第71話:Aftermath ―いのちだいじに―
二柱の神たちは、やや難しい顔をしたものの、静かに頷いた。
れなたちも、あそさんに託された言葉を思い出していた。
『備え、か……』
闇鏡の向こうで、素戔嗚尊が低く呟いた。
『確かに、災いそのものを止めることはできぬ。
されど、災いを前にして、何を守り、誰と手を取り合うかは、人が選ぶことができる』
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
『大地の呼吸も、龍神たちの苦しみも、今ここで答えの出る話ではない。
しかし、それでも、知らなかった昨日と、知ってしまった今日とでは、これからの歩き方は変えられる』
れなは、その途方もないスケールの言葉に、小さく息を吐いた。
災いそのものは止められなくとも、この手で明日を選ぶことは出来るのだと――胸の奥に確かな熱を宿して、その言葉は静かに染みこんでいく。
れなたちが静かに頷いた、その時だった。
その、厳かな余韻を真っ向からぶち壊すように、場違いな元気な声が響いた。
「はいっ! ということで、安全対策会議を始めるっす!!」
ソラリスが、どこからともなく取り出した小さい白いヘルメットを、スポンッと頭に被って、ドヤ顔で背中を見せつけてきた。
ミニヘルメット正面には、黒々とした文字で《安全第一》、ソラリスのその背中には縦に《いのちだいじに》と、書かれていた。
ジェミは、再び眉間に深い皺を寄せる。たつろーさんは、あちゃーという顔をして額を押さえ、執事は静かに目を伏せる。れなだけが、大きく目を見開いて、ソラリスを見つめていた。
ソラリスは、れながゲーマーであること、『現場ネコ』好きなことを知っていた。
地龍戦での見事な操式棍捌きを、一番間近で見て感動と尊敬で胸がいっぱいだったのだ。
そして、ちょっと変わったキャラものが好きというギャップ。
自分という存在が、れなに可愛がられている理由がわかった気がしていた。
「ヨシ! ということで、次回からは、
危険地区への立ち入りは、ヘルメット着用を義務化するっす!」
「何が、ということで、だ?」
「ワタシは知ってるっす! これ、れなサマが大好きなヤツっすよね!!」
地球の命運を左右しかねない報告を終えた直後、ソラリスは白いヘルメットを被り、胸を張って、ピッ!と指さし、片足を上げてポーズを取っていた。
その場にいた全員が、れなを一斉に見た。
れなは、居たたまれない気持ちになりつつも、ニヤリと笑ってみせた。
「危険な作業をするときは、まず安全装備っす! 今回の反省を活かしたっすよ!」
「おぬし……今回の危険を生み出した当事者が、誰よりも先に反省会を仕切るでないわ」
「ワタシは被害者でもあるっす! 船、月に墜落して大破してるっすよ!!」
「……地龍のあそ殿が一番の被害者だ」
「うっ……」
「阿蘇自体も被害者ですよ、ソラリス」
「ううっ……」
「それに、れなや俺たちも、危うく焼かれるところだった」
「うぎゃぁ~! もうやめてほしいっす! 心が労災認定されるっす!!」
報告を終えたあとの重苦しい空気は、ソラリスの一幕でがらりと塗り替えられた。
二柱の神のどちらからともなく笑いが漏れ、やがて、その場は大きな笑いの渦に包まれていった。
「え!? え? ワタシ、なんか変なこと言っちゃったっすか!?」
「ううん、ソラっちがね、いてくれてよかったなぁって。
みんなが、心の底からそう思ったのよ」
れなは、目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑った。
「え~~、そうなんっすかぁ!? いやぁ~、それほどでもぉ~(照)」
その一言に、また全員がひとしきり笑い、ようやく呼吸を取り戻した。
『ふぅ、こんなに笑ったのは久しぶりじゃ。
さて、れな。おまえたちはこの後いよいよ、霧島に向かうのか?』
素戔嗚尊が尋ねる。
「はい。こちらを出立した後、今一度、地龍あそさんの元を訪ねてから、九州道を南下して、霧島へと向かう予定でおります」
