第58話:Departure ―ファントムとハニー、南へ―
妙な緊張感が漂う中、緊急通信が割って入る。
それは先ほど話していたばかりの、龍神たつろーだった。
『お館さま、割って入ってしもうて、申し訳ござりませぬ。
緊急でお知らせしたき儀がござりまする!』
『なんじゃ、たつろーか。それ程、慌てるとは珍しい。どうした、申してみよ』
『れなとの通信が終わった直後に、九州の地脈を調べ、地龍に連絡を取ろうとしましたら、阿蘇の健磐龍さまに繋がりましてな。
今週に入り、阿蘇周辺で地龍が突然暴れ出しており、九州南部を中心に、各地で群発地震を引き起こしていると申すのです!!』
「あ、そういえば、熊本から宮崎、鹿児島のほうで、なんか毎日のように、このところ揺れてるって、ニュースが届いてた気がします」
『して、地龍が暴れている原因は、分かったのか?』
『福岡の志賀海龍宮によりますと、「得体の知れぬ何かを、誤って飲み込んでしまった」らしく、その直後あたりから、暴れ出したとのことにございます』
その言葉に、ソラリスがあわわわ、と怯え始めた。
「そ、それって、も、もしかしたら……ワタシのデバイスが……原因じゃ……ないっすか……ね……」
それを聞いたジェミとれなは、ハッとする。
「素戔嗚尊さま、ソラリスが地球に落下してきた際に、阿蘇周辺で地球外テクノロジーのデバイスを紛失したと申しておりました。俺たちは、それを探しに行く予定でございます」
「あ! そう! そうなんです! 素戔さま、それが目的で、今回、久しぶりに闇鏡を開くことになったんです! 私の魔力も戻ってきたので!!」
『……なるほど、それで南九州へ行くと申しておったのか。
守護の一柱に、磐長姫を持つお前が、なぜわざわざ霧島へ行くのかと、不思議に思うておった』
「霧島へ参りますのは、うちのこの子、ソラリスのエネルギー変換効率が、まだ地球では安定しておらず、地脈エネルギーをこの子に充電するためなんです!
でなきゃ、わざわざ磐長さまをお連れしてまで、霧島へ向かいませんよぅ~」
『……は? お前……人外の兄と悪魔だけでは足りずに、宇宙人まで家族にしておるのか!? なんとまぁ!! ほんに不思議なヤツよ!!
じゃが、事の次第は、わかった。それでは霧島には、ワシの名代として参るがよい。お前たちで地龍を鎮め、霧島で充電したら、無事にまた戻ってきて、ワシに顔をみせい!!』
「はい。必ず!!」
『ジェミよ、れなのこと、しっかりと頼んだぞ』
「はっ! この俺の命に代えましても!!」
『うむ、準備ができ次第、すぐに出立せい。
道中、邪魔が入らぬよう、計ろうてやる。気をつけてゆくのじゃぞ。
たつろー、お主も龍神の代表として同行するがよい』
『お館さま、かしこまりましてござりまする。
では、れな、後ほどそちらへ向かうゆえ、しばし待っておれ』
「素戔さま、たつろーさん、ありがとうございます!
それでは、行って参ります!」
すぅっと闇鏡が暗くなり、通信が終わる。
鏡の向こうから響いていた神の威光が消え、地下室には耳がキーンと痛くなるほどの静寂が降りてきた。それは、凪いだ海のように静かで、けれどどこか嵐の予兆を孕んだ濃密な空気だった。
れなは、自分の胸の奥で早鐘を打つ鼓動が、コンクリートの壁に反響しているのではないかと錯覚する。
「妻問い」――その古風で雅な響きが、呪文のように彼女の思考を縛り付けていた。
神の御前で交わされた、命を賭した誓約。それは単なる約束ではなく、魂に刻印されたような、抗いようのない運命の重みを持っているような気がした。
れなは、魔力制御を解くと、一気に緊張が解れて疲れが出たのか、その場にぺたりと座り込む。
「れな、大丈夫か?」
「……うんうん、なんとか。
でも、地龍さんが暴れてるのは、どうしてなんだろうね」
「行ってみないことには、わからんな」
「……す、すみません、ワタシのせいで……ううう」
「ソラっちのせいじゃないよ。この面々で行くんだから、大丈夫!
