第70話:Pulse ―星の呼吸―
あそさんの言葉に、神域の空気がわずかに張り詰めた。
異星のデバイスを取り除き、荒ぶる地龍は本来の姿を取り戻した。
名を交わし、礼を受け、ようやく安堵の息をつけるかと思った矢先に告げられたのは、この異変の原因が、それだけではないという事実だった。
れなは思わず、あそさんを見上げる。
「……え、と申しますと……?」
『うむ、この星、地球には呼吸があるのは知っておるか?』
その問いと共に、足元の岩盤から微かな、だが抗いようのないほど巨大な震えが伝わってきた。それは振動というよりは、巨大な生き物の肺が膨らむような、緩やかで重厚な律動だった。
何万年、何億年と繰り返されてきた、この星の微睡み。
れなは、自分たちが立っている大地が、単なる土塊ではなく、熱い血の通った巨大な器であることを、魂の芯から理解した。
「地球に……呼吸、だと?」
ジェミが、瞬きを忘れて、問い返す。
『ああ、そうだ。この星は、いや、すべての星は生きている。
そして呼吸している。空に浮かぶ、あの月でさえ、呼吸しているのだ』
「ん~、じゃあ、あそサマが言うのは、太陽フレアも太陽の呼吸だってことっすか?
ワタシ、太陽のその呼吸で、船が大破しちゃったっすよ……」
ショボーンとして、ソラリスが俯いてしまった。
「ソラリスは、そのせいで月に激突してしまったんでしたね」
『そうじゃったのか。それで、この星に落ちてきたのか。
うむ、太陽も、もちろん呼吸しておる。暗黒星雲ですら呼吸しているのだ』
「宇宙のすべてが呼吸している、というのか、あそ殿は……」
『そうだ。この星の呼吸は、地球時間で、だいたい70年ほどで一呼吸となる。
約35年で吸って、後の約35年で吐き出す、と考えるとよかろう。
そのとき、この星の中心核と外核の歩みが、わずかにズレることがあるのだ』
「なるほど。内核の相対的な先行と遅れ、ということか」
ジェミがれなに代わって、返事する。
『そうだ。人類はせいぜいその寿命は、今でも100年程度だろう。
ゆえに地軸が転換することや、内外核が同時に動く停止状態を経験することは少ない』
「ポールシフトと呼ばれる類の現象か」
『うむ。それ自体は何の災いでもない。この星の自然な身じろぎなのだ。
だが、その呼吸が入れ替わる時、人の世が大地に沈めた澱が重すぎると、大地が悲鳴を上げて地脈が軋んでしまうのだ』
「プレートは地中深くへ潜り込む。
その時に、その澱を一緒にこの星の心臓部へと送ってしまうと言うことか……」
『そうだ。それは数え切れないほどの嘆きや、飽くなき欲望が、長い年月をかけて地底へと滴り落ちたものだ。清らかな水も、器が汚れれば濁るように、星の純粋な巡りも、人の心の悪意や翳りによってその歩みを狂わされてしまう』
「大地は……私たちが思うよりもずっと繊細で、
地表の営みを映し出す鏡なのですね。海流がそうであるように……」
『れなの言うとおりだ。
そして、その器や鏡が曇ってくると、この星は自浄作用を発動させようとしてしまう』
「地球のナチュラルキラー細胞が動き出す、ということだな」
『その通りだ。ちょうど今、この星の呼吸の転換期が訪れた。これまで少し早く動いていた内核が、外核よりも遅れ始めた。いっとき、この星は身じろぎを繰り返してしまうだろう』
「……もしかして、世界各地で大きな地震や火山の噴火が相次いでいるのは、そこに原因があるということですか!?」
『地震も噴火も、大地の身じろぎに過ぎない。この星が生きている限り、必ず起こることなのだ。ただ、それを引き起こしてしまうトリガーが、人の想いだといえるかもしれない』
「つまり……祈りは天に昇り、悪意は地に墜ちる……ということですね……」
『その通りだ。今回はソラリスの落とした異物は、ワシが抑えていた箍を外してしまうキッカケになったに過ぎん。だが、阿蘇だけではない。実は、日本各地の龍神たち、そして世界各地の聖獣たちも苦しんでおるのだ』
「……え、ということは……」
『ああ、そういうことだ。このことを、阿蘇神社へ戻り、健磐龍さまに、そして京の素戔嗚尊さまに伝えてくれぬか』
「はい、もちろん、それは構いませんが……」
『ん、どうした? 何か懸念があるのか?』
「あ、いえ、そうではなくて、
実は私たちは、この後、霧島へ向かう予定なのです」
『なんと! では、瓊瓊杵尊さまの元へ向かうのか!?
