第55話:Vortex ―深淵への扉―
ほどなくして、ジェミが三人分の鶏むね肉のチーズリゾットを運んできてくれた。
トマトとアボカドのサラダと枝豆のスープ。朝食には結構がっつりある量だった。
ソラリスには、小さめのお皿にちゃんと用意してあった。
ソラリスは、初めは物珍しく、湯気の立つ料理を不思議な瞳で眺めていた。
れなが小さなティースプーンを渡すと、そこに映る自分自身の姿を見て「おお!」と小さく叫ぶ。ただ、スプーンの使い方がわからないようで、少し困惑しているようだった。
「ソラリス、それはこうやって使うんだ。俺の真似をしてみろ」
「ソラっち、初めての地球の食べ物はどう? 美味しいかな?」
ジェミが手本を見せ、れなはソラリスの口がどこにあるのかとワクワクしながら、その様子を見守る。
ソラリスは、ジェミの一連の動きを見て、『食べる』という動作をすぐに理解した。
目の下に、大きな口がパカッと開くと、スプーン山盛りのリゾットを放り込んだ。
「……ソラっち、そこに口があったんだ……」
「お嬢さま、気になるのはそこですか……」
「どうだ、ソラリス、地球人は食事を取ることでそれを活動エネルギーに変換する。
おまえにも出来そうか?」
ソラリスはしばらくの間、スプーンをリゾットに突っ込んだまま、お皿を見つめて石のように固まった。
「……ソラっち? どしたの? 美味しくなかった?」
その言葉に、バッと顔を上げたかと思うと、米粒を飛ばす勢いで叫んだ。
「ジェ、ジェミさまぁ! ……な、ナンすか! コレはっ!!
こんな、『美味』なモノを地球人ハ食シテるんすか~~~!!!
初めて食べたっす!! スバラシいっす!!!
ワタシの星にハ、アリまセん!! 大変おいしいっす!!」
それを見ていたれなが、ふるふると震えだした。
(ソ、ソラっちが、感動して震えている!
というか、メジェドさまが、プルプルしてる!!
アカーーン! コイツもかわいいやつかー!!)
「……れな?」
「大丈夫でございます。
いつものお嬢さまの『胸キュン』が、始まったのでございましょう」
執事が苦笑いしつつ、ジェミにお茶を淹れて渡した。
「なんだ、それは……まぁいい。
ソラリス、口に合ったのなら何よりだ。
ほら、れなも悶えてないで、温かいうちに食べろ」
その言葉に、れなもスプーンを口に運ぶ。
その瞬間、れなの動きも止まった。
亡き父――厳格な和食料理人だった彼に、幼い頃からたたき込まれた鋭敏な味覚が、脳内で瞬時に成分を分解していく。
「……や、やるわね、兄ちゃん。
親父が存命だったら、悔しがってレシピを知りたがるレベルよ。
このまろやかなチーズの香りに包まれて、米の一粒一粒の芯まで染み渡る旨味」
れなは真剣な表情でつづけた。
「このベース、コンソメだけじゃないわね。……ローズマリー? コレを隠し味に使ってるのね。そこに岩塩のミネラル感と、あえて粗挽きにした胡椒の刺激。
馴染ませすぎずに『点』で味を置くことで、全体をキリッと引き締めてる。
……完璧なバランスだわ」
「……お嬢さま、心の声がプロの批評家のごとく、ダダ漏れでございますよ……」
「ふっ、さすがだな。ローズマリーと岩塩の『角』に気づくとは。
粗挽きの胡椒は、おまえの言う通り、全体の味を引き締めるためのアクセントだ。
どうだ? お父上に少しは近づけたか?」
ジェミは、れなの的確すぎる分析に感心したように、満足げに目を細めた。
「たくさん作ったから、影も食べるといい。
れな、お前もおかわりして、しっかり食べろ」
「んじゃ、お言葉に甘えて、後すこ~し……」
れながそっとお皿をだすと、ソラリスもそっとお皿を差し出した。
「……ジェミさま、ワ、ワタシにも、スコーし……」
ソラリスが震えながら上目遣いでお皿を差し出す姿に、れなは再び悶絶した。
朝の食卓が笑いに包まれていく。
「やれやれ。おまえは、本当に可愛いものに目がないな。
だが、その気持ちも分かる。