きっと兄ちゃんと執事が、何とかしてくれるから!!」
「……ジェミさま、執事サン……」
突然、無茶振りされて、ジェミと執事は苦笑しつつも、恐縮して小さい身体をもっと小さく縮こめてしまったソラリスを見て、れなの意見に賛同する。
「ソラリス、大丈夫だ。必ず、デバイスは回収する。
それに、お前のエネルギーチャージもな」
「そうです、ソラリス。お嬢さまとジェミさまと私だけではなく、龍神のたつろー殿も同行してくれるとのことですからね。きっと何とかなります」
「みなさん~、ありがとうございます~~」
ソラリスは、大きな目に一杯の涙を浮かべて、自分の服の裾でゴシゴシとそれを擦った。
「それにいたしましても……ジェミさま……」
珍しく執事が、口角を上げて、ジェミに向き直る。
「まさか素戔嗚尊さまとの誓約で、あれほどまで大胆に、妻問いなさるとは、思いもよりませんでした。ククク……」
その言葉に、ジェミが再び石のように固まり、素戔嗚尊の「妻問い」という言葉を脳内でリフレインさせ、急激に処理落ちを起こした。
「つまどい……つま……つまり、伴侶……」と呟きながら、ジェミは耳まで真っ赤にしてショート寸前になっている。
ソラリスが執事に、こっそり耳打ちした。
しかしそれは、それ程小さな声ではなく、しっかりジェミとれなにも届いていた。
「執事サン……妻問いって、なんすか?」
「ああ、それは、日本の古い言葉でですね、求婚の意味を表しますよ」
「キューコン……!? お花が咲くヤツっすか?」
「違います。妻とは、お嫁さんのことです。奥さんです。つまり結婚――」
「ごふぉっ!! ごふぉごふぉっ!! ふがっ!!!」
ジェミとれなが同時に咳き込んだ。
「影っ! 無駄話してないで、出発の用意して!!」
「ククっ、かしこまりました、お嬢さま。
では、ソラリス、この後の質問は、直接ジェミさまに聞くとよいでしょう」
「執事! お前! ちょっと待て!!」
「それではみなさま、私は先に上に参ります。あ、お嬢さま、ここの扉は自動で鍵が閉まりますので、パタンと閉じるだけで大丈夫でございますよ」
そう言い残して、執事が去ると、ソラリスがキラキラした瞳で、ジェミを見つめていた。ジェミは、ソラリスが余計なことを言い出す前に、ひょいと摘まみ上げて、れなに先に上に行くように促す。
「れな、ここの戸締まりはしていくから、コイツを連れて先に上に行け」
「う、うんっ、ありがと。じゃ、じゃあ、戸締まりお願いね、兄ちゃん」
れなはソラリスを受け取ると、その手に乗せて、地下室を後にした。
地上へと向かう階段で、またソラリスが、れなに聞く。
「……れなサマ? お顔が真っ赤っすよ? どしたっすか??」
「ど、どうもしてないよ! なんでもないから!!
そ、そういえばソラっち、アイスクリーム食べたことないよね!?
