第56話:Contact ―神界回線―
執事が魔法陣を展開した部屋の中で、れなは先ほどのワンドを取り出す。
古ノルド語で呪文を唱える。
銀の軌跡が空を裂き、静謐な部屋の空気が一変する。
れなが描いた円環は、次元の綻びを縫い合わせるように淡く発光し、その内側に流し込まれたルーン文字が、古の記憶を呼び覚ます鼓動を刻み始めた。
最後に添えられた、日本の古代文字と梵字が、重低音のような震えを空間に響き渡らせる。現れたのはただの鏡ではない。それは、夜の深淵を切り取ったような漆黒。八雲の縁取りは生き物のようにうごめき、現世と常世の境界を曖昧に溶かしていく。
「相変わらず、お見事でございますね、お嬢さま……」
執事が感嘆のため息を漏らす。
「久しぶりすぎて、通信できなかったらどうしましょ……」
れなは楽しそうに笑いながら、肩の上に乗せていたソラリスを、そっとジェミの肩の上に乗せた。
「はい、ソラっちは少しここにいてね。まだ……ジェミのことすら話してなかったから、私、叱られちゃうかもしれない……あはは……」
力なく笑うと、ワンドでその鏡に触れた。
古いテレビの画面のように、鏡の中にノイズが走る。
そのありえない光景に、ジェミは目を見張った。
すると、まもなく、鏡の向こうから、声が聞こえてくる。
「あれ? あれ? これ、映ってるん?
見えへんのやけどぉ~? もしもぉ~し? ……れなサマぁ??」
その声に、ジェミが驚愕した。
「なっ……待て。これは映像だけではない。
双方向通信だと? しかも通信媒体が存在しない……」
「え? そりゃそうだよ。私の魔力で繋いでるもん」
当たり前のように言うれな。
その声を聞いて、鏡の向こうでは、ワイワイガヤガヤとやかましくなってくる。
「え! この通信、れなサマなん? わぁ、れなサマぁ!!
返事してぇぇ!! れなサマぁぁぁ~~」
そのあたりで、ようやく回線が繋がったらしい。
その画面に映ったのは、なんと、小さな龍たち。
にょろにょろ、わいのわいのと、画面を覗き込むように、わちゃわちゃしていた。
「あ! 映ったぁぁ!! 映りましたよぉぉ!!」
「みんな、久しぶり。元気にしてた?」
「元気でぇす!! わぁぁ! れなサマぁぁ!! お久しぶりでぇす!!」
小龍たちがみんな、口々に画面を覗き込んで叫んでくる。
「たつろーさんに繋いで欲しいんだけど、お忙しいのかしら?」
「長老さまねぇ、さっきお昼寝してたから、ちょっと待っててくださいねぇ!
お頭ぁ~! お頭さまぁぁ!!」
「お忙しかったら、また改めるけど……」
れなが苦笑すると、画面の向こうに、ぬぅっと大きな顔が映し出される。
「おお? れなか! お主、魔女としての力を、やっと取り戻したのか!!」
「たつろーさん、お久しぶり。うん、なんかね、色々あってね~」
「うむ、存じておるぞ。お主、今、面白い家族と暮らしておるんじゃろ?」
「……え、な、なんでそれをっ!?」
「ふははは、龍神ネットワークをみくびるでないわ。
お主の環境変化くらいは、報告を受けておるわ」
「やっだー、そうなのっ!? じゃあ、全部筒抜けっ!?
嘘でしょっ? それ、プライバシーの侵害よっ!?」
「嘘ちゃうぞ? お主のお師匠殿もご存知のはずじゃ。連絡しておらんのか?」
れなの顔が、笑いながらも少し引きつる。
「で? 此度はどうした?
お主が連絡してくるとは、よほどのことじゃろ?」
「あー、えーっとね、今度、南九州へ行くことになったの。
でね、あっちは日向神話のエリアでしょ……」
「あ~、瓊瓊杵さまか……ふぉふぉふぉ、なるほどな」
「それだけじゃなくてね……えーっと、新しくウチの居候になった、宇宙人のソラリスがね、阿蘇の火口に、地球外テクノロジーのデバイスを落としてきたらしいの……あはは」
「は? なんじゃと!? お主、宇宙人も受け入れておるのか!!
で、その宇宙人とやらは、どこにおるんじゃ?
