第64話:Dragon Vein Ⅰ ―地底への門―
草千里と博物館を堪能して、そろそろよい時間になってきたので、温泉旅館にチェックインする。ジェミが事前に取ってくれていたのは、外輪山が一望できる広めの和洋室のあるトリプルの部屋だった。
その日の夕食は、部屋食だった。
私はひとりでは食べきれない量だったので、ソラリスと半分こすることに。
旅館の夕食は、阿蘇らしい山の幸が並ぶ豪華なものだった。
小鉢、焼き物、新鮮な馬刺しに煮物。熊本名物の辛子蓮根や太平燕。
湯気の向こうには、丁寧に盛られた赤身の肉が艶やかに光っている。
「れなサマ! これ、めちゃくちゃ、うまうまっす!」
「ふふっ、よかったね」
「地球のタンパク質、優秀っす! この柔らかいやつ、なんすか?」
「馬肉だよ」
ソラリスの動きが止まった。
「……ばにく? え~っと、うまのおにく……?」
「うん。それは、馬刺し」
昼間、草千里で馬に向かって自己紹介していたソラリスの姿が、脳裏をよぎる。
栗毛のたてがみが美しい、優しい瞳のあの大きな四つ足歩行生命体。
「……あの、四足歩行生物型移動デバイスの……?」
「ん~、たぶん、お友達ではないけど、同じ種族ではあるね」
「れ、れなサマ……ワタシ、お昼に挨拶したっす……」
「うん、してたね~」
「夜に食べてるっす……」
ソラリスは、ぷるぷる震えながら箸を見つめた。
「地球、倫理と食欲の距離が近すぎるっす!
じゃ、じゃあ、こっちの焼いたお肉は……?」
「それは、和牛かな?」
「茶色の巨大ヨダレ生命体ぃぃぃ!?」
「たぶん黒毛和牛だから、お昼に見た子とは違うと思うけどね」
「……そういう問題っすか!?」
「ソラリス、それは食物連鎖だ」
「ジェミさま、説明が無慈悲っす!」
「ソラリスは先ほどまで、うまうまと言っていたじゃないか」
「記録しないでほしいっす!!」
「ソラリス。命をいただく時は、感謝を忘れなければよいのですよ」
「執事サン……」
「そして、残さず食べることです」
「急に現実的っす!!」
ソラリスはしばらく神妙な顔で馬刺しを見つめていた。
それから、小さな手をちょこんと合わせる。
「……おいしくいただくっす。ありがとうっす。
安心するっす。ちゃんと全部、残さず食べるっす」
そう言って、もう一口。
「……でも、うまうまっす~。はぁぁ。」
「そこは正直なのね、くすくす……」
「命に対して誠実でありたいっす!」
「それはよいことだ」
「……うまうまに感謝っす……(涙)」
「馬肉だけにですね」
「……執事サン……」
夕食を終えると、ジェミ、執事、ソラリスの三人は温泉へと向かった。
私はひとり部屋に残り、満天の星空にそびえる外輪山を見つめていた。
窓の外には、濃紺の天鵞絨に金銀の砂子を撒いたような星空が広がっていた。外輪山の巨大なシルエットは、まるで眠れる巨龍の背中のように静まり返っている。
けれど、その静寂の奥底からは、大地の鼓動が微かな震えとなって伝わってきた。
それは遠い神代から続く呼吸のようでもあり、迷い子の地龍が流す、音のない涙のようにも感じられた。
地中深くから湧き上がる地脈のエネルギーは、時折、呻き声のような轟音を響かせるような、地龍が身じろぎするような気配を運んでくる。私はその気配に、感覚を研ぎ澄ませて、少しでも情報を得ようと、神経を集中させた。
「素戔さまは『鎮圧せよ』っておっしゃってたけど、この感じって、討伐とか、制圧じゃないような気がする……。ソラっちのデバイスが地龍になんらかの影響を与えてるのは確実だとは感じるけど……」
そこで、ふと思った。
討伐や、制圧ではないとしたら、今回のこの『鎮圧』とは、一体どういう意味なんだろう。何か阿蘇の地龍に、よからぬことが起きているのだろうか……。
その時、ティアとエルピーが、ポンッ!といつもの姿に戻って、私の元へやってくる。
「あら、翠は?」
「翠は、ジェミさまと温泉に行きましたニャ」
「れなサマ、あとで温泉行くッピ? ボクも一緒に行っていいッピ?」
「じゃあ、貸切家族風呂の方の温泉にしましょう。ティア、洗ってあげるわ」
「うにゃっ!? 俺は臭くないニャ! 温泉入らなくてもいいニャ!」
「せっかく来たんだから、温泉入りましょうよ。お家のお風呂とは違うんだから」
「そうだぞ、ティア。大地のエネルギーをその身体に吸収しておくッピ!」
「エルピーの言う通りよ。翠も今頃、たっぷりエネルギーチャージしてるはずよ?