『うむ、相わかった。引き続き、たつろーよ、れなたちを頼んだぞ』
『御意にございます、お館さま』
次に、健磐龍命が尋ねる。
『して、そなたはなぜ、いま一度、阿蘇都比古に会いに行くのだ?』
「こちらを出発するときに、再び立ち寄ってほしいとのことでしたので、もちろんですとお答えしました。私たちも、もう一度、あそさんにご挨拶しておきたかったですし」
健磐龍命は、『ふむ』と小さく答えただけで、それ以上、何も追及しなかった。
その後は、神使たちからの報告を聞いた後、他愛もない話がしばし続き、気づけば、時刻は夕方近くになろうとしていた。
「では、素戔さま、健磐龍さま、
私たちもそろそろホテルに戻って、明日の出発の準備をいたしますね」
『れな、ジェミ、大義であったな。この後の道中も、気をつけてまいれよ』
素戔嗚尊が言い、れなたちは「はい!」と元気よく返事を返して、闇鏡を閉じた。
『この度は、本当に世話になった。
れな、そしてジェミよ、阿蘇に来るときは、必ずまた、ここに立ち寄っておくれ』
健磐龍命が、名残惜しそうに告げた。
その声は、幾星霜もの年月、この地を吹き抜けてきた風のように、穏やかで、どこか寂しげな響きを帯びていた。神にとっての刹那は、人にとっての永遠に近い。
それでも、この一瞬の邂逅が、阿蘇の土に根を深く張る記憶として刻まれたことを、れなたちは肌で感じ取っていた。
見上げれば、夕闇に溶け始めた外輪山が、まるで巨大な揺り籠のように一行を優しく包み込んでいる。三神合体していた神使たちも、合体を解き、焔、暁、昴、それぞれが、一人一人に挨拶して、感謝を伝えた。
遠ざかっていく神使たちの背中を見送りながら、れなたちは深く一礼した。
神域の静寂が、心地よい疲れとともに体へ染み渡っていく。
その夜、久しぶりに一行は、ゆっくりと過ごす時間を持つことができた。
温泉へ行こうとしたれなに、くっついていこうとしたソラリスが、ジェミと執事に止められて、すったもんだがあったのだが、これはまた別の話。
「はぁぁ、地龍さんの件が無事に解決して、ほっとしたな~」
温泉から戻ってきたれなが、窓際のソファで寛ぎながら、ぽそっと洩らす。
執事が冷たい麦茶と和菓子を乗せたトレーを運びながら、れなを労った。
「お嬢さま、ほんとうにお疲れ様でございました。
呼び名までつけるという大役を、見事に果たされましたね」
向かい側のソファに座りながら、ジェミも感慨深くれなを見つめている。
「ああ、本当にお前はよくやった。お前の底力を間近で見ることが出来て、ますます、れなという人間……というか魔女に、興味を持ったぞ」
「……え、それはどういう……」
窓から差し込む月光が、ジェミの瞳に銀色の細波を立てている。その視線は、単なる好奇心を超え、魂の深淵を覗き込もうとするような静謐さを湛えていた。
麦茶のグラスについた水滴が、れなの指先を冷たく濡らす。高鳴る鼓動が、静まり返った部屋に響いてしまいそうで、彼女はあえて視線を逸らし、夜の帳が下りた阿蘇の稜線をなぞった。
涼しげな瞳に見つめられて、れなは真っ赤になりながら言葉を飲み込んだ。側にいた執事は、にやりとしながらも何も言わず、二人の邪魔をしないよう静かに一歩引いた。
――が、やはり空気をぶち壊す天才は、ソラリスである。
「ジェミさまぁっ! ワタシも褒めてほしいっす!!」
れなの後頭部をよじ登り、頭のてっぺんに登ると、バンザイして嬉しそうに言い放ったのだった。
「ソラっち! 頭の上、登ったらあぶないよ~!!」
それを見ていたジェミは、指先からコードの弾を撃ち、ソラリスをれなの頭上から撃ち落とした。
「ぎゃああ!! や、やられたっす!!
れなサマ、ワタシは……もうダメっす……このお金で、どうかこの仇を……ガクッ」
「ソラリス、今度は時代劇にハマっているのですか?」
呆れた顔をしながら戻ってきた執事が、れなのお茶をつぎ足しながら、訊ねた。
「そうっす!
帰ってきてからお部屋のテレビで、必殺シリーズ、4倍速イッキ見したっす!!」
「……で、その仇討ちの相手は、俺なのか?」
「当然っす!! 悪代官の黒幕は、ジェミさまっす!