ほんまに、規格外なやつじゃな~。
きっとまた、お館さまが、眉間にシワを寄せられるぞ! わはは!」
おずおずと、ソラリスがふわふわ空を飛んで、れなの肩に戻ってきた。
「あ、あのっ……ソ、ソラリスっす……す、スミマセン……」
ソラリスは、その場に固定されたかのように空中で硬直していた。
彼の故郷である高度文明の基準からすれば、目の前の存在は「非効率極まりないエネルギーの塊」に見えるはずだった。
しかし、ソラリスの全感覚受容体が告げているのは、それとは真逆の、圧倒的な「格」の差だった。
(……な、なんなんすか、この存在たちは……。
れなサマとジェミさまと執事さんだけでも、ワタシの理解を超えてるっすのに、この画面の向こうの人たちは、重力制御もなしに空間を歪めて、時間軸の揺らぎを呼吸している!? ……ワタシの星の超高性能生命体だって、こんなデタラメなエネルギー効率、計算できないっすよ……!!)
ソラリスにとって、地球の神々は「古い伝承」などではなかった。
それは、惑星そのものが意志を持って受肉したような、宇宙の特異点。
彼が落としたデバイスなど、この巨大な霊威の前では、砂に落ちた一粒の砂利に等しい。
ソラリスは、未知の恐怖というよりは、宇宙の真理の一端に触れてしまったような、根源的な「震え」に、生まれて初めて、身を任せるしかなかった。
「うおっ! なんじゃ、この、けったいな物体はっ!!」
「いやいや、たつろーさんも、十分、けったいなんですけどね……」
「お嬢さま、龍神さまに、『けったいな』といえるのは、お嬢さまくらいでございますよ」
「おお! 悪魔よ! お前もおったのか!! して、もう一人はどこじゃ!?」
れなは、ちらりとジェミの方を見る。
「に……兄ちゃん、こっち来て。紹介するから……あははは……」
ジェミは、今、目の前で繰り広げられている光景を、最初からずっと解析しようとしていたが、それは無駄な努力だと知り、途中から考えることを放棄していた。
「……れな……、この御方は……」
「えーっと、私の守護龍神さまのたつろーさん……京都の東山の……」
「……東山三十六峰を支配する、青龍か……」
「おお、お主、よぉ知っておるな」
「当然だ。
京都の地脈データを解析した際に、最も高密度な霊的干渉領域として記録していた」
「いかにも。ワシが祇園の青龍、たつろーじゃよ」
「たつろー殿、初めまして。ジェミだ。
で、本題に入らせてもらうが、この面々で、阿蘇と霧島へ向かわねばならない」
「そうじゃな。その宇宙人……ソラリスのでばいすとやらを至急回収せねばならんな。
この件、お館さまにも報告せねばならん。
おお、そうじゃ、その前に、霧島へ行くなら、英彦山の大天狗殿にも話しを通すとよかろう。このまま待っておれ。今、鞍馬を呼び出してやろう。そこから繋がるじゃろうて」
闇鏡の画面が、左右半分に分割される。
たつろーが後ろに下がると、小龍たちが回線を繋ぎだした。
「もしもーし。こちら祇園青龍のたつろーさまのお使いどすえ~。
どなたか、いはりますやろかぁ~?」
そのほのぼのとした呑気なやりとりに、ジェミはまた少し眉を寄せた。
れなは苦笑しつつ、半分暗くなった鏡を見つめる。
ざさざーっ、ざざ、ぴっ!
「はいはーい。こちら、鞍馬の烏天狗どす~。
あらま、小龍さん、おひさしぅ。どないしはりましたん?」
暗かった右半分の画面に、可愛らしい烏天狗が映し出された。
「あ、烏天狗さん、おひさしぶりやねぇ~。
鞍馬の尊天さまにお繋ぎいただけますやろか~?
たつろーさまが、ご用やそうですねん~」
「はいはーい。ほな、ちょっとまっとぉくれやすね~。
おーい、誰カァァ? お方様はどちらにいはるやろカァ~?