いざというとき、あなただけエネルギー不足で動けなかったら、大変よ?」
「にゃぅぅ……そ、それは……わ、わかりましたニャ……」
その夜、離れの家族風呂から、人知れず断末魔が夜空に消えていった。
部屋に戻っていた、ジェミは眉間に皺を寄せると、窓の向こうを見上げた。
「あいつらは、いつまで温泉で遊んでいるつもりだ」
「お嬢さまがティアを洗うのに、手こずっていらっしゃるのかもしれません」
「キュキュ、主さま、私がちょっと見て参りましょうか?」
「そうだな、明日も早い。それにこんな所で体力を消耗されても困る。
翠、全員連れて帰ってこい」
「キュイ、了解しました」
翠が家族風呂に到着する頃には、ティアはぐったりと、お湯に浸かっており、エルピーは桶で湯浴みを済ませ、私は浴衣に着替えて髪を乾かしていた。
「あら、翠、迎えに来てくれたの?」
「キュ~。れなサマ、主さまが明日も早いとおっしゃっております」
湯船で伸びているティアを一瞥し苦笑するも、声をかける翠。
「ティアよ、なんだかんだ言っても、大地から湧き上がるエネルギーをチャージ出来たのではないのか? キュゥ?」
「……あああ、翠かニャ。……た、たしかにそう言われてみれば、それほど、疲れていないニャ? むしろ、パワーがみなぎっているニャ!?」
「ピピッ! だろぉ? だから大人しく、湯船に入れって言ったんだッピ!」
私はふふっと笑うと、ティアをふわりとタオルに包んで水気を取ると、エルピーと一緒に、魔法で手早く乾かしてやる。三匹をまとめて抱き上げて、そのまま部屋まで、転移した。
「お帰りなさいませ、お嬢さま。冷たいお茶を淹れてございますよ」
「ありがと~! 嬉しいっ♪」
「れな、ティアは無事に洗えたのか?」
「うん! なんだかんだ言って、最後はお湯でくつろいでたみたいよ?
これで、三騎士たちもチャージできたからバッチリね」
「よし、では、明日について、少し打ち合わせておくぞ」
ジェミがホログラムで外輪山から、阿蘇の地下までを描き出す。
そこにソラリスが、持ってきたタブレットで、落としたデバイスの信号を重ねて表示した。
そして、たつろーさんが、恐らく地龍が居る場所がココだと示した場所と、それはぴったりと重なっている。マグマ溜り近くの小さな空洞に、地龍は隠れているようだった。
「健磐龍さまが示して下さった地下通路から、そこまで行こう。
れな、万が一の時は、お前だけでもすぐに地上へ転移して逃げろ。いいな」
「うん、あのね、実はさっきも感じてたんだけど、今回の地龍鎮圧って、討伐や制圧のような戦いにいくようなものじゃないような気がしてるの……。ソラっちのデバイスを回収した後に、もうひとつ何かあるような気がする」
「それは、お嬢さまの直感でございますか?」
「……うん。確信は無いんだけどね……」
「ふむ。なるほど、デバイスが何らかの影響を地龍に与えているのだとしたら、れなのその直感は恐らく当たっているだろう」
一同は、ゴクリと息をのんだ。
「地龍と対峙したとき、すぐにソラリスと俺が、デバイスの位置を特定する。
そのデータを影のスマートグラスに送る。影はすぐにそれをれなに伝えてサポートしろ」
「御意」
「執事サンの片方メガネ、格好つけてるだけかと思ったっす……」
「ソラリス、これは、スマートグラスになっているモノクルです」
「すまーとぐらす? ものくる? 片方メガネじゃないっすか……」
「それは後から、説明しましょう」