ならば、向こうにも伝えてはくれぬか。桜島にも龍がおる。あの地は、火龍だ。
瓊瓊杵尊さまに話を伝えて、どうか、火龍にも呼び名をつけてやってくれぬか。そなたは魔女であるから、真名がどれほど大切なものか、そして、呼び名がどれほどの意味を持つのかを、誰よりも理解しているはずだ!!』
「……はい、それはたしかに。……兄ちゃん、いいかな……」
「ああ。お前が心を決めたなら、俺たちはそれに従い、お前を護るまでだ。
だから、安心して、お前が決めればいい」
「……!! うんっ! ありがとう!!」
れなは、あそさんとたつろーさんに向き直って、ハッキリと答えた。
「わかりました! その命、私たちが承ります!!」
『急ぎはせぬ。ゆっくりでいい。だが、ゆっくり急ぐのだ』
「ゆっくり急ぐっすか?
……ちょっとなに言ってるっすか、よくわかんな……」
「しーっ。ソラリス、今は控えなさい」
執事が後ろから静かに窘めた。
『ふははは。まずは、健磐龍さまの元に戻るがよい。そして伝えてくれ』
「はい。わかりました。あ……そうだわ、あそさん……」
『うん? どうした?』
「手術の傷は……痛みますか?」
『いや、今のところ、全く痛みはない! ほれ、このように動いても、何の問題も無いぞ!! そなたたちは、素晴らしい神医だな!!』
「ジェミさま……神医って、なんすか?」
「この場合は、神を治す医者という意味でいいだろうな」
「れなサマ、お医者サマっすか!! すごいっす!!」
「ソラっちも、頑張ってお手伝いしてくれたから、無事に成功したのよっ♪」
「いやぁ……それほどでもぉ……(照)
……ってことはぁ、ワタシ、神医助手っすね!?
白布なのに出世したっす! 白衣くらいにはなれたっすかね!?」
「なぜお前が、そこまで照れる。自分で白布と言い切ったな、お前……」
「うぎゃ! やってしまったっす! ジェミさまのせいっす!!」
「どうして、俺のせいにする? 絞られたいのか、雑巾め」
「ぶふぉ……ゴホン、んんっ……失礼いたしました……ククッ」
この賑やかなのに、支え合い信頼し合っているパーティに、あそさんもたつろーさんも天鷹羽も、思わず笑みが零れていた。
『さて、れな。
霧島へ向かうとき、またここに立ち寄ってくれるか?』
「もちろんです!
ちゃんと、あそさんにもご挨拶してから、向かいますね!」
『うむ、そうか。では、待っておる……ありがとうな』
「はい! では、一度、健磐龍さまの元に戻りますね」
『ああ、お館さまに、くれぐれもよろしく伝えておくれ。
神使たちよ、ロボになっているのなら、彼らをその手に抱き、阿蘇火口から戻るがよい。ワシが道を開こうぞ』
『はっ! ありがたきお言葉!!