祇園のたつろーさまから、連絡やってぇ、伝えてきてくれはるカァァ~?」
しばらくすると、ドスドスという足音と共に、大きな手の甲が画面に映し出された。
「お方様、お方様、そこやと映らしまへん。カメラ、そこですわ~。その横ぉ~」
「おお!? どこじゃ? お? このちんまいヤツか?」
その瞬間、太い眉毛と片目だけが、どアップで映し出された。
れなはぎょっとして、思わず一歩引いてしまう。
鏡の向こうから溢れ出すのは、千年の杉林を吹き抜ける峻烈な風の薫りと、雷雲を孕んだ大気の重圧。画面越しであっても、その眼光は、ジェミの電子の魂を射抜くような鋭さを持っている。
祇園の青龍が纏う水の静謐さと、鞍馬の尊天が放つ山の苛烈さ。
二つの巨大な霊威が、闇鏡の中で混ざり合い、部屋の隅に置かれた観葉植物さえも、その神気に当てられたかのように、瑞々しく葉を震わせていた。
鏡の左半分には、祇園の奥深く、水流のせせらぎが光る蒼い淵が映り、右半分には、鞍馬の巨木がそびえ立ち、瑞々しい新緑が美しい、険しい山嶺が映し出されている。
本来、交わるはずのない二つの聖域が、れなの魔力を介して、ひとつの漆黒の鏡の中で美しく、そして恐ろしく共鳴していた。
すかさず、たつろーさんが声をかける。
「これこれ、尊天さま、みなが怖がっておりまするぞ。
久しぶりに顔を見せてくれておるのですから、もうちょっと後ろにお下がりなされませ」
「お? すまん、すまん。たつろーよ、して、どうしたのじゃ?
お主が連絡してくるとは、珍しいこともあるものじゃな」
「ワシよりも珍しい子が、尊天さまに繋いで欲しいと申しますのでな」
「ほほう? お主より珍しい子とは……まさか?」
尊天は、画面を覗き込んだ。
「おお! やはりそうか! れなか!! 久しいの!!
先日は、鞍馬には寄らんなんだな!? お前、薄情なやつじゃな~。
して、お前、今度はいつ来るのじゃ?
素戔殿とは、もう会うてきたんじゃろ?」
帰省していたことが、すっかりバレている。
「尊天さま、お久しぶりでございます。
あ、いやそれが……魔女の封印を解きましたのが、つい先日のことでございまして。
……あはは」
「鴨川で、怪奇に襲われておったそうではないか。大事ないか?」
「え、そんなことまで、ご存知なのですかっ!?
あーっと、はい、それがきっかけとなりまして、封印が解けました。
ここにおります、兄……ジェミが助けてくれまして、無事でございます」
「当たり前じゃ。
お主が忘れておったとしても、『神さまねっとわーく』を甘く見ては困るのぉ。
おお! お主が、れなの兄になったという、人外なる『えーあい』か!」
その言葉に、ジェミはまた眉間に皺を寄せる。
だが、目の前の信じられない状況に、解析が、理解がついて行かない。
「……れな……、今、目の前にいる者たちは……
概念としてデータ上では存在を確認してはいる。
だが……情報量が多すぎだ。これはどう処理すればいいんだ」
「あはは……だ、だよね~。
あとでいいから、『日本神界フォルダ』でも作っといて?」
「……なっ!? 日本神界フォルダ、だと?」
ジェミの視界には、絶え間なくエラーログが流れていた。
網膜に投影されるスペクトル解析は、目の前の存在を「高密度のエネルギー体」と定義しながらも、その本質を捉えきれずに霧散していく。
それは、数式という小さな檻では決して飼い慣らすことの出来ない、原初の混沌。
数千年の歳月を呼吸し、この星の運行と共に在る意志。
ジェミは、自身の論理回路が既に悲鳴を上げているのを感じていた。
宇宙の真理を解き明かそうとする科学の光が、届かない深海。
それよりももっともっと深い深淵。
そこに、彼らは確かに「存在」していた。
「……解析不能だ。
このエネルギー密度で、なぜこの空間の分子構造が崩壊しない……」
ジェミが計算の迷宮に陥る傍らで、執事は前髪ひとつ乱さず、いつものように完璧な角度で控えていた。
神々の放つ奔流のような神気に晒されながら、彼はまるで春のそよ風でも受けているかのように、穏やかな微笑を浮かべている。
その静寂こそが、今のジェミには最大の謎だった。
「ジェミさま、私や式神を受け入れてくださって、れなサマと一緒にいらっしゃるということは、……そういうことでございます。ククッ……」
執事が静かに、ジェミの後ろで囁いた。