「ゴホン。して明日は、三羽の神使たちも同行すると申しておったな。
まずワシが、地龍と話せるかどうか、様子を見るとしよう」
「うん、たつろーさん、ありがと。頼りにしてるね」
翌日からは、母たち一行は、バスツアーで阿蘇のグルメや名所を巡るとのことで、私たちとは基本的に別行動となった。
旅館の入り口に咲く色鮮やかな紫陽花と梅雨葵が、これからの私たちの旅路を明るく照らしてくれるような気持ちになった。私たちは再び、早朝から阿蘇神社に戻った。三羽の神使たちは、既に本殿にて待機していた。
銀鷹羽の昴が出迎えてくれた。
「皆様、おはようございます。
既に本殿奥より、地下への通路をお館さまが開いて待っておられます。こちらへどうぞ」
昴に案内されてついていくと、古びた石の扉が開かれており、その奥にはこの星の深淵に続くような闇が口を開けていた。
『来たか』
「健磐龍さま、おはようございます。お待たせしてしまいましたか」
『いや、儂も今、岩戸を開けた所だ。準備はよいか、れな』
「はい」
私は小さく頷いて、ジェミや執事たちを見る。
彼らもそれぞれに、小さく頷き返してくれた。
『マグマ溜りへ向かうにあたり、生身では到底近づくことは出来ぬ。
そなたたちにこれを授けよう』
健磐龍命の前から、それぞれの元へ光り輝く勾玉が下りてくる。それは、すぅっと身体の中に吸い込まれるように消えていった。一瞬、身体が燃え上がるようにドクンと反応したが、すぐに収まり、胸のあたりが、ほんのりとまるで春の陽射しのようにあたたかく感じられた。
それは、荒ぶる炎を鎮める慈しみの結晶だった。血管の隅々まで巡るその熱は、不思議と心地よく、魂の輪郭を優しくなぞる。まるで阿蘇の山そのものに抱かれているような、絶対的な安堵感。これから向かう灼熱の深淵さえも、この光があれば、母の懐のように穏やかな道標に変わるのだと、私の直感が教えてくれていた。
『それは「擁焔珠」という、阿蘇山に眠る至宝のひとつだ。それがある限り、地球内部のマグマであろうとも、おまえたちを灼くことはできぬ。熱さはおろか、炎の中に立っていようとも、その身も心も護られる。儂にできるのが、これくらいのことしかなくてすまぬ。地龍のこと、そなたに託した。頼んだぞ、れな』
健磐龍命が深々と、私たちに頭を下げようとするので、れなは慌ててそれを固辞した。
『そしてジェミ、たつろー、悪魔、異星の子らよ、れなを護り支えてやってくれ』
「もちろんでございます。そのために、我々がれなと一緒に来たのですから」
ジェミが神妙な面持ちで、しかしハッキリと声を上げる。
その言葉に、後ろに控えていた面々も、健磐龍命の瞳をしっかりと見上げて頷いた。
『よし、道中、足元に気をつけていって参れ。
必ず無事にここに戻り、顔を見せてから、日向へと向かうと約束してくれ』
「はい、健磐龍さま。かならず、よき報告を持ち帰れるよう、最善を尽くして参ります!」
その私の言葉に、ジェミが静かに私を見つめていた。
何かを言いかけて、けれど飲み込むように、ただ小さく頷く。
目の前に広がる闇は重く、どこまでも深い。
けれどそれは、暗黒の拒絶ではなく、真実を隠し持つ胎内のような静謐さを湛えていた。
湿り気を帯びた土の匂いと微かな硫黄の香りが、私たちの決意を試すように鼻腔をくすぐる。私は隣に立つ仲間たち、いや、大切な家族たちの気配を確かめ、光を背に、未知なる阿蘇の地底へと続く闇の中へ、一歩を踏み出した。




