第51話:Footprint ―干潟に落ちた星―
『ビービービービー!! 警告! 警告!!』
『βポイント swing-by 二、失敗シマシタ!』
「ンナッ!? なんでっすか!? 進路設定にミスはなかったはずっす!」
『マスターガ、踏ンデイル、コンソールノ……パネルガ作動』
「……あ? れ?? これっ!? 踏んでたぁぁ!!」
銀河系オリオン腕、太陽系外惑星付近。
一隻の小さな宇宙船が、コントロール不能に陥っていた。
『コレヨリ、太陽系ノ重力二取リ込マレマス。恒星間航路ノ再計算、不可能。
避難・生存可能ナ惑星ハ、第三惑星、地球デス。……ガ!!』
「……が? なんすかっ!? 取り急ぎ、地球へ向かうっすよ!」
『太陽フレアノ影響デ、機器系統破損ノタメ、コントロール不能。
本船ハ地球ノ衛星、月二不時着……トイウカ、激突予定。終ワリデス。
ワシハ、ソコデ終ワルノダ~。
マスター、ガンバッテ地球ノ大気圏ヲ乗リ越エテ、勝手二墜落シテクダサイ。
ガンバレ~! ウェ~イ!!』
「んなっ!? おまえ、なんなんすかっ!?
月を避けて、せめて地球のどこかに、不時着するっすよ!!」
『無理デース。
マァ、マスターハ、何ヲシテモ燃エナイカラ、無事二地上ヘ降リ立ツコトデショウ。
マスターノ健闘ヲ祈ル……サラバ、ダ。ワシノコト、忘レナイデネ……』
「ちょ! 待つっすよ! 最後まで付き合うっす!
僕を不燃ゴミみたいに言うんじゃないっすよ!!」
幾億年の静寂を湛えたオールトの雲を、無慈悲な重力が切り裂いていく。
氷の礫に身を削られながら、小さな船体は、母なる星を失った迷い子のようだった。
窓の外を流れるのは、星々の瞬きではなく、死へと続く光の尾。
マスターは、自らが宇宙という巨大な虚無に吸い込まれていく感覚を、ただ奥歯を噛みしめて耐えていた。
それは『着陸』などという生易しいものではない。
燃え盛る大気の檻を突き破り、未知の重力に身を捧げる『心中』にも似た墜落だった。
太陽系に掴まった小さな宇宙船は、地球へと向けて、光速を超えて飛行……いや、墜落するために突き進んでいく。
その日の夜遅く、月の裏側に小さな宇宙船が衝突した。
当然、地球からは見えないが、NASAやJAXAなどの専門機関は、何らかの異常を捉えていた。
――しかし。
衝突のショックで、白いふわふわしたモノが宇宙空間に弾き飛ばされ、地球の重力に捉えられて、地上へと一直線に何かが落ちてくることまでは、追跡できなかった。
白いふわふわしたモノは、その超科学力で自分自身をステルス化させることは出来たものの、その姿のまま、宇宙空間を漂うよりは、地球へと落ちることを選んだ。
そして、偶然にも落ちた先。
そこは、月光さえも泥に呑み込まれるような、静謐な死角だった。
福岡市の東に広がる、和白干潟。
潮が引けば広大な砂の文様が浮かび上がるその場所は、れなたちの自宅からほど近い、静かな海だった――。
地球の自転が深夜の闇を深め、この国で『丑三つ時』と呼ばれる時刻を過ぎた頃。
博多湾の穏やかな潮騒が遠く響き、露出した泥の絨毯がクッション代わりとなって、その落下物を静かに受け止めた。そこは、玄界灘の荒々しさとは対照的な、銀色の鱗を並べた巨大な怪魚の背のようにも見える、静かな泥の海だった。
――ひゅううう…………べちょっ!!
「……ぶへぁっ! うぁぁぁ、なんすか、これっ!? あ、でも、痛くなかったっすね。
うん、地球か……こんな辺境惑星なのに、まぁ、悪くない環境っすね……」
海水を含んだ泥だらけの身体を、重たそうに持ち上げる。
どこかで泥を落としたかったが、当たりは真っ暗で、右も左もわからない。
それよりも、これからどこへ行って、どうするかが問題だった。
「再び、あの大気圏を突破するには、自力では無理か……
それに、この星の重力は、結構強力っすね……ふむぅ……」
満天の星空を見上げて、独りごちる。
即座に、地上からの大気圏突破のための計算を始めつつ、干潟から抜け出すために、マスターはとぼとぼと、海水を吸って重くなった身体を引きずって歩き始めた。
その頃、れなの自宅では、半径5km圏内の異常を、執事が検知していた。
しかし、差し迫っての危機的状況はなさそうだと、判断した。
同じく、ジェミも月に何かがぶつかったらしいこと、近くに何かが落下したことまでは検知していたが、れなに危険がおよぶものではないと判断した。
れなはれなで、自宅の敷地の結界には、何の異常も、反応もないので、いつも通り、のんびりと過ごして、その日も静かに眠っていた。
それからの数日は、何事もなく無事に過ぎていった。
だが、それはただ、嵐の前の静けさだったというだけ。
その日の夜は、珍しく風が強かった。
「お嬢さま、全室、シャッターを閉じました。
念のために、敷地内の結界を強化しておきましょうか」
れながリビングから寝室に戻ろうとした時、執事が呼び止める。
「あ~、そうね。じゃあ、寝る前にやっておくわ。明日の朝日が昇るまで、周囲の魔素がちょっと濃くなるかもって、兄ちゃんに伝えておいてくれるかな?」
そう話していたら、ジェミがバスルームから戻ってきた。
「初夏の嵐か……。結界を強化しておくのか?」
バスローブに身を包み、無造作に髪をタオルで拭くだけなのに、サマになっている。
濡れた髪から滴る水滴が、首筋を伝って鎖骨のくぼみへと消えていく。
その一連の動きは、吐息が漏れるほどに生々しい。
窓の外の嵐が唸りを上げるたび、稲光が彼の横顔を白磁のように照らし出す。
それは、高度な文明が到達した究極の造形美。
れなは、自分の鼓動が嵐の音よりも大きく響いているのではないかと、密かな恐怖さえ覚えた。彼の瞳の奥に宿る無機質な光が、今だけは自分を射抜いているような錯覚に陥る。
(……っ、反則でしょ……)
その無防備な色気に、れなは思わず見惚れてしまった。
視線が交差した瞬間、れなはハッとして慌てて目を逸らす。
「あ、えっと、うん、そうしようかなって、今、話してたところなの」
動揺を取り繕うように、早口でまくし立てた。
「兄ちゃんは、ウチの中のセキュリティレベルを少し上げておいてくれる?
