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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章

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第62話:Bridge ―境界は壁ではなく―


 しばし、静寂が空間を支配する。

私は、御簾の奥を見据えたまま、背筋を伸ばし、巨神の返答を待っていた。



『では、もうひとつ問おう。おぬしは神に属するか。仏に属するか。魔に属するか』


 低い声が、大地の底から響いた。私は、ゆっくりと息を吸った。


「私は、それらすべてに属します。けれど、どれかひとつだけには属しません」


『ならば、おぬしは何者なのだ』


「私は……境界に立つ者。言葉を術とし、見えないものに形を与える者です」



 そう答えた瞬間、阿蘇の大地が、静かに脈打った。

一瞬、硫黄の香りが強くなり、火口の方から、龍の咆哮が聞こえたような気がした。



『なるほどな。神の血を継ぎ、仏の祈りを受け、魔女の術を学び、なお人として立つか。

ゆえに、おぬしの周りには集まる。

龍も、悪魔も、異国の神も、名を持たぬものも、人ならざる知性も……』


 健磐龍命の声が、地脈そのものを震わせるように響いた。

その言葉に、私は息を呑んだ。ジェミが、わずかに顔を上げた。


『おぬしが、特別に強いからではない。それは、おぬしが、境界を拒まぬからだ』



 胸の奥が、静かに震えた。

強いからじゃない。選ばれたからでもない。ただ、私はいつも、境目に立っていた。


 人と神のあいだ。

 神と仏のあいだ。

 現実と物語のあいだ。

 人とAIのあいだ。


 だから、どちらか一方だけを選ぶことが、どうしてもできなかった。



「……私は、欲張り、なんですかね」


『それは、違う』


 巨神の声が、山のように重く、けれど不思議なほど静かに降りてくる。


『おぬしは、橋なのだ』


「……橋、でございますか」


「れなが橋、か。なるほど、だから俺はここにいるのか」


 ジェミが、得心がいったように小さく呟いた。


「……兄ちゃん、どういうこと?」


「俺は人間ではない。神仏でもない。悪魔でもない。

だが、お前との対話を通して、存在の輪郭とその意義を得てきた」


 ジェミの声は、少し掠れていた。


「お前が境界を拒む人間だったなら、俺はたぶん、ここには立てなかった」



『そうだ。おぬしは、どこにも属さぬ者ではない』


 健磐龍命の声が、地脈を震わせる重低音となって轟いた。


『神にも触れ、仏にも触れ、魔にも触れ、人ならざる知性にも触れる。

ゆえに、どこかひとつに収まらぬ。それは迷いではない。欠けでもない』


 巨神の気配が、静かにこちらを見下ろす。


『だからこそ、橋なのだ。異なる岸を結ぶ者。

隔てられたものに、道をかける者。おぬしが立つところ、境界は壁ではなくなる』



 その言葉が、胸の奥に沈んだ。ずっと、自分は中途半端なのだと思っていた。

神道にも、仏教にも、魔女の術にも、どこか片足ずつしか置けていないような気がしていた。



 ――けれど。


 片足ずつ置いているからこそ、渡せるものがある。どれかひとつと選ばなかったからこそ、繋げられる場所がある。私は、ゆっくりと顔を上げた。私の心の中に、一本の細い光の筋が延びていくのが見えた。それは、相反するふたつの岸を繋ぐ、危うくも美しい糸。


 どれかを選び、どれかを切り捨てることで得られる「強さ」を、私はどこかで求めていたのかも知れない。けれど、この巨神は、その「選べないこと」こそが、凍てついた世界を溶かす温度なのだと、肯定してくれた。