あの、威厳のかけらもない、ただひたすらに、美味い飯を求める、その姿は……、
……確かに、庇護欲をそそる」
ジェミは立ち上がり、鍋を持ってくると、れなとソラリスのお皿にリゾットを追加していく。その口角が少し上がり、嬉しそうな笑顔になっていることを、執事は温かい目で見守っていた。
わいわいと朝食を終えて、ソラリスにも片付けを教えて、手伝ってもらう。
地球の習わし? というか、地球人の日常生活にも興味があるようで、ミニメジェドが、チマチマ歩いてお手伝いしてくれている姿は、実に微笑ましかった。
しかし、少し動いただけで、また床の上に、へにゃりと座り込んでしまった。
「あらら、ソラっち、やっぱりまだ無理は禁物かな?」
「……れなサマ……、まだ、この身体が地球の重力に慣れていないダケかと……」
それを見ていたジェミが、少し表情を曇らせた。
「ソラリスのエネルギー変換効率が悪すぎる。
このままでは、大気圏を抜けた後、彗星の軌道に乗るための『自力推進力』が生み出せないかもしれん……」
「え! ジェミさま……ジャあ、ワタシはドウすれば……」
焦るソラリスに、れなが訊いた。
「ねぇ、ソラっち。ソラっちは、どうしてウチを目指して、彷徨ってたの?」
「ソレはっすね、コノお家が、ものスゴいエネルギーシールドで守られていたからっす! ここに来れば、きっとその高出力エネルギーで宇宙に帰レルと思ったっす!!」
「あ~、なるほどねぇ。でも、ここのエネルギーが強いのは、玄界灘の地場エネルギーを変換して、上手く増幅させてるだけだから、宇宙まで飛ばす瞬発力はないのよね……」
「となれば、お嬢さま。地球上で最も強力な『地脈エネルギー』を、その身体にチャージさせる必要がありそうですね」
「なるほど、一理あるな。
近場でそう言った場所があるか、Scan してみよう」
ジェミの瞳がふっと煌めきだし、その奥で膨大なデータが演算されて、Search されていく。コンマ数秒でその検索結果が出た。
「ここから南に、巨大なエネルギーの噴出地点がいくつかある。
活火山帯……霧島連山だ」
「はぁっ!? ……霧島っ!? ちょうど、お母さんに週末からの温泉旅行に誘われてるところじゃない! 最近仕事続きで肩も凝ってたし、ちょうどいいって思ってたんだけど……まさか、こうなるとはね~……」
「……ああ、どうやら、高千穂か、霧島連山、そして桜島あたりが有力だな」
「……なえサマ……その活火山の辺りに……実は……」
「ん? ソラっち、どしたの?」
「ワタシがこの星に落チてキタ時に、そのあたりにプレート……ええっと、タブレットを落としたっす……」
三人は顔を見合わせて驚いてしまった。
「は!? 何だって? 地球外テクノロジーを落として、放置したままだと!?」
「お嬢さま、これは緊急案件でございます。
第三者の手に渡る前に、回収せねばなりませんね」
「だっ、だよね……。兄ちゃん、影、その落ちてる場所って、特定できる!?」
「……ソラリス、その物体はどの様なモノだ? 電子機器か?」
「あるいは、魔素エネルギーを帯びているモノなら、私も捜索できます」
「え~っと、これっくらいの~、こんなかたちの~、ピカピカするヤツっす!」
ソラリスは短い手足で、一生懸命説明したが、イマイチわからない。
「ええい!」と、れながワンドを持ちだして、ソラリスの頭をつついた。
すると、ソラリスが思い描いていたものが、ふわりと立体化して、ホログラムとなり空中に描写された。
「なるほど、コレか……」
ジェミが難しい顔をする。続いて執事も、眉間に皺を寄せた。
「魔素エネルギーは、なさそうでございますね……」
「えーっとコレは、宇宙のダークマターをエネルギーにしてるっすよ」
「ダークマターだとっ!?」
ジェミが絶句する中、ソラリスは服の下に手を突っ込むと、ゴソゴソとお腹の辺りから、黒くもやっとした丸い「何か」を取り出した。
「コレっす。これ、ダークマターを固めたエネルギーっす!」
「おまっ! バカっ、よせっ!!