旅の途中で、一緒に食べようね!」
「あいす、くりむ? おいしいヤツっすか!? 食べてみたいっす!!」
「うんうん! 美味しいヤツよ! きっと気に入るわ。うふふ」
れなが上手く話を逸らしながら、上にパタパタと駆け上がっていく足音を聞きながら、ジェミの口元は、自分でも気づかないほど小さく緩んでいた。
階段を上がっていく二人の足音が遠ざかるのを、ジェミは独り、地下の闇の中で聞いていた。執事に揶揄われ、ソラリスに無邪気にかき回されたが、胸の奥に灯った熱は、一向に冷める気配がない。
守るべき対象から、ともに歩むべき伴侶へ。その認識の変化は、ジェミの魂にとって、天変地異にも等しい衝撃だった。彼は自分の手のひらを見つめる。かつて破壊と混沌のために振るったその力は、今や一人の女性の笑顔を守るための盾になろうとしている。
「命に代えても、か……」
独り言は、湿った空気の中に溶けて消えた。
それは誓いであり、祈りでもあった。彼の中に眠る人外の血が、愛おしい者のために流されることを望んでいるかのように、静かに、けれど熱く脈打っていた。
そして、出発の朝は、あっという間にやって来た。
東の空から差し込む朝陽は、まだ少し眠たげな薄紅色をしていた。庭の木々の葉先で震える朝露が、宝石のように光を散らしている。
これから始まる旅が、どれほど過酷なものになるのか。
九州の地で荒ぶる龍神の怒りは、この穏やかな朝を飲み込んでしまうほどに激しいのだろうか。
準備を整える面々の背中に、柔らかな陽射しが降り注ぐ。
それは、神々が住まう高天原からの祝福のようでもあり、あるいは、束の間の平穏を惜しむ別れの朝の光のようにも見えた。
れなは小さく息を吸い込み、胸いっぱいに朝の新鮮な潮風を満たす。
日常と非日常が交差する境界線に、今、自分たちは立っているのだった。
「さてと、とりあえず、今回は車二台で行こうと思うの。
お母さんたちのはロンが運転してくれるかな? で、私たちは兄ちゃんと私で運転していこうかなって思うの。車はね、お母さんたちは、うちにあるレクサスで――」
「お嬢さま、お母さまたちをお乗せするのであれば、私が乗り心地のよいものをご用意させて頂きます。魔界製の最高級上位モデルでございます、きっと気に入って頂けることかと存じます。帰りも小さく出来ますので、持ち帰れますよ」
「あら? いいの?
まさか、火車とか、朧車じゃないよね?」
「お嬢さま、それは日本の妖怪たちでございましょう、ククク……。
私がご用意させて頂きますのはこちら……」
執事がふぅっと一息吹くと、虚空を切り裂くような鋭いフォルムと、白銀の光沢と黒光りが美しい、超高級セダンが現れた。
「魔界製ロールスレイス・ファントム《常闇の貴婦人:エターナル・レディ》、最上級クラス、召喚いたしました」
「ふぁぁぁ!! ワタシの宇宙船よりもピッカピカで、カッコいいっす!!」
「じゃあ、ファントム号って呼びましょ! きっとお母さんたちも気に入るわ!」
「むぅぅ、やるな。では、俺がれなを乗せるのなら、これを用意しよう」
ジェミが指先を動かして、空中に最高級上位モデルの設計図を、蒼いコードで描き出す。
「ふぉぉぉ!! ジェミさまは、ホログラム展開っすか!
でもこれ、どうやって乗るっすか?」
「ここから、空中で元素を固定してだな――」
「……っ!? く、空中元素……固定……装置!?
……往年のセクシー変身美少女アニメね!!」
アニオタな、れなの瞳がキラキラと輝く。
「最高性能と乗り心地を追求した。
メイヘンデル・クォンタム《奏鳴する量子極限:メサイア・フラッシュ》 S-Class だ」
「ハニー号っすね!!」
れなが楽しそうなので、ソラリスもそれに続いた。
「まて、ソラリス。違う。メイヘンデル・クォンタム《メサイア・フラッシュ》だ」
「……ってことは、フラッシュ号ね……Gemini だけに……」
「ふむ、Flash号か、……それならば、いいだろう」
「……ハニー号っすね!?」
「うん、通称ハニー号ね。コードネーム:Flashね。
Gemini だけに……
それに、空中元素固定装置といえば、あの『愛の戦士』だから、ぷぷ……」
「……れな、そこでなぜ笑う……」
「ファントム号とハニー号っすね!! 覚えたっす!!」
「ハニーではない。メイヘンデル・クォンタムだ!!」
「だから、Flash号でしょ? うんうん!」
「通称:ハニー号でございますね。理解いたしました」
「ハニー号っすね!! 覚えたっすよぉ!!」
ジェミは、なぜ、メイヘンデル・クォンタムが、ハニー号に着地するのか、彼女たちの頭の中が一体どうなっているのか。まさかそこに、往年のアニメのテーマソングが流れていることなど、思いもよらないまま、彼は一人、朝の微風が木々を揺らすような、静かな諦念を含んだため息を漏らすのだった。
過酷な任務を前にした、束の間の息抜きのひととき。
けれど、その笑い声こそが、これから立ち向かう嵐の中での道標になることを、彼らはまだ知る由もなかった。