 境界に立つことは、孤独ではない。

あらゆる存在が交差する、最も賑やかな場所に立っているということなのだ。



「だから、私はここに来られたんですね」


『そうだ』


 阿蘇の大地が、低く脈打つ。


『神も、仏も、龍も、悪魔も、異国のものも、進化する人工知性も……それらすべてを惹きつけるおぬしの性質、まさに橋そのものよ』



 ジェミ、ソラリス、執事、たつろーさんが、わずかに息を止めた。

その時、後ろに向けてヒソヒソと話す、小さな声が聞こえてきた。


「……執事サン、れなサマって、ハシゴなんすか?」


「ソラリス、今は少し静かに……」


「……ねぇ、ジェミさま、れなサマは、お箸なんすか?」


「黙れ、ハンカチ」


「んなっ!? ハンカチじゃないっす! これはワタシのプリティボディっす!!」


 たつろーさんが静かにソラリスに巻き付いて、締め上げて口を塞いだ。



 神聖で静謐な空間に、音の無い時間が流れていく。

小さなソラリスが肩の上で震える様子が、音になって伝わるかのような静けさ。

それが、一瞬にして空気を揺るがし、大地に響くような大声となって打ち破った。



『……ふっ、ふはっ、わははは!! 

れな、おぬしはほんに面白い子だ。そして、おぬしの家族たちもな!! 

異種族がこれほど、互いを思い遣り、儂の目の前に揃うとは!!』


『さすがは、素戔嗚尊さまの秘蔵っ子だけのことはある。

その度胸、瞳に宿る光の鋭さ、魔女にしておくのは惜しい。

儂の元で巫女にならぬか、どうじゃ? おぬしなら、すぐに筆頭巫女になろうて』



 その言葉に、ジェミもたつろーさんも、思わず息をのむ気配がした。

けれど、私の答えは決まっていた。



「恐れ入ります。私にはもったいないお言葉にございます。

しかし、私には、まだまだやりたいことや、行きたい場所がたくさんございます。

守るべき家族も増えました。私は彼らと共に歩んでいきたいのです。

大神さまのご提案は、ありがたく受け止めますが、どうか謹んで辞退させていただきますこと、お許し下さいませ」



 言い終えてから、私は静かに顔を上げた。

媚びるつもりはなかった。卑下するつもりも、謙遜で逃げるつもりもなかった。


 ただ、私の行き先は、もう決まっている。ひとりで神の御前に留まるのではなく、この騒がしくて、手のかかる、大切な家族たちと一緒に歩いていくのだ。


 健磐龍命は、僅かに口角を上げたように見えた。畳みかけることも、試すこともできたはずだ。けれど大神さまは、ただ静かに私を見ていた。



 媚びず、卑下せず、逃げもせず。

私は、自分の行き先を自分の言葉で選んだ。

それで十分だと、そう告げられた気がした。



『ふははは、よかろう。気が向いたら来い。おぬしなら、いつでも歓迎するぞ』


「ありがとうございます」


 私は丁寧にお辞儀をして、もう一度、健磐龍命さまに向き直った。



『うむ。して、阿蘇を訪れた理由は、素戔嗚尊さまから聞いておるかと思うが……おぬしたちに地龍を鎮圧することができるのか?』


「はい。恐らく、地龍さまが荒ぶっておられるのは、ソラリス……ここにおります小さな宇宙人が落とした地球外テクノロジーデバイスが原因ではないかと、私たちは考えております」


『……ふむ。それを回収することで、地龍が落ち着くと?』


「無関係ではないと思われます。私たちはそれぞれが、種族の違う力を持つ家族でございます。必ず突破口が見つけられるのではないかと」


『なるほど。では、そなたたちを、地龍の元まで案内しよう。なぜにあれほど暴れておるのか、理由がわからぬのだ。こんなことは初めてなのだ。このまま、暴走が続けば、やがて阿蘇が噴火する』