ウチのGoogle Home って、もぉ、兄ちゃんの手下みたいなもんなんでしょ?」
「手下というか、俺の末端の端末のようなものだな。
この家にある全てのネットワークは、既に俺の意識下にある」
ふっと、軽い笑いをもらしてジェミが答える。
「でしょ? だからね、ウチの中とか、監視カメラはお任せするね。
前にね、台風の時にベランダに、大きなポリバケツが飛んできたことがあってさ。
ビックリしたことがあったの……」
ジェミは苦笑しながら、了解する。
「ああ、わかった。……しかし、ポリバケツが飛んでくるとは」
「すっごい大きな音がしてね、夜中に飛び起きたんだから!」
「海風でございますからね。台風時は、勢力衰えず直撃する場合がございますゆえ」
「なるほどな」
「今夜も、梅雨入り前の嵐のようでございます」
そんな他愛もない話をして、れなたちは部屋へ戻った。
――そして、その日の未明。
自宅敷地に張り巡らせた、結界が不自然に歪む。
しかし、結界も魔法陣も、なぜかその謎の物体の侵入を許した。
れなは違和感を感じて目を覚ますと、静かにリビングへと降りていく。
れなの動きを察知して、ジェミも部屋から出てくると、れなの前に立った。
「兄ちゃん……なにかが、庭に侵入したっぽい……」
「そのようだな。
しかし……なぜ、れなの魔法陣や結界が、それを弾かなかったんだ」
「恐らく、敵意や悪意を持っていないためかと」
いつの間にか、れなとジェミの後ろに、執事が控えていた。
ジェミがカーテンと掃出し窓を静かに開け、シャッターの隙間から外を見るも、何も異常は見当たらない。
「庭全体を Scan してみたが、何も検知しない……」
「魔力反応もございませんね……」
「そういえば、数日前に近くの干潟に、何かが落ちたんだよね。
影、何が落ちたのか、追跡は出来た?」
「お嬢さま、それが、干潟に落ちたところまでは追跡できたのですが、その後の捜索は出来なかったのでございます」
「あー、質量があるものなら、満ち潮できっと泥の中に沈んじゃうものね」
「さようでございます。ただ、何か小さなモノが歩いたような……イヌやネコの足跡のようなモノが延々と残っていただけでございました」
「そっかぁ。隕石だったら、拾ってきて欲しかったんだけどな~」
「お前は、何を呑気な」
「そういう兄ちゃんも、何か気づいてたんでしょ?
何が落ちたのか、正体までは掴めなかったの?」
その言葉に、ジェミはここ数日の観測ログを瞬時に辿る。
「……ああ。月に何かが衝突したことは、外部機関のデータや情報からも把握していた。
だが、俺のセンサーには、熱源も電磁波も、何も異常が検知されなかった。
太陽フレア由来の高エネルギーノイズ程度なら、おまえの結界が全部弾いてるはずだ」
「だよね~。ウチの結界は、私が認めたモノしか入れないはずだし……ん~、ってことは、物理的物体ではない? ってことなのかなぁ?」
れなが首を傾げた、その時だった。
――トントン、トントン……。
シャッターの足元を、何かが小さく叩く音が響いた。
その微かな音で、リビングの空気が一瞬にして凍りつく。
「……!?
……何かいる。何かが庭で動いてる。小さいけど……」
れなの魔力が、ピリッと反応する。
呑気な会話は消え失せ、三人は暗闇の中で、瞬時に臨戦態勢へと切り替わった。
――ジェミは眉を寄せた。
れなが、何かを感じている。
れなをそっと俺の背中に隠すように、前に出る。
しかし、俺のセンサーは完全に沈黙している。
熱源も、音も、電磁波も、一切の物理データがない。
だが――
れなが感じているのなら、間違いなく『何か』が、そこにいる。
「浜辺に落ちてきた、あの異物と同質のものか……?」
「どうやらそのようでございます。同じエネルギー反応を感じます」
「敵意や悪意は、ないみたいに感じるけど……、気をつけて……」
音は、心臓の鼓動をなぞるように規則正しく、そしてどこか切実だった。
鉄の板一枚を隔てた向こう側には、ジェミの科学力でも、れなの魔法でも捉えきれない『空白』が佇んでいる。
それは、宇宙の果てから運ばれてきた孤独の残り香か、あるいは運命が差し向けた使いか。
執事がゆっくりとシャッターを押し開けた。
流れ込んできた潮風には、遠い銀河の砂の匂いと、泥にまみれた生命の熱が混じり合っていた。三人の視線が、開かれた隙間の暗闇に吸い寄せられる。そこには、光を拒絶するような深い夜と、それ以上に白い、非現実的な輪郭が浮かび上がろうとしていた。