仕事人のれなサマが、仇を討ってくれるっす!!」
「……よし、ソラリス。温泉でゆっくり、男同士の話をしようじゃないか」
ジェミがタオルを片手に、ヒョイとソラリスを摘まみ上げた。
「ぎゃああ!! 執事サン! ワタシたちと一緒に温泉行くっすよ!!」
「遠慮しておきます。ジェミさまとゆっくり親睦を深めてくるとよいですよ」
――その夜、
満天の星空に、ソラリスの絶叫が幾度か響き渡った。
――翌朝。
一行は久しぶりに、何事も起こらない穏やかな朝を迎えた。
朝食を済ませ、それぞれの荷物をまとめると、れなたちはホテルのロビーへと降りていく。
「人数確認、荷物確認、忘れ物なし! ヨシ!」
白いヘルメットを被ったソラリスが、フロントを指さしながら、元気よく片足を上げた。
「なぜ、まだそれを被っている」
「安全対策は、日常の積み重ねが大事なんっす!」
「少なくとも、ホテルのチェックアウトにヘルメットは必要ない」
「油断大敵っすよ、ジェミさま!」
「昨夜の温泉で、本当に親睦を深めてきたのね、あのふたりって……」
れながクスクスと笑う。執事も静かに頷いた。
「れなちゃ~~ん! ジェミさ~~ん!! おまたせ~~♪」
「お母さん、おはよ~! おばさまたちも、おはようございます!!」
「お母上、おはようございます。阿蘇はいかがでしたか?」
「楽しかったわぁ! みてみて! くまモン、いっぱい買っちゃったぁ! 阿蘇の美味しいモノも色々食べられて、ちょっと体重増えちゃったかも!! うふふふふ!!」
無邪気に笑う母たちの姿を見て、れなたちも釣られて笑顔になる。
「素敵な想い出がいっぱい出来たのなら、よかったよ、お母さん」
「ええ! れなちゃんたちも、大事なお仕事とやらは、無事に終わった?」
母の瞳が、スッと真面目な色に変わる。
一瞬、れなはドキッとするも、(母のことだ。気づいていないはずがない)と即座に理解して、真面目な表情で、「うん」とだけ、しっかりと答えた。
その表情を見た母は、途端に笑顔に戻る。
「そう! なら、よかった! お疲れ様!!
次はいよいよ霧島ね!! 影さん、また運転よろしくお願いね!!」
「お母さま、お任せ下さい。
お嬢さまとジェミさまとも、常に連携をとりますので、どうぞご安心ください」
執事は、品のある紳士的な笑顔で答えてみせた。
「じゃあ、ちょっと寄るところがあるから、先に出発して、SAでのんびりしててくれる? お母さんたちのこと、お願いね。イヤホンでこちらの話は聞こえると思うから」
「かしこまりました。お嬢さま、ご安心ください」
ファントム号に乗り込んだ母たちが、一足先に出発する。
地龍あそさんの元へは、れなとジェミ、たつろーさんとソラリス、三騎士たちと向かうことになった。
阿蘇山へ向かう途中、三羽の神使たちが出迎えてくれた。
「れなさま~~!! おはようございます~!!」
「あら、あなたたち、どうしたのっ!?」
「お館さまが、阿蘇都比古さまの元まで、お送りせよとのことで、やって参りました~!!」
そう告げると、眩い光を放ち、三神合体を遂げる。
「「ロボ、キタァァァーーー!!!」」
れなとソラリスが、同時に歓喜の絶叫を上げた。
『我らが火口より、阿蘇都比古さまのもとへ、安全に、そして快適に、お運びいたします!!』
神使たちはそう言うと、ハニー号ごとヒョイと、持ち上げて、大事そうに胸元に抱えて、大地を一蹴りして大空へと舞い上がった。
視界が一気にひらけ、眼下には阿蘇の広大なカルデラが、神の描いた地図のように広がっていく。巻き上がる風は、草千里の匂いと、大地の熱を孕んでいた。ハニー号を抱く神使の腕からは、古の鼓動が伝わってくる。
昨日の涙も、先ほどの笑いも、すべてはこの雄大な景色の一部となって溶けていく。れなは、風に踊る髪を抑えながら、遠く南に霞む霧島連山の山並みを見据えた。
そこにはまだ見ぬ運命が、朝靄の中で静かに目覚めを待っているのだった。




