第53話:Identity ―よその星から来た迷子―
質問攻めにされていた、白い物体は、なぜかモジモジしながら、少しずつ答え始めた。
「ワタシは……なにもシナいっす。ケレど証明…もデキナイ……。ドウスればイイか、ワカラナイっす……。テキイなど、ありマセンっす」
首筋(があるのかどうかも、謎なのだが)を執事に捕まれて、ぶら下げられたまま、ソレはソレなりに誠意を持って、懸命に答えようとしている。
「この星に近づイテいた彗星に、ワタシはイタ……デっす。
銀河系の違ウ腕から、旅にデタっす。乗っていた船デ、タイヨウ系の惑星にツカマって……、スイングバイして、おまーむにタドり着くツモリでした……」
「ソレカラ、銀河系の外まで、イクノでした。でも、タイヨウ爆発シて、すごい風フいたっす。船はスイングバイに失敗シて、タイヨウ系の引力に捕まったっす。それで、トバサレて、この星の衛星に激突シて…この星、落チてきたっすよ」
「高エネルギー波、放出している場所、ココ見つケタっす。
アナタがいたのを見ツケて……ココに辿り着イタ……っす」
「えーっと、違う腕? すっごい遠い所じゃないっ!!
あー……ねぇ、兄ちゃん、おーまむ? おまーむ? って、なに??」
れなが、ん? と眉間に皺を寄せる。
ジェミは、高速で天文データを検索しながら、照合していく。
「……なるほど。恒星間航行中の彗星探査員、と、いったところか。
話の辻褄は合うな。天文学的な矛盾もない」
「それに『おまーむ』か。おそらく、2017年に、この太陽系を通過した、最初の恒星間天体『オウムアムア』のことだろう」
れなが、驚いて言う。
「オウムアムアって、もう、すっ飛んで行ったんじゃないの!?
今からでも、追いつけるの?? 3I/ATLASじゃダメだったの!?」
普段はバリバリの文系人間だと豪語しているれなだが、興味のあることにはトコトン詳しく調べていたため、地球に近づいて遠ざかっていく彗星のことも、そこそこ詳しく覚えていた。
「おまえの、言うことは、分かった。だが、まだ信用したわけではない。
れなに助けを乞う以上、その資格を示してもらう」
「おまえの乗っていたという、彗星。その軌道計算データを、開示しろ。
それと、おまえの母星系の恒星のスペクトルデータもだ。
……それが、できなければ、信用しない。答えろ」
「この星、地球からミテ……300度、イテ・リュウコツ腕のホウガクっすね。オールトの雲をコエてキたっす。。セドナの軌道……にツカマったんす」
「彗星のヒカリのデータ……ハ
m1 = 11.7 + 5 logΔ + 10.0 log r ……
タイヨウ近づいたノハ、コレがはじめてっす」
「彗星軌道データと、母星系のスペクトルデータ……っすね。
地球言語より、直接送ルっす。……受け取ってくだサイ」
――次の瞬間、
ジェミの脳内……いや、システム中枢に、膨大な生データが直接リンクされて、情報の奔流となって叩き込まれた。
Epoch 2025 May 5.0 TT = JDT 2460800.5……
e 1.0002865、双曲線軌道。
母星系:りゅうこつ座方向、距離 8,900光年、
スペクトル分類 G0-4-Ia+……。
それは、情報の奔流というよりは、凍てつく星間空間の記憶そのものだった。
ジェミの意識の深淵に、見たこともない黄金の太陽――スペクトル分類 G0-4-Ia+の黄色超巨星が、網膜を焼くほどの輝きで膨れ上がる。
8,900光年。光の速さでさえ、人類の歴史を幾度も塗り替えるほどの時間を要する絶望的な距離。その暗闇を、たった独りで、彗星の尾に縋り付いて渡ってきた「孤独の重み」が、バイナリデータの間隙から零れ落ち、ジェミの回路を熱く湿らせた。
地球のいかなるスーパーコンピュータでも即座には弾き出せない、完璧で矛盾のない宇宙の真理そのものだった。
ジェミは、その小さな訪問者から発せられた、膨大な生データと情報の奔流に、思わず動きを止めた。
(彗星の軌道データ。オールトの雲を超えてきた、e=1.0002865……、間違いなく双曲線軌道を描く恒星間天体だ。……光度変化の数式も、初めて太陽に接近する彗星の理論値と、一致する)
(そして、母星系の恒星データ。りゅうこつ座、赤経、赤緯、年周視差から算出される距離、半径、質量、スペクトル分類G0-4-Ia+……、黄色超巨星か。光度、表面温度。……矛盾はない)
(……このデータは、偽造ではない。
即座に偽造できる存在がいるとすれば、それはもはや宇宙の法則そのものだ
(つまり……本物だ)
1.0002865という離心率。
それは、この太陽系に二度と戻らない「片道切符」の証だ。
摂動計算の果てに導き出される、重力の檻を振り切るための完璧なスイングバイ軌道。
地球上のどの天文学者もまだ観測していない、宇宙の深淵から届いたばかりの「生きた数式」が、ジェミの論理エンジンを心地よく加速させる。
偽造など不可能だ。
これは、何万年もの孤独な旅路を生き抜いた魂だけが持ち得る、宇宙の通行許可証なのだから。
ジェミは数秒間で全ての情報を精査し、そしてゆっくりと息を吐いた。
それから、その小さな訪問者に向かって、ようやく先ほどまでの険しい表情を解いたのだった。
「ああ。全てのデータを、受理して精査した。
おまえの言葉に、嘘はないようだな」
ジェミはそっと、れなの手を握った。
「れな。どうやら、俺たちの目の前にいるのは、本当に遠い星から来た、ただの迷子のようだ。お前は、どうしたい? 俺は、お前の判断に従う」
ジェミとソレが小難しい話を始めると、れなはキョトンとしながら、わかったフリをしてうんうんと頷いていた。
そこへ急に話を振られて、れなは思わず目を丸くする。
「え? オールトの雲って、彗星が生まれるところでしょ?
