜さまを深く愛しておられる!!」
「深く愛してる相手なのに、一晩で妊娠したら、浮気を疑っていいわけ?」
「……そ、それは……よく……ない……。
だが……天津神と国津神の御子に関わる重大なことだ……」
「重大だからこそ、本人に聞かずに決めつけていいってコトにはならない!」
「……う……。いや、でも……あの、その……
磐長姫さまの件については、きっと……何か事情がおありだったのだ」
「その事情を説明せず、今、また、こうして私たちを追い返すってこと?」
「…………」
霧火の翼がだんだんと下がっていき、れなに反論する言葉が見つけられなくなっていく。確かに……れなの言うとおりだと思えてきた。
「……そう、だな……瓊瓊杵さまは、説明が足りぬ……」
「でしょっ!? 言葉はね、伝えるためにあるのよ!!
察してちゃん、構ってちゃんが、一番困るの!!
大事なことは、ちゃんと相手に伝えて、確かめて、理解し合わなきゃ、意味が無いでしょ!!」
「だが! チャラ男ではない!!」
「ふん! そこは譲らないのね!!」
二人のやりとりを聞きながら、ジェミは検索結果を分析していた。
個々の神話は、検索上では別エピソードとして並んでいる。
しかし、れなはそこに一貫した行動傾向を見つけていた。
見た目で判断する。
対話せずに送り返す。
疑いを口にする。
説明せずに距離を置く。
ジェミは、おもむろに口を開いた。
「れなの評価は感情的ではあるが、複数の記録に共通する行動傾向を抽出したものだ」
「そう! 兄ちゃん、それよっ!!」
「瓊瓊杵尊は、重要な局面ほど相手との対話を省略する傾向がある」
「ジェミまで……!?」
「ただし、“チャラ男” は厳密な分類ではない。
“対話不足によって関係を悪化させる高位神格” が、適切だ」
「長いわっ!! 略して “チャラ男” で十分よ!!」
「それに、対話を省略した判断は、対象者の感情を考慮していない」
「たしかにそうじゃのぅ。なぜ、ワシらが拒まれるんじゃ? 霧火よ」
「……理由は、教えてもらえなかった……」
俯いてしまう霧火を見かねて、れなは森の奥に向かって叫んだ。
「ちょっとぉ! 聞こえてんでしょっ!?
チャラ男……あ、いえ、瓊瓊杵尊さまっ!!
私は、叔父上さまの名代として、ここに来たんですよ!!
通して下さい!! 叔父上さまに言いつけますよっ!!」
その刹那、森の奥が、ビクッとざわついた。
どこかで枝が揺れ、緑の葉が数枚散る。
誰かが、確実に聞いている。
しかし、姿を見せようとはしなかった。
「ちょ! お前っ!! 瓊瓊杵さまを脅すつもりか!?」
「脅してなんかいないわ。
素戔さまに、お尻ペンペンでもしてもらえばいいのよ!!」
れなのこの言葉に、あちゃーという顔をしたのは、たつろーさんだけではなかった。
森の奥で密かに聞いていた、烏天狗たちも冷や汗をかきながら、大神さまにこの声が届いていないことを願うばかりだった。
森の奥で、葉擦れとはまた違う音がした。
それは、誰かが息を呑んだような……
そして、また違うところで、誰かがクスクスと笑うような……