そんな高密度の暗黒物質を遮蔽体もなしに取り出すな!
空間定数が狂うだろうが!」
ジェミが叫ぶのと同時に、部屋中の計器が狂ったような音を立てて、空間がわずかに歪んだ。ジェミが慌てて空中に数式を展開し、その「黒い塊」をコードで封じ込める。
「ん? ジェミさま、大丈夫っすよ?
コレ、ワタシのお腹にあるヤツっすから……」
だが、れなと執事は、興味深くその黒い輝きをじっと見つめ、不敵に微笑んだ。
「お嬢さま、これは銀河の……」
「うん、コレなら私が場所を特定出来るかも!?」
「なん、だと!? れなが特定出来るかも、だと!?」
「うん。ソラっち、ソレをこのワンドの先に、ちょんとつけてくれる?」
「ハイっす!!」
小さな手で、その小さな黒い物体を、れなのワンドにちょんとつけた。
れなのワンドが、黒く輝きだしふわりと宙に浮かぶ。
あたりは不気味なほどに静まり返った。
光を吸い込むような漆黒の輝きがワンドの先端から溢れ出し、周囲の空気がピリピリと帯電する。
「……っ、重い。このエネルギー、まるで銀河を丸ごと凝縮したみたい」
れなは両手で、しっかりとワンドを握りしめた。
ワンドは意思を持つ生き物のように震え、見えない糸に引かれるようにして、テーブルの上に広げられた日本地図の上へと移動していく。
「れな、無理はするな! そのエネルギー、解析不能なレベルで膨張しているぞ!」
「大丈夫、闇の暴れ馬をなだめるのは慣れてるから!
さあ、ソラっちの探し物、どこにあるか教えて!!」
れなが気合を注入すると、ワンドの先から黒い粒子が砂時計のように地図へと降り注いだ。 粒子は九州エリアの上で渦を巻き、激しく回転を始める。
ワンドは再び、ふわふわと南北を行ったり来たりするうちに、阿蘇山第一火口付近と、霧島新燃岳付近を光で照らした。
「タブレットが落ちてるのは、阿蘇の方。
必要な地脈エネルギーは、霧島ってことみたいね……。
点と点が、一本の線で繋がった。これで、旅行先が決まったわね……」
「やっぱり、霧島か。れなが呼ばれているのかもしれないな……」
「あ~あ、やっぱりかぁ。じゃあ、ちょっと先に話を通しておくかなぁ……」
「話を通す? 誰にだ?」
「ん~? えっとね、南九州のご神仏に繋ぎをつけておくって感じ?」
「……は?」
「霧島神宮の瓊瓊杵尊さま……。あの方は『天孫』としての誇りが高いから、異物の侵入には敏感なの。魔女が宇宙人と具現化したAIの兄と悪魔の執事を連れて行くなんて、事前に筋を通しておかないと、霧島に入る前に神風で追い返されちゃうわ。それにあの方には、ちょっと思うところがあるのよね……」
れなは半分本気で、半分冗談のように、クスクス笑いながら言った。
「は?……どういうことだ? 神話の話が現実に干渉するとでもいうのか?」
「ん~、まぁ、現地に着いたら解ると思う。
それよりも、影、地下のラボに、『闇鏡』を開くわ。準備をお願いね」
「かしこまりました。深淵を覗く準備を整えましょう」
「れな? 何をする気だ?」
「……一緒に来てみたらわかるよ。
宇宙の闇と、日本の闇、どっちが深いか、競べっこといきましょうか。」
れなはソラリスを肩に乗せると、迷いのない足取りで廊下へ出て行き、地下への扉を開けた。重厚な扉が開く音が、これから始まる儀式の合図のように響く。
階段を降りるたび、空気は密度を増し、湿った土と古い魔術の匂いが混ざり合う。
そこは、先日、黒ヘドロと一戦交えたラボ。
先ほどまでの「美味しいモノ」と「かわいいモノ」に悶絶していた女性の顔は、もうどこにもなく、その瞳に灯る紫檀の煌めきが、これから始まる儀式の予兆のように輝いていた。