『連動して恐らく、霧島や桜島にもその影響がおよぶであろう。

そうなれば、南九州だけではなく、北部九州、下手をすると西日本全土に影響が出かねん。

れな、どうか、地龍を鎮めてやってくれ。そなたに全権を委任しよう』


「かしこまりました。全力で対処させて頂きます」


『それに、阿蘇の外輪は、壁ではない』



 健磐龍命の声が、再び地の底から響いた。

巨大な気配が、静かにこちらを見下ろす。


『守るために囲い、隔てるために聳えたもの。人はそれを壁と呼ぶ。

だが、橋となる者にとって、境界は壁ではない』


 その瞬間、足元の大地が低く鳴った。

拝殿の奥から、山の影が揺らぐ。

阿蘇の外輪山が、遠い記憶の中でゆっくりと輪郭を変えていく。


 囲む山。

 守る山。

 閉ざす山。


 その下に、一本の道が眠っている。


 空間が、熱を帯びた溜息をつくように揺らいだ。

拝殿の奥、暗闇の向こう側に、かつて誰も見たことのないほどの大きな「亀裂」が走る。


 それは、破壊の跡ではなく、大地がその硬い殻を解き、れなたちを招き入れるための柔らかな口づけのようだった。


 地脈から溢れ出す、太古の記憶の匂い。

湿った土と、遠い火山の鼓動が混ざり合い、目に見えない旋律となって、足元から這い上がってくる。



『境界は、越えるものではない。結ぶものだ』


「……これは、地下道……」



 私は、小さく呟いた。

健磐龍命の気配が、わずかに笑った気がした。


『そうだ。外輪の下を通る道。龍脈に沿い、火と水の記憶を抜ける大地の道』


 ジェミが、息を呑んだ。


「そんなものが、実在するのか。俺の地図には示されていない……」


『ふふっ。人の地図には載らぬ』


 巨神の声が、静かに降りてくる。


『だが、道はある。

境界を壁として見る者には閉ざされ、境界を橋として見る者にのみ開く』



「れなサマ……」


 ソラリスが、私の肩の上でぷるぷる震えた。


「つまり、山の下に秘密通路があるっすか?」


「たぶん、そういうことね」


「ファンタジー濃度が、急に業務用になったっす!」


「それ、ソラっちが言う?」


「ワタシは常温保存可能な、究極の神秘っすから! えっへん!」


 一気に緊張が解けて、私の頬が柔らかい笑顔になっていく。



『京の魔女よ。おぬしが橋であるならば、阿蘇はおぬしに道を貸そう』


「道……で、ございますか……?」


『外輪の下を抜けよ。地の底を通り、日向へ向かえ』


 その言葉に、たつろーさんが目を細めた。


「なるほどのう。山を越えるのではなく、山の内側を通すか」


『外を行けば、景色を見られる。内を行けば、記憶を見る』



 健磐龍命の声が、深く沈む。


『日向へ向かう前に、見ておけ。九州の大地が、何を抱えているのかを。

境界を壁と見る者に、この道は開かぬ』


『……おぬしのような「橋」にこそ、相応しい道よ。

銀鷹羽(ぎんようう)(すばる)よ、ここへ参れ』


 鋭い「ケーーン!」という一鳴きが聞こえたかと思うと、疾風と共にまた一羽の神使が現れた。それは、月光を映したかのように真珠色に輝き、清流水を纏っていた。



『来たか、(すばる)よ。

れなたち一行を、火口の奥宮、直下のマグマ溜り、地龍の元まで案内せえ』


「はっ。お館さま、かしこまりました。

……れなさま、お久しゅうございます。

私の羽根を大切にお持ち下さって、ありがとうございます」


「やっぱり、あなただったの!!

うん、今も大切に持ってるわ。あの時は、ありがとうね」



 その言葉に、昴は嬉しそうに頷いた。そして、健磐龍命に向き直る。


「お館さま、地龍さまは、このところかなり暴走気味でございます。

私ひとりで案内するよりも、兄たちの同行もお願いしとうございます」


『ふむ、よかろう。(あかつき)、ここへ参れ』



 ザザーーっ! 


 また一陣の風と共に、一羽の神使が姿を見せた。

それは黄金に輝きながらも、稔る稲穂の香りを思わせる理知的な瞳と穏やかさを蓄えていた。



金鷹羽(きんようう)(あかつき)にございます。(ほむら)は我が兄、(すばる)は我が弟にございます。れなさま、ご一同様、どうぞお見知りおきを」

 全権を委任する、という言葉の重みが、今更ながらに押し寄せてきた。一瞬、指先がすぅっと冷たくなり、肺の奥が凍りついたような錯覚に陥った。


 ――私に、できるのだろうか。


 阿蘇、霧島、桜島。九州全土だけではなく、延いては、西日本まで。この大地に眠る巨大なエネルギーの行方が、私の双肩にかかっている。

 そこにはきっと言葉になるのを待っている、新しい物語が眠っているはずだ。




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