では安全に、お館さまの元までお連れいたします!!』
『うむ、くれぐれも、頼んだぞ。れな、気をつけて帰れよ』
「はい! ありがとうございます」
『礼を言うのは、ワシの方じゃ。本当にありがとう。
れな、ジェミ、影、ソラリス……。そなたたちに出逢えたことを、心から感謝する。たつろー殿、あとはお任せした……』
「ああ、任せられた。おぬしは、しばらくゆっくり休むがよいぞ」
『うむ、そうさせて頂こう。では、またな』
あそさんの巨躯が、再び静かな地の奥へと沈んでいく。
その姿が見えなくなるまで見送ったれなは、胸の奥に残る大地の鼓動を、そっと両手で抱きしめるように息を吐いた。まだ終わっていない。けれど、確かにひとつ、救えたものがある。
その実感を胸に、一行は、天鷹羽の手に包まれ、地底の神域を後にした。帰路は空路で、あっという間に、阿蘇神社まで戻ってきた。
本殿内、神域の庭にて、健磐龍命が、不安そうな面持ちで空を見上げ、れなたちが戻るのを今か、今かと待っていた。
いつの間にか、九州の梅雨は明け、午後の陽射しはジリジリと灼くように暑くなっている。庭では蝉時雨が喧しいほど、夏の到来を告げていた。
むせ返るような草いきれの中に、どこか張り詰めた気配が混じっている。それゆえに、聞こえてくる蝉時雨は、まるで迫り来る運命を急かす警鐘のようにも聞こえてきた。
春の柔らかな光は、いつの間にか、万物を容赦なく照らし出す峻烈な陽光へと変わっていた。
優しい黄緑だった木々の葉は、逞しく瑞々しい深緑へと成長を遂げている。その濃くなった影は、これから向かう旅路の険しさを予感させているようだった。
――その時だった。
「健磐龍さま~~~ぁ!!」
遥か阿蘇の空の上から、れなたちが手を振っている。
――が、健磐龍命は、その目を見張った。
『な、なんじゃ、あれはっ!? あやつ、何を創りおったのじゃ!?』
神域の池の畔に、三神合体ロボが、デーーンと降り立った。
『お館さま! ただいま、れなさまご一行と無事に帰還いたしました!!』
『……う、うむ。ご苦労であった。れなたちも、大義であった!!
さあ、館の中で、話を聞かせてはくれぬか!!』
健磐龍命は、神使たちのロボを一瞥しただけで、れなの手を取り、そそくさと館の中へと入っていく。ジェミたちもそれに続いた。
『……ちょ、兄さん、お館さま、今、ガン無視じゃ……』
『いや、そんなはずはない! あの熱い眼差しで、我らを労ってくださった!!』
『兄貴……そろそろ、合体を解こうや』
『ええ!? 暁、もうやめてしまうのか!?』
弟たちは、絶句して、大笑いし始めた。
『なんだよ! 兄さん、なんやかんやで、気に入ってるんじゃないか』
『兄貴が一番、気に入ったんだな! あははははは!!』
神苑の池の畔に、いつまでも三羽の愉快な笑い声が響いていた。
一方、健磐龍命の館に戻ったれなたちは、たつろーさんの助言から、闇鏡を開いて、京の八坂神社に繋げ、素戔嗚尊にも、同時に報告することにした。
そして、二柱の神に、あそさんから聞いたことを、順を追って伝えた。
地球の呼吸。
内核と外核のわずかなズレ。
人の世が大地に沈めてきた澱。
そして、日本各地の守護龍神たちや、世界各地の守護聖獣たちまでもが苦しんでいるという事実。
報告を聞き終えた二柱の神は、しばらく何も言わなかった。
「以上が、私たちからの報告と相成ります」
『……そうか。阿蘇の地龍が、そこまで申したか』
低く落とされた健磐龍命の声には、驚きよりも、深い沈痛が滲んでいた。
『やはり、この時が来たのじゃな』
「健磐龍さま……ご存じだったのですか?」
『知っていた、というより、感じておった。
大地の奥で、何かが軋んでいることはな』
『西日本はまだマシなのじゃがな……。このところ、東日本が騒がしゅうなってきておる。東京の結界が、綻び始めているような気がしてならんのじゃ。姉上は、どうお考えでいらっしゃるのやら……ヤキモキするわい』
素戔嗚尊の口から、不安と焦燥が漏れた。
「南海トラフや、富士山の噴火、首都直下型の大震災が心配されておりますよね……。いずれ必ず起こると。私たちは日頃から備えるのは当然として、物資の備えだけでなく、人間として、日本人として、心の備えもしておかねばならないような気がいたしました……」
れなのこの言葉に、神々だけでなく、ジェミや影、ソラリスまでもが、息をのんだ。