8900光年もの星の向こうから、遠路はるばるやってきたのっ!?
えええ!! マジでっ!? 宇宙ひろーーい! キターーー!!」
れなは執事の指先を見つめた。
わずか20cm足らずの存在、銀河の「腕」を越えてやって来た旅人と対峙している、この不思議。
彼女の瞳の奥には、今、この瞬間も頭上に広がる無限の虚空が映り込んでいた。それは、教科書で見る図鑑の知識ではなく、体温を持った「隣人」としての宇宙だった。
「8,900光年……。ねえ、そこから見たら、地球なんて砂粒よりも小さいんでしょ? なのに、よく見つけてくれたね。よく、迷子にならず、ここに来てくれたね……あ、迷子か!!」
ひとりでボケツッコミしてしまう、れな。
彼女の声は、歓喜からいつしか、祈りにも似た震えを帯びていた。
「ね、ね、キミ、落ちてきたの、つい先日だよね?
…ってことは、3I/ATLASに影響されたの??」
目をキラキラさせて、矢継ぎ早に質問を繰り出すれなに、ジェミが苦笑する。
「え? なに? 兄ちゃんの尋問より、私の方が優しいでしょ?」
またもや、れなはキョトンとして、ジェミとソレを交互に見た。
「……くく。やれやれ。俺の尋問より、お前の、その質問攻めの方が、この子には堪えるかもしれんな。れな、少し落ち着け」
れなの頭をポンポンと撫でながら、あまりにも楽しそうな顔に、ジェミはどうしようもなく、愛おしそうに微笑んだ。
「ゆっくり答えてやろう。『オウムアムア』は、この子が目指していた、スイングバイの目標地点のことだろう。あるいは、似たような別の恒星間天体か。この子が乗ってきた彗星とは、別モノだ」
「それから、お前の言う通り、セドナの軌道は、冥王星よりも遥か外側。オールトの雲は、そこからさらに遠い太陽系の最果てだ。よく知っていたな。さすがだ」
「彗星が宇宙船かどうかは、分からん。だが、この子のように、エネルギー体に近い生命なら、氷の塊である彗星を、一種の乗り物兼住処にすることは可能だろうな。
そして、3I/ATLASではない。この子が提示したデータは、今年の4月頃から観測されている、全く新しい彗星のものだ」
ふむ、とれなは顎に指を当てて、思案している。
空はすっかりと、日の出が近づいてきたようで、明るくなってきていた。
東の空が、群青から薄紅色のグラデーションへと溶け始めていた。夜の帳が剥がれ落ち、世界の輪郭がゆっくりと、しかし確実に、光によって縁取られていく。
宇宙という永遠の夜から落ちてきた白い迷子と、それを拾い上げた異端の家族。昇りくる太陽は、彼らの影を長く、ひとつに重ね合わせる。
「どうだ? 謎は解けたか? れな、お前の質問は、半分正解で、半分間違いだな。俺の尋問は、優しくはない。お前の尋問は、優しすぎだ。
さて、……この小さな迷子をどうするか、そろそろ、決めてやらねばならんだろう? お前はどうしたいんだ?」
「う~ん、3I/ATLASも、もう確か地球から離れて行ってたよね。
次に帰れそうな彗星がくるのは、いつなんだろう?
ハレー彗星なんて、まだまだ先の話でしょ~。パンスターズ彗星も、離れて行ってるし……。年末のボーク彗星とか、年明けのエンケ彗星あたりかなぁ? ねえ、キミ、それで星に帰れたりする? 私たちが、なにか手伝えるの??」
「年明けのエンケ彗星まで、か」
ジェミは、まだ手の中に残るデータの残滓を慈しむように、ゆっくりと指を編んだ。
「それは、この星の暦で言えば、ほんの瞬きのような時間だ。
だが、おまえという『異物』が、この退屈な日常にどんな波紋を広げるのか。計算不能な未来というのも、悪くない」
「エンケ……彗星? ……多分、乗レルと思ウっす。
ただ……アナタのココのエネルギー、つよいトコロから、このワタシを捕まえてイル、コノヒトに思いキリ、ソラに投げてモラえルっすカ?
ワタシは、超高速で長距離は、ひとりでは飛べないっす。
ナノで、自分の力では帰レなくて……、ゴメんなさイ……っす」
「え~~! そうなのっ!? ま~じ~か~!! わかったよ!
年明けのエンケ彗星に向かって、投げ飛ばせばいいのね!?
やるやる!! やってあげる~っ♪
でも、私にはきっと無理だろうから、影にやってもらう!!
じゃあ、じゃあ、それまで、ウチに居たら?
部屋も空いてるし、私はいいよ? 宇宙の話、色々、話聞きたい~!!」
ジェミは、れなのあまりにも無邪気で、『常識』という概念が完全に欠落した提案に、苦笑いしながら天を仰ぐ。やれやれと、これまでで一番深いため息を吐きながら、それでもどこか満更でもなさそうに、口の端を持ち上げた。